故人からしてもらった良かったことを思い出すのが供養です

自分の親兄弟でもペットでもいいですが、実際にかかわってると嫌なこともあるでしょう。
亡くなった後、それを自分の中で整理して、教訓を導き出す。
「薬」にできたらそれがつまり供養の功徳です。

亡くなった方とどんな関係でも関りがあったということは、良きにつけ悪きにつけ、形のあるなしにかかわらず「何かもらっている」わけです。

そのうち楽しかったこと、良かったことを思い出す。
指折り数えて思い出す。
それはくれた人の愛情です。
それだけ愛されていた、気にかけてもらえていたという証拠です。

さて、ここで「だから感謝せよ」と持っていくのが普通のことですが、私見では無理して感謝しなくていいと思います。
あなたが感謝しようがしまいが、気づいていようがいまいが、相手の愛情は厳然として存在している。
私はその事実があればいいと思うのです。

しかし、感謝すると、当人が幸せになれます。
あんなこともあった、こんなこともあった思い出して、とても気持ちがいい。
それも供養の功徳だと考えます。

形があるなしにかかわらずそのように何かもらっている、その何かは貴方と一緒にあります。だから、そのもらったものを大切にするためにも、ご自愛いただき、その幸せな気持ちのいい心で、みんなで仲良く暮らせるように死ぬまでぼちぼちと生きていく。

これも御信心の暮らしだと思われます。

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