共感

私は共感力が低いです。共感というのは正の感情に対しても行われると思いますが、負の感情に対して行われる例が挙げられることが多いように思います。悲しんでいる人がいた時、事情を聞いて気の毒に思うことはよくあります。確かにそんなことがあったら悲しいだろうなぁと思います。身近な人であれば、自分の事のように辛くなることもあります。ただその時、どんな風に接するべきなのかわかりません。

人の話を聞いていると、よく突っ込みを入れたくなります(というより、思いつきます)。例えば高校生三年生の頃、友人が親と喧嘩したという話をしたことがありました。友人は「親に次のテストで頑張るから良いイヤホンを買ってほしい」と頼んだそうです。しかしこれは前回同じように頼んだ時に成績がかえって悪くなったため、却下されたそうです。友人はこれに対して文句を言っていたのですが、私には全く共感できませんでした。そこで正直に「それはお前が悪いやん」と言ってしまったのですが、これは正しい接し方ではなかったように思います。恐らく友人は自分の思い通りにならなかったことが気に食わなかったので、「酷い!」と思ったのだろうと思います。嫌な気持ちになったんだなぁということはわかります。理不尽な理由によって感情が左右されることはあると思います。しかしその時、「それは酷いな!」と言って寄り添うことが正しい接し方だったのでしょうか。

人の思考にはよくバイアスがかかっています。特に愚痴を言う時には、被害者になりがちです。なので共感しづらいなと思うことがよくあります。しかし愚痴を言う時には、共感が求めていることが多いような気がします。でも心の中で違うだろうと思いながら共感することが、自分の中で気持ちが悪いのでできればやりたくありません。誰かに話したいと思う人がいるなら話される人が必要だろうと思うのですが、それができないということです。

まあ幸い、共感が得意な人は結構いそうなので、わざわざ苦手な人がその役割を果たす必要はないのかもしれません。しかしわざわざ自分の意見を言うのはかえってその人を嫌な気持ちにさせると思うので、結局黙ることになります。頭の中でこんな風に考える人がいるんだなぁとか、自分にはそういう経験がないからなぁとか思ったりします。そして結局、共感はできないまま終わります。つまり、結論としてはどうしたらいいのかわからないというところに至ります。

これを書きながら、「そもそも共感できないような内容に共感を求める人が悪いのでは?」ということも思いました。しかし論理的でないと理解していても(或いは理解していなくても)どうしようもない気持ちになることはあるのではないかと思います。そして良い悪いの問題ではないとも思います。ただそういう人がいた時に、自分はどう接するのか。それが自分の中できちんと決まっていません。答えは出ないままですが、頭の片隅に置いておきたいと思っています。

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