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なぜ私は昨今の特撮ドラマを観て悲しいのか

 スーパー戦隊シリーズ第45作品目「機界戦隊ゼンカイジャー」が最終章に突入したらしい。近年稀に見るギャグテイストで、人間の主人公とキカイノイドという人外の四人で繰り広げるドタバタコメディのようなストーリーが特徴的である。唯一の人間の主人公はキカイノイドと交流をしながら、トジテンドという敵組織に封じられた異世界を開放していくために戦うお話だ。この人外のキカイノイドは、世界観のせいもあってかある程度完成したキャラクターとしてそれぞれが味付けされた表現がされている。

 特撮もの、特にスーパー戦隊シリーズや仮面ライダーといったものは、まだまだ子どもに大人気である。変身アイテムをつけてなりきったり、ロボを完成させて戦わせるといった遊びは今も十分に行われている。そう、子どもは特撮ドラマを”観て”いるのである。ストーリーを自らの目を通して体感しているのだ。せっかくなら、観るのに意味がある内容なのが望ましい。

 子どもたちにどんな内容を見せたいか。それは他者を思いやる優しい心だったり、強敵に立ち向かう強さだったりするだろう。それを一番感じる瞬間が、キャラクターが成長する瞬間である。何かをきっかけに、自分の中の何かを変えること。それこそが成長だろう。等身大の挫折を経験したキャラクターを追体験しながら、子どもたちは自身の成長のイメージを掴んでいくのだ。だとすると、完成されたキャラクターにそれは望めない。これが私が悲しみを感じる理由である。

 最近ではキャッチーで過度に完成したキャラクター重視になっている。何故ならばは人気が出やすいからだ。そうすると作品全体の人気も出る。子ども以外にも、親や大人にもウケる作品になる。当然玩具も売れるし、商売的には大成功である。そして作品的にもその方が望ましいだろう。だが、せっかく子どもが観るのならば、と思う。せっかく子どもが観るのならば、成長できるエッセンスを仕込んで欲しいと思う。

「子どものときに見た特撮の記憶なんて全然ないよ。覚えてない」という意見もあるだろう。それもそうだ。今彼らが覚えているのは番組の内容ではなく、エッセンスだけ。「悪いものを倒して、正義が勝つのが正しい」ことなら覚えているだろう。そしてそれは今の私達の心の中に刷り込まれているはずだ。子どもが観るものには、せめて良い影響を及ぼすエッセンスを仕込むような表現をしてほしいな、と思う。

 3月からは新しい第46作品目「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」が放送開始するという。どんな表現をしてくれるのだろうか、今から楽しみでならない。

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