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15.良いクシは良い気づきを生む

 先日、知人からちょっと良い“クシ”をいただいた。髪をとかすあれである。
 思えば、これまで生きてきた中でクシにお金をかけたことは一度もなかったと思う。長い間ショートカットで、手ぐしで事足りてしまうからだ。


 このエッセイは、自分が毎日何を思い考えているかを自分で知るため、そして友人・知人への近況報告も兼ねて書いている。
 日々の過ぎていってしまう小さなことをすくって、自分という棚にはなにが収まっているのか、棚おろしの意味をこめて綴りたい。


 しかし、一時期肩下まで髪があった時でさえ、100円均一で買えるプラスティックのもの、もしくはホテルでもらったアメニティを日常でも使っていた記憶があるので、元来そこまで髪に興味がないのかもしれない。
 むしろ自分が髪を気にしているなんて恥ずかしいなぁという気持ちもあった。

 高校生の時、先生の目を盗んでヘアアイロンを髪にあてているクラスメイトに「なぜそこまでする…?!」と驚いたし、大人になってからも、同僚が泊まりがけの登山に小型のヘアアイロンを持ってきているのに目を丸くした。

 いつの時代も、彼女たちはお手洗いの鏡の前で小さなコームやヘアアイロンを取り出し、いっときジッと自分を見る。
 その真剣なまなざし、一瞬引き締まる空気に胸の奥がちくりと痛む。

 同じ土俵にわたしはいられない、そこまで自分を磨き上げられない…あなたはすごい。そんな思いで彼女たちを見ていた。

 時は経って先日のクシである。
 
 せっかくいただいたので、髪を乾かした後に使ってみる。普段は感じない刺激を頭皮に受ける。気のせいかもしれないが、髪がツヤっとした気がする。

 気づけば、いつかの“彼女”と同じように鏡をジッと見つめるわたしがいた。
 
 やっと、髪を気にかけることは、今この瞬間に目を向けることなのだなと理解する。

 シャンとしてたい、
 仲間に変に思われたくない、
 思い出の写真によく写りたい、
 鏡をじっくり見るのは久しぶりだ、
 そんな自分がいると気づく行為なのだった。

 良いクシよ、ありがとう。いやいや、くださった方、ありがとうございます。

 去年あたりから、どうしても髪型をツーブロックにしたい!耳の上や後頭部を刈り上げたい!という気持ちが強い。(…が、勇気が出ず襟足を控えめに刈り上げる程度にしている。)
 近々、本当に髪を切ってしまう予感がするので、ますます手ぐしで事足りてしまうが、髪を気にかけることは自分を気にかけることだとせっかく気づけたので、大切にしたい。

 …クシでとかすだけだけど。

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