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#44 学校教育で救える人生~ケーキの切れない非行少年たち感想~

ケーキの切れない非行少年たち(宮口幸治著、2019年初版、新潮社)のオーディオブック(2021年配信、audible)を聴きました。
 本記事では、はじめに宮口先生の生き方について感じたことと、次に本書の中で特に考えさせられた点3つを紹介します。

目次
1.はじめに
2.学校教育で救える人生
3.知能検査によって見落とされる子どもたち
4.被害者意識の根底には、自己肯定感の低さがある


1.はじめに
 まず第一に印象に残ったのは、著者の宮口先生の、自身の仕事、即ち対象となる子どもたちへの真剣な向き合い方とその行動力です。

 宮口先生は、現在立命館大学産業社会学部・大学院人間科学研究科教授をされていますが、元々は精神科医で、公立の精神科病院で児童精神科医として発達障害・被虐待・不登校・思春期の子どもたちの診察や犯罪を犯した少年の精神鑑定をされていました。
 しかし、医師として子どもたちと接する中で、発達障害や知的障害をもち、非行を行った少年たちを、医療により根本的に治療することの難しさを知りました。どうしたらそうした子どもたちを救えるのか考えた末、支援のヒントを見つけるために、病院勤務をやめて、医療少年院で法務技官として働くことを選び、現職につくまで、法務技官として子どもたちと向き合ってこられました。
 対象が抱えている課題に対するアプローチ方法を真摯に考えるという姿勢と、その結果今の職を捨てて異なる職種につき、違った視点で対象と向き合うという行動は、なかなか簡単にできるものではないと思います。その背景には、問題の本質を考える力、今の環境では対処が難しいという客観的判断力、新たな分野で勉強し直すという行動力があります。私も、こうした姿勢を見習っていきたいと感じました。


2.学校教育で救える人生
(1)ポイント
・小学校で困っている子どもの問題点は、少年院少年が小学生の時の特徴と共通している。
・それらの問題点の多くは、認知機能の低さに基づいている。
・非行少年の多くは、そもそも反省ができず、葛藤すらもてない。
・子供が少年院に行くということは、ある意味、学校教育の敗北である。

(2)振り返り
 私に強く印象付けられたのは、彼らの問題の根幹は、認知機能の低さであり、これを救えるのは、認知機能を強化すること以外にはありえず、またこの役割ができるのは学校であるということです。
 反省ができるということは、正しい自己評価ができる認知能力を持っているということです。少年院の少年の多くは、認知機能に何らかの問題があり、そもそも正しく状況を認知することができないと言います。
 しかし、認知機能の低さは、凶悪犯罪を犯した少年院の少年のみの特性ではありません。このように、認知機能が低い子どもは、実は学校にも沢山いて、実際彼らは「じっと座っていられない、不器用、先生の注意を聞けない、計算、漢字が苦手」などの問題によって、SOSを出しているのです。
 ただ、そのような子どもは、他の点では他の子と変わりなく過ごしているため、周囲に問題が気づかれにくく、単に怠け癖がある、やる気がないなどと認識されることになります。
 本来は守られるべき弱い存在の彼らが、社会に馴染めず非行に走るのは、彼らが出していたはずのSOSを大人が見落としていたということなのです。逆に言えば、学校教育には、正しい理解と対処法によって救える子どもの人生が沢山あるということです。
 学校の先生のみならず、私達大人にできることは、こうした弱い存在の子どもたちがいるという事実を認識することだと思います。
 
  

3.知能検査によって見落とされる子どもたち
(1)ポイント
・知的障害の現在の診断基準は、IQが70未満で社会的にも障害があること。この定義では、およそ全体の2%が知的障害に該当する。
・1950年代の一時期、知的障害はIQ85未満とするとされた。現在ではIQ70~84は、境界知能とされている。
・境界知能の子どもたちは全体の14%。35人クラスで5人に該当する。この子どもたちは、様々なSOSを出している可能性がある。

(2)振り返り
 ここから私が感じたことは2つです。
 まず1つ目に、学校教育は、クラスで下の子どものサポートも重視するべき場所だということです。クラスに5人とは、かなりの割合で生きにくさを感じる子どもたちがいる可能性があるということです。
 クラスの上位の子どもは、家庭環境に恵まれ、塾など学校外の勉強もできる環境の子が多いでしょう。一方、生きにくさを感じている子どもたちの多くは、家庭環境に恵まれず、学校以外にサポートを受けられない場合もあります。公教育である学校は、まさにこうした子どもたちが社会に出る時大変な目に遭わないように、少しでもサポートすることができる唯一の存在とも言えるのです。
 2つ目に、現在慣例的になされているIQによる知的障害の診断は、改正されていくべきだということです。実際に少年院の子どもにも、境界知能や、軽度知的障害の子どもがいることは、現在の「IQが70未満で社会的にも障害があること」という知的障害の診断基準のせいで、支援の輪から見落とされてしまう子どもが沢山いるということです。IQを診断基準としてしまうと、基準を上げた場合は支援体制が追いつかず、下げた場合は現在のように見落とされてしまう子どもたちが出ます。IQによる診断でなく、本書に取り上げられているような認知機能の評価方法が、知的障害の診断に導入されていくべきではないかと感じました。


4.被害者意識の根底には、自己肯定感の低さがある

(1)ポイント
・非行少年の多くは、被害者意識が強い。
・認知機能、判断能力の低さが、被害者意識を助長する。
・非行少年の多くは、自己肯定感が低い。
・自己肯定感は、無理にあげる必要はない。ありのままの自分を受けれていく強さが必要


(2)振り返り
 非行少年の多くは、「相手が睨んできた」「周囲が自分の悪口を言っている」など、被害者意識を非常に持ちやすいと本書では説明がありました。被害者意識を持ちやすい理由は、正しく聴く力や見る力(相手をしっかり見つめる力)、正しい判断能力(他に考えられる理由はないかを推察する力)が低いことだとありました。
 しかし私はこれを聞いて疑問に思いました。認知能力、判断能力が低いことで情報を誤って認識することは分かりますが、何故それが被害者意識に向いてしまうのか?もっと肯定的な勘違いをすることもありえるのではないか?と。 
 その疑問の答えも本書に書いてありました。被害者意識の根底には、彼らの自己肯定感の低さがあったのです。自己肯定感が低いということは、このように、何でも被害的に受け止めてしまうことに繋がるのだなと知りました。
 非行少年の自己肯定感が低いことからは、家庭環境や学校など、それまでの彼らの人生において、自信を持てる機会が無く、むしろ虐待やいじめなど、自信喪失につながる経験を積んできたことが容易に伺えます。そんな彼らが、基本的に被害者意識を持ちやすいのは、考えてみれば当たり前です。
 しかし一方で宮口先生は、自己肯定感を無理して上げることは、誤った自己認識にも繋がる。必要なことは、正しい自己理解だと仰っていました。私はここにひどく納得しました。 自己肯定感の上げ方に関する書籍が人気になるのは、自己肯定感の低い大人が沢山いるからです。そうした大人たちが沢山いるにも関わらず社会が回っているのは、、ある意味彼らは自己肯定感が低くても生きていける強さを持っているからとも考えられます。
 生きていく強さを持つために、自己肯定感を上げるというのが一つの方法ですが、先に述べたように、自分の姿を正しく認識できる強さを持つことの方が、本来は重要なことなのではと考えさせられました。
 自己肯定感を持つことは、被害者意識など二次的な問題を引き起こさないためにも大切なことですが、だからといって無理して上げれば、根拠のない自信や、自身の弱い部分を正しく認識できないことに繋がり、それは人間関係においても支障をきたしてしまうでしょう。
 子どもには、自信を付ける機会を作ることも大事ですが、自分を正しく理解できる機会を設けることも同様に大事なのだと思いました。
 
 

以上、「ケーキの切れない非行少年たち(宮口幸治著)」の読書(聴書)感想でした。

ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。

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