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まずは言葉への信頼回復を | 宇野 重規

本日6日目。ビッグイシュー406号の特集『コロナ禍で考えた“民主主義”』に寄せられた7つの寄稿を、1日1本ずつ紹介しています。

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■ 勝手要約(オリジナルは1500〜2000文字程度)

民主主義の基礎的条件の一つは「平等」だ。最低限の平等が確保されていなければ、社会を自分たちのものと感じ、力を合わせて問題に取り組もうとは思えない。民主主義のもう一つの基礎的条件は誰もが声をあげられること。古代ギリシアでは「イセゴリア(発言の平等)」と呼ばれていた。

コロナ禍において、これまでに各々が感じていた諸問題は悪化した。多くが孤独を感じ、問題を自分だけで抱え込んでいる。それは「自分の声は政治に反映されていない。聞いてもらえていない。それなのになぜ人の話を聞かなければならないのか。」という不信の蓄積の結果だ。

民主主義を取り戻すためには、平等と、聞いてもらえるという安心が必要だ。まずは言葉への信頼回復から始めよう。多様な人々が政治に参加する民主主義の下では、意見や利害はバラバラだ。それでも互いに言葉を交わして調整や妥協をし続けるには、相手に対して「考えは理解できる」「嘘は言わないだろう」「理解しようとしている」と感じられる必要がある。
こうした姿勢を感じられる代議士がいるだろうか…。
ただ、彼らを選んでいるのは私たち有権者だ。

■ 感想とか

7本の寄稿の中で、一番激しく共感したのがこの「言葉への信頼回復」だ。
内容は勝手要約に書いたけれども、そこには入れられなかった言葉も、胸に刺さるものが多かった。

<社会が自分のことを考えてくれないのに、なぜ自分は社会のことを考えなければならないのか>

 -- こういう言葉は昔は「弱者やアウトサイダーの発言」としてピタッとくるものだったと思う。
これを「自分ごと」として感じられるのは、日本に暮らす人たちの1割から、まあ多くても2〜3割だったんじゃないだろうか。根拠となる数字的なものは何一つなく感覚的なものに過ぎないのだけれど。多くの人は「自分がこの言葉を口にする資格はない」と感じたのではないか。

ところが今では多くの -- おそらくは半数以上の -- 人が、この言葉に一定の自分ごと感を感じるのではないか?

言っておくが、内容に対して「その通りだ」と思うわけではない。そうではなく「そう言いたくなる気持ちが十分理解できる」と思えるということだ。

<自ら発言し、自分の話を聞いてもらう。だからこそ、他人の話も聞くし、意見が違っても尊重する>

 -- おれが民主主義を尊重し応援しているのは、自分が自由でありたいからだ。
自分の自由を守るためには、自分の自由についての考えを聞いてもらう必要があるし、それがどこかみんなの自由と違っても、尊重してもらう必要があるからだ。
だからこそ、おれは他人の話を聞こうと思っているし、意見が違っても尊重したいと考えているし、自分の意見をガチガチに凝り固めてしまわないようにと思っている。
おれが自由でいられるように、みんなにも自由でいて欲しいから。

<みんなで力を合わせて解決していく。そう思えないとき、民主主義は空洞化する>

 -- この言葉を冷笑したり、どこか遠い国の話のように感じてしまうことなく、心から「自分たちへの警告」と感じられるようになりたい。
なれるかどうかは選び方次第。

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