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影響は受けても振り回されない

「23年ぶりの海外暮らしと自分の弱さのどこか続きみたいな感じだけれど、ここ数日感じている自分の心境の変化について書いておこうと思う。
だってきっと、しばらくしたらおれはまた、今のこの気持ちをすっかり忘れてしまうのかもしれないから。

■ 家を持つことは自分の可能性を狭めることとイコールじゃない

もう何十年も自分の中ではタブー視してきたことなんだけど、「家を持って住む」のも、ありなのかもしれない。
これまでずっと、「家を持つ」ことは「自分の可能性を狭めること」とイコールだと考えてきた。そしてそう思っている自分がいる限り、「家を持つことを考える自分」を受け入れることができなかった。
だってそうでしょ? 自分の可能性を狭めることを分かっていて、それを受け入れるなんて…。それってつまり、自分が自由じゃなくなって、つまらない奴になることを認めるようなものじゃないか。

だから、どれほど強くパートナーがそれを望んでいても、「それは絶対になしだ」って取り合わずにきた。「それは、最初からの約束だよね?」と。それについて再考すること自体を拒否してきた。
でも、もう、そこにそこまでこだわらなくてもいいのかもしれない。0か100かで考える必要はなくて、20か、あるいは50や75に身を置いたっていいんじゃないだろうか。家を持ったって、そこから飛び出すチャンスを諦めたわけじゃない。
いい機会が目に入ればいつだって飛び込んでやる。ただ、機会の可能性がいくらか減ってきているという状況を認めるだけだ。
おれの心もいくらか変わったのだろう。それは認める。ただし、可能性や自由を諦めたわけじゃない。少々リアリスティックな視点も取り入れて、「チャンスがこないかもしれない」という現実にもう少しアジャストするだけだ。

そしてもう少し深掘りして書けば、おれは「人にどう見られるか」と、「人にどう見られたいか」に、ものすごく影響を受ける人間であり、それが自分の行動や思考にどれほど大きな影響を与えるかを知っている。ようするに、人目ばかり気にしているカッコつけ野郎だってことだ。
ただ、ここ数年で、人目がもたらす影響に振り回されないことが、どれだけカッコいいことかってことを学んだ気がしている。そして、影響を受けようとも、振り回され過ぎない自分でいられるという自覚や自信も出てきている。だから、きっと大丈夫。

■ 自分のために音を鳴らしてみたい

日本に帰ったら簡単にコードを弾ける楽器を買おう。できるだけ簡単に弾ける弦楽器を。
指が痛いのとか練習が大変なのは嫌だ。楽しむためだけに、簡単なコードだけでいいから覚えたい。

昔のおれは、周りを驚かせたくて、感心してもらいたくて、音を鳴らしていた。
自分が楽しむのは二の次だった。楽しいのは関心や仲間からのリスペクトを集めることで、音楽そのものを楽しんでいなかった。
そうじゃなくて、下手くそで笑われていいから、音を奏でたい。自分が気持ちよく楽しくなるために。それで周りも楽しめればそれはサイコーにステキなおまけだ。

それから、何かを学ぼうと思う。
これも、金になりそうだとか、何かの役に立ちそうとかじゃなくて、もっと純粋に自分自身のために。それがなんなのかはまだ分からない。でも、ひょっとしたら、これまで一度も頭に浮かんだことすらないものだったりするのかも。

University of Glasgowで学びに感化されたかおれ??
ロンドンの地下鉄って本当に深いよね。一曲歌いきれそう。

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