月輪観の応用ー慈悲の仏随念ー
念仏というと南無阿弥陀仏と仏の名を唱える、称名念仏が日本では主ですが、「仏を念ずる」ということで仏の功徳、その特性を思い念じるのも広義では念仏とされます。
南伝では仏随念といって仏の功徳を念じる方が「念仏」の主たる意味になります。北伝でも観想念仏と言って、仏の姿や光や徳性を念じることがありますがこれも「念仏」です。
仏随念または観想念仏で仏の慈悲を念じます。
それは実際にはホトケのほうが私を「私が幸せでありますように。私の悩み苦しみが無くなりますように」と思ってくれていると信じ念じます。それにより仏の慈悲を感じるわけです。
そして仏=真理=それは世界全体に遍満している=つまり世界全体に慈悲が遍満している→おれはそれに包まれてるという連想ゲームをするわけやね。
包まれるのを感じるのは月輪観の月輪を広げたり狭めたりしてその月輪の中に自分がいる感じを練習して慣らしていきます。
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」
ホトケさまは俺一人のために心配してくださっているのだ、と思えるようになれると幸せな感じになります。
それだけ愛されているのですから、肩の荷を下ろして気楽に暮らしていきましょう、ということです。
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