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野沢雅子さんとの思い出(一方的に)

憧れの人

私には自分が死ぬまでに会ってみたい人が2人いました。1人目はドラゴンボールの原作者、「漫画家・鳥山明先生」。2人目はアニメのドラゴンボールの悟空役の「声優・野沢雅子さん」です。  小さい頃、両親が共働きだった私は家に帰ってくると、決まって漫画のドラゴンボールを読んで暮らしていました。主人公の悟空に憧れて、近所の海にある岩山の上の神社までの階段を往復したり、ランドセルにはセロハンテープの台や大きな石を入れて重たくして学校に通ったりしていました。アニメのビデオも擦り切れるほど見ました。色んなことをドラゴンボールに教えてもらいました。

伊勢丹の悲劇

大人になった私は会社に就職して転勤生活。東京勤務だった2017年の5月、新宿の伊勢丹でドラゴンボール×アラレちゃんのコラボの期間限定イベント・カフェがあり、初日には「野沢雅子さん」がゲストでトークをするとの情報を発見しましたが、あいにくその日はド平日の業務時間中。妻は「いつまた東京から離れるかわからないし、地方だと中々こういった機会もないし、有給取っていってきたら?」と言ってくれましたが、散々迷ったあげく、仕事も忙しい時期だったので諦めることに。後日、そのカフェを訪れると、壁には野沢雅子さんのサインがありました。ドラゴンボールの音楽とドラゴンボール好きな人たちに囲まれながら、私は感動と後悔の気持ちから泣きながら、カフェの筋斗雲カレーを食べました。「やっぱ行っておけばよかったな。」そんな気持ちでコラボグッズをたくさん買って帰りました。 

奇跡の電車

それから4か月ほど経った、2017年9月24日。妻と息子、義妹と4人で、息子のあんよの練習に芝公園にお出かけしました。東京タワーにも遊びに行き、アニメイトに立ち寄ると、ドラゴンボールのステッカーがあったので、いつものようにお布施をしました。「あー、今日はかわいいドラゴンボールのステッカーも買えたし、よかったなー。」と満足しながら帰宅の路につきました。電車に乗って帰っていると、とある駅で人がたくさん乗ってきました。 何となく気になって、私がその人混みを眺めていると、一瞬、目を疑いました。なんと野沢雅子さんが電車に乗って来たのです!私は野沢さんが乗って来た瞬間にすぐご本人だとわかり、妻や義妹に「ちょ、野沢さん!え、待って!」、妻は「え?ノゾムさん?」、「違う!野沢雅子さん、悟空の!」、「は?え、本当だ!うわ、私あまり関係ないのに鳥肌立った!」。野沢さんは車両の真ん中くらいの席に座りました。電車は混んでいたので満席です。私たちはベビーカーがあったので車両の端っこの広いスペースのあるところに乗っていました。車内の他の乗客は「野沢さん」の存在に誰一人として気づいている様子がなく、野沢さんの隣に座っていた若い兄ちゃんは爆睡して野沢さんの肩を枕にしていました。私は「レジェンドになんてことを、、、」と内心、焦りながらも、野沢さんは静かに座席に座っていました。

最高の時間

3駅ほど過ぎて、ある駅で人がたくさん降りて、車両はガラガラになりました。野沢さんはまだ、そこに座っています。私は「ちょっと、行ってくる」と言い、ガラガラの電車で、野沢さんの横に座りました。野沢さんがチラッと私の方を見たので(多分、不審者かと思って警戒されたと思います。あの時はご心配おかけして申し訳ありませんでした 汗)、私は「野沢雅子さんですか?」と聞きました。「はい、そうです。」。私は嬉しすぎて何が何だか分からないまま、「ドラゴンボールが大好きで、ずっとお会いしてみたかったんです!」「あなたの声で色んなことを勉強させてもらってきました!」「息子にも悟空の服のロンパースを着せているんです!」とテンパりながらお話をしました。野沢さんは「ありがとう。」と、気が動転している私にも親切に対応してくださいました。「息子があっちにいるんで連れてきていいですか?いい子いい子してあげてくれませんか?」、「はい、いいですよ。」。妻たちの元に一旦、戻ってベビーカーから息子を降ろそうとベルトを外そうとするが、手がガチガチに震えていて上手く外せない。妻と義妹も一緒に行きたいとのことで、ガラガラの車両に、私+息子・野沢さん・妻・義妹の並びで座りました。「お名前は?」と野沢さん、「はい、○○○です!実は自分の中では悟空を意識していて、こうこうこうなんです!」相変わらず何を言っているのか自分でもよくわからない自分、妻、「えっ!そうだったの!?」、野沢さん「かわいいねぇ」と頭を撫でてくれました。私もどさくさに紛れて、握手してもらいました。何駅かの時間、電車の中でご一緒させていただくと、「私は次の駅なので。」と。丁寧に御礼をお伝えして、野沢さんとお別れしました。妻や義妹は、「すごかったね!なんか私も泣きそうになったよ!」と、「サインとか写真撮ってもらえばよかったのに!」と。私は、気も動転していたので、写真やらサインやらのことはすっかり頭になく、ただただ、お会いできて電車で隣に座れて、お話ができて、自分の気持ちが(上手くは伝えられなかったけれど)伝えられたことに大満足をしていました。確かに写真お願いしてみたらよかったかなとは思いましたが、しっかりと自分の思い出に焼き付けることにしました。今でもたまに息子には「あんたは、悟空にいい子いい子してもらったんだよ。」と伝えています。伊勢丹では寂しい思いをしましたが、それ以上の最高の思い出ができました。あの日もきっとドラゴンボールにお布施していた効果があったのかな。
「サンキュー!神龍!!」 

野沢雅子さん、いつまでもお元気で、これからも悟空の声で色々教えてくださいね!

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