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さいきんのナイショ話


彼はご飯を食べる時間になるとおいしいものをつくりはじめる。わたしは丸いテーブルに頬杖をついて後ろからそれを見ているか、彼のキッチンの動線上に立ってジャマになるか、別の部屋に行って寝ているか。夜ご飯のときは、たまにそれに加えて手伝いをしている(朝、昼は眠たいと思っているうちにできあがっている)。彼の指示通りにフライパンの中身を混ぜる。キーマカレーに使うひき肉を炒めている。隣でしいたけやエリンギがみじん切りにされていく。しいたけがぱらぱらと入れられる。エリンギもぱらぱらと入れられる。わたしはヘラで具材を混ぜる。でも目線は彼をみている。しいたけを切っている彼や、エリンギを切っている彼の横顔をみている。たまに自分の手に視線を戻す。また彼をみる…。
わたしの料理はいつもそうだ。


夜ご飯ができあがると彼は私がつくったみたいにして、つくってくれてありがとうと言う。嬉しい。そういう人らしい。彼は気づいているか分からないが、実はわたしは彼の家ではまだ、包丁を握ったことがないのだが。


ご飯を丸いテーブルに並べて、飲みものを用意する。夜は彼が可愛い、浅いグラスでいつもワインを飲むので、わたしは冷蔵庫からカルピスを取り出して、同じグラスに注いで並べておく。カルピスはいつだったか好きだと言ったら、次来たときに冷蔵庫にちょこんと入っていた。カルピスだけでなく、いつかに言った好きな食べものや飲みものが、来るたびよく冷蔵庫に入っている。ヨーグルト、クリームチーズ、ケーキ。あとは、タッパーに鶏肉や魚や野菜の作り置き。わたしがこの冷蔵庫に入れたことがあるのは、いつまでも飲み干さない(もう飲む気がないのに見過ごしている)ライチジュースと、お風呂に入るときに使いたくて見せたくて買ってきたバスボールから出てきた、ぷにぷにのワニ。優しく諭されているときに幸せを感じるのだろうか、これは飲むの飲まないの。飲まないでしょ。探してもないけど、ワニはどこに行ったのかもう分からない。


今回はちゃんと休みを取った週末だった。本当はプールに行ったり、カレーを食べに行きたかったけど、出不精なわたしたちはふたりぼっちを選んでしまう(カレーは結局家でつくり出してしまった。しかもすごくおいしい)。近くでお祭りがやっていたからスーパーの買い物がてら様子を見に行ったけど、人が多くて、どこの国のかもう忘れてしまったおやつみたいな、じゃがいもの食べものだけ買って離れてしまった(おいしかった)。結局すぐ家に戻ってきて、ふたりしかいない部屋で、一番安心して過ごす。全てふたりの時間の休憩のところで、当たり前の生活をする。夜ご飯を食べ終わって向かい合って座っていて、彼が椅子から立ち上がって、去り際にわたしの頭を撫でていく。寝室に行って、広い上半身にすっぽりとおさまって映画を見る。気が向いたときは夜遅い時間に散歩に出る。外にいるけど、夜が遅いから、道には誰もいなくて、結局ふたりぼっち。朝になると、横ですでに起きていて、わたしが起きて少し経つと立ち上がってコーヒーを淹れに行く。トイレに行きたくなって私も起きて、リビングに戻ってきてコーヒーを淹れている彼の背中を見る。わたしの、気に入っているスプラッター柄の水色のマグカップを置いておくと、ちょっとだけコーヒーを分けて、いっぱい牛乳を入れて、カフェオレをつくってくれる。
大体それで朝のはじまりと思いきや、ふたりで1回隣の部屋に戻ってうだうだする。それで朝のはじまり。
家の近くを散歩する。喫茶店に行く。食べたいものがふたつあって迷っていると、どっちも頼めばいいと言う。わたしはナポリタンとサンドイッチがいいと言って頼む。半分こする。甘いココアを頼んで、ちょっとだけ飲ませる。


笑ってる顔も、笑ってない顔も好き。笑うと垂れ目がもっと垂れ目になるから好き。大きく笑うと揃った上の歯が見えるのも好き。でも笑ってないときも好き。この前、彼の家の丸いテーブルを囲んで、その真ん中に置いてある花を見ながら、お互いにどんな花言葉が似合うかを考えたりした。どんな性格なの。これまでどんなことをしてきたの。あなたはわたしのしたことないことばっかりしてきたんだなあ。わたしってぼんやりしてるし、刺激物じゃないし、いつか目の離せない何かを見つけたら、どこかに行っちゃったりするの?とか、たまに思う。いつまでこうして笑ってくれるの。死ぬまで?
3分だけそうなるときがある。ナイショだけど。


「天使みたいだね」

声がきこえる。
どこかの大学の非常勤講師の先生。可愛い女子大生に言い寄られて、ごめんねと優しく謝る。でもそんなのじゃだめ。毎回断るたびに女の子たちは過激さを増して、切羽詰まってあなたを脅すのよ。どれだけ嫌がったり諭したりしても、女の子たちは自分だけが先生の部屋に呼ばれて、愉しい時間を過ごすことを夢みるんだから、絶対にやめておきなさい…。先生はわたしにだけ優しいの。傲慢な自我と、謙虚に恐れる気持ちが同居しているの。


教えておいてあげたの。大学の先生と高校の先生と、歯医者さんになるのだけはだめだって。なんかそれだけ。


今日のうた
地獄先生/相対性理論

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