そこに在るということ

何もしない、だけどいつでもきてもいいよ、という形で在ること。それが私の正しい形だとは思っているが、なによりそれは私が何かをした時にそれが失敗することが怖いことなのではないかと感じている。

私自身は相手に何かをすることが好きな人だった。でも、なにかをするということはそれが受け入れられるかどうかは相手に委ねるということが必要だ。もちろん、受け入れるも受け入れないもその人の自由になる。

ただ、そこで私が受け入れられなかった時に傷つく。これは揺るがない私の心の動き、感情。それを自覚し、受け入れるまでの体制が私にはまだ備わっていない。だからこそ、何かをするのではなくそこに在るという選択をとっているのではないかとおもう。

ただ、それでいいとも思う。私自身が苦手なことをこれ以上するのも私が傷つくだけである。それに、何かをすることをしすぎることはパターナリズムの恐れがあるのでは無いかと感じてしまう。

在る、という支援を。

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