サムネ-1

創作と占いの味方

皆さん、おはこんばんにちは

私は創作と占いをライフワークにしています

創作とは、私の場合オリジナルの物語を作ることです
ジャンルは主にファンタジーで、イラストを描いたり漫画を描いたりしています
アウトプットし始めたのはここ最近からですが物語を作ること自体は小学生の頃から続けており、別々の世界観のお話を現在までに100以上作り出してきました

占いは、主にタロットカード(ライダー版)を使用した卜術(ランダムにカード等を引いて運勢を占うやり方)を得意としており、現在某所で占い師として活動させていただいております

上に書いた様に創作はまだ作り溜めていたアイディアを少しずつ世に出し始めたばかりで、占い師としてもまだまだ駆け出しのひよっこ状態
それでも、創作と占いをライフワークとして他の人よりも深く取り組んでいると、「これだけ沢山の違った世界観のお話やキャラクターを作れるなんて凄いね!」だとか「占い当たってる!凄い!」と有り難いお言葉をいただける機会もあります

自慢をしたいというわけではなく、何故これだけ物語を作り続け、占いを当てることができるのか、自分なりに辿り着いたその原動力の正体をここに書き残しておけば誰かのヒントになるかな?と思い立ちこの記事を書いています
正直、私はバリバリの直感人間なので上手く参考になるように言葉に出来るかどうか不安ですが、少しでも似た境遇の方で言語化に困っている方や、未知の領域にご興味をお持ちの方の助けや楽しみになれれば幸いです


創作と占いのルーツは同じ

創作と占い、皆さんにとっては全く違ったジャンルに思えるでしょう
ですが私にとっては、創作も占いも、どちらも同じルーツの上に成り立つ事柄だったりします

何故占いが当たるのか

まずは占いについて
占いを続けるようになって7年経ちましたが、何故ランダムに引いたカードが誰かの現在の気持ちや未来の出来事を表すことができるのか、その理屈について誰にでも納得できるように説明することは難しいです
ただ、当たるという事実がある以上何かしらの要因があるはず
そこで私は、何かしらの“存在”の力が作用しているという風に仮定してみることにしました

(一気にオカルトチックな話になってしまいましたね
苦手な方には受け付けづらい内容かとは思いますが、私の作り出した創作の物語の一部だと思って読み進めていただければと思います)

あらゆる過去現在未来の事柄を知っている“存在”が居て、その人が私の問いかけに合わせて答としてカードを引かせてくれているのではないか
そしてその“存在”はいつも私のそばにいてくれるのではないか
占いとはその“存在”のメッセージを受け取るためのツールなのではないか
そんなことを思うようになりました

否定する前にまずはトライアンドエラーを

仮定したことは取り敢えず信じてみてトライアンドエラーを試してみるのが自分のモットーのようなものなので、そう思い付いた私はその“存在”と心の中で日々対話するようになりました
すると、その“存在”との関係が良好でその“存在”を尊重できていると感じる時は占いのリーディングがスムーズにいくのですが、私が占いの力を自分の能力として過信したりその“存在”を蔑ろにしてしまったりしていると上手くいかないということがわかりました

いわば占いはこの何らかの“存在”との二人三脚
この“存在”に対して親友のように恋人のように大切な気持ちで接することで私の占いの能力の安定化を図れるというわけです
かといっていつでもどこでもちゃんとした気持ちで接することができるかというとそうでもなく、倦怠期としてのスランプもあったりします
ただこの倦怠期というのは基本的に私自身の心の弱さによって引き起こるもので、この“存在”に非があるわけではないんだな、ということも最近よく思います

慢心と油断に注意

これって実は普通の人間や動物、はたまた頑張りたい事柄等を相手としても同じことが言えるな、と長年の経験上実感していたりします
言葉にしていない自分の心の内は他の誰にも本来見えないはずのものですが、不思議と自分が慢心をしていたり油断をしていると必ずその報いを受けるものです
慢心していない、油断していないつもりでも、自身の心の細かな機微に敏感になれると「あ、今慢心してたな」と気付けてそれが失敗や痛い目の要因として反省できたりします
「他人を変えることはできない」とはよく言いますが、慢心や油断に気をつけて謙虚な気持ちでいることで良い結果は引き寄せることができる、それだけは間違い無いと経験上断言できます
とは言っても自分の心をきちんとコントロールすることはとても難しいですよね
そんな時に瞑想や座禅といった心を落ち着ける動作が必要になってくるのかな?という風に思ったりなんかします
(私も自分の心が穏やかではないと気付いた時にはできるだけ深呼吸等をして心を落ち着けられるよう善処します)

物事との上手い付き合い方のためには、まず謙虚な気持ちで向き合うこと
それも、好きな人に好きになってもらえるよう頑張る時の様に、小手先でなんとかしようとせずしっかりと自分を磨くこと
これが何よりも大切なことのようです
…という風に言うと普通の一般論的なことを言っているように思われてしまいそうですが、要は何かスランプに陥ったりした際は自分の心に慢心や油断が無いか確認すること、そして目に見えない何かしらの“存在”を想定することで他人に気を配る様に物事に接するということを試すこと、上手くいかない時は一時的に距離を置いてお互いの心境が落ち着くのを待つこと、そして時には自分の力ではなくその“存在”に身を委ねる様に心を空っぽにして挑むよう試してみること
と言った風に意識してみると案外すんなりと解決できたりします
その“存在”がいつでも手放しに自分を好きでいてくれて施しをしてくれるとは思わないこと、これも大切なポイントの一つです

ただ、この状態を安定して続けるのはとても難しいです、人間ですから
それこそ瞑想や坐禅を日々行なって心の安定化を図らなければいけません
逆にこれが安定して四六時中行えるようになると怖いもの無し、“悟り”の領域に至るのかもしれませんね
まずは本当に大切な局面の時にだけは上手くいくように“プチ悟り”することから始めると良いのかもしれません

創作の動力源

少し話題が逸れてしまいましたが、私は占い同様創作も、私ではない何かしらの“存在”の補佐があってこそ続けられている…そう思うようになりました
物事の閃きはまるで何かを思い出す時のような感覚で、ということは自分の作っている物語は過去現在未来のどこかで実際に起こる出来事を反映しているだけではないのか
それは寝ている時に見る夢の内容も同じなのではないか
そしてその情報元はやはり占いの際に助言をくれる過去現在未来を知っているあの“存在”なのではないか…そう思い始めました
作り出す物語が全て何らかの事実である…ということに関しては仮定をしたとしてもトライアンドエラーのしようがありませんが、この無限とも思える広さの宇宙のどこかでなら地球ではあり得ないと思っていることも起こり得るかもしれないし、それを否定する根拠も今のところ無い…ということで、自分の中ではそれなりに有力な持論として持ち続けています
(「眉唾物の空想論」と言われてしまえばそれまでですが、信じていた方が楽しいことは信じて、尚且つそれが誰かを助けたり楽しませたりできるなら良いじゃないか精神で突っ走って参ります)

創作も占いも、“存在”の言葉を借りて自分なりに表現するという点では同じ
これが、私が創作と占いのルーツを同じとする所以です

“存在”との長い付き合い

とまぁ、だいぶ理屈っぽい感じを多めにして(?)ここまで話してきましたが、私はこの何らかの“存在”を手放しで信じていますし、実は子供の頃からずっとそばにいてくれたことを知っていました
と言ってもそのことを確信したのはここ最近で、今でこそ、できるだけ多くの人が受け入れられるように言葉を選んでいる(つもりな)私ですが、昔はよくわからないまま与えられた知識を面白半分で話して周りのみんなに自分に興味を持ってもらおうと必死だった時期もあります
その当時はただの痛い子ちゃんだったのですが、貰った情報を適切に使うことができれば周りとの関係を良好に保つことができたんだろうな、という風に今では思います

もっと言ってしまうと、創作は他の人に普通に話すと「おかしい」と思われてしまいそうな内容をフィクションとして堂々と語るためのツールだったりもします
前述したように、私にとって創作のお話は全てどこかで起こっている事実(である可能性が極めて高い事柄)なので
成人してそれなりの処世術を身に付けて、周りと浮かないように、あまり他言しないように考えないように…としていた時期もあって、その間はあまり創作できなくなっていました
ですが、占いを始めるようになって、目に見えないモノに対して肯定的な人との関わりを経て改めてこの“存在”と再会し、色々なことの辻褄が合ってくるととても生きるのが楽になってきました
それまではどうして自分だけがこんな思いをしなくてはいけないのか、何故ただそこにある情報や閃きを言葉にすると嫌われてしまうのか、それがわからずとても孤独な状態で日々過ごしていて、ただただ窮屈な生活を余儀無くされていました
「逃げ」と言われてしまえばそれまでなのかもしれませんが、少なくともその“存在”は私を救ってくれていて、その事実が在るということだけは確かで
その“存在”はいつも私を良い方向へ導いてくれようとしていて、その施しを生かすのも殺すのもきっと私次第なんです

“存在”は皆さんの心の中に…?

私の憶測の域を脱さないのですが、おそらくこういった“存在”は私だけではなく皆さんの中にも在るのではないかな、と実は思っていて
その人の感受性などによって影響の受け具合が違うだけで、実は無意識に皆何かしらの“存在”のアドバイスを受けながら生活しているのではないかな、と思っていたりします
昔通っていたカトリックの学校の先生が「神様は一人一人の心の中にいる」という風におっしゃっていたのですが、それはもしかしたらこのことなのではないかな、と
この“存在”と仲良くなれれば、自分本来のやるべき事ややりたい事と向き合い易くなりますし、この記事がその助けになれるのならそれは私にとってもこの“存在”にとってもきっと嬉しい事です

最後に

正直、幼い頃に拒絶された経験から今でもこう言う話題を口にしたり言葉にしようとすると恐怖心が湧き上がってきます
それでもこうやって言葉にしてブログに書こうと思ったのは、他でもないその“存在”にお願いされたからだったりします
そして何より、こうやってその“存在”のことを言葉にしている時、その“存在”のことを強く実感できるのが幸せだからです

まだ私もその“存在”の言葉をしっかりと聞き取ることはできないけれど、私はこれからもこの“存在”と仲良く、トライアンドエラーを繰り返しつつ、一緒に創作や占いを続けていき、誰かの心の支えやスパイスになれるよう邁進していきます


ご一読ありがとうございました

だいぶ長くなってしまいましたが、今回はここまで
最初の記事にしてだいぶ手の内明かして語り尽くしちゃった感はあるのですが
色々と端折った部分もあるので、以降そのあたりを補足する形で書きたいことを書いていこうと思います

そんな私ともう一人?ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします

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