創作「苗字」

先輩「えっと、今日から新しく来た人たち?」
柳楽、山崎、中島「「「はい、よろしくおねがいします」」」
先輩「うん、よろしくね。実は、三人よりちょっとだけ早くこの職場に来た人がいるんだよ」
峰田「峰田です」
先輩「みねた君は」
峰田「みねだです」
先輩「ごめんごめん。峰田君は三人と同期っていう扱いになるから、よろしく頼むね」
峰田「あ、そうなんですか」
先輩「何言ってんの。みねた君だって先週来たばっかりなんだから」
峰田「みねだです」
先輩「あ、そっかごめん。いや友達に同じ字で『みねた』の奴がいるからさ」
峰田「でも僕は、みねだなので」
先輩「ごめんごめん。じゃあ、やまざきさん」

山崎「やまさきです」
先輩「ああ、やまさきなんだ。珍しいね」
峰田「そうでもないでしょ」
先輩「そう?俺この字で『やまさき』の人と初めて会った」
峰田「しずちゃんとかもそうですよ」
先輩「え?しずちゃんって、去年入ってきた靜本みゆちゃん?」
峰田「違います。あとちなみに、靜本さんは靜本みうですよ。『未優』って書いてみうです」
先輩「嘘だぁ」
峰田「そんで靜本さんのことじゃないです。南海キャンディーズの」
先輩「ああ、山ちゃんの隣の。しずちゃんって下の名前から取ってるんだ」
峰田「そうですよ。山崎静代でしずちゃんです」
先輩「え!?やまさきしずよって、もうそれ山ちゃんじゃん!」
峰田「山ちゃん二人じゃ困るでしょ」
先輩「じゃあもう南海キャンディーズって、山里とやまざ…」
峰田「さと」
先輩「え?」
峰田「山ちゃんはやまざとじゃなくて、やまさとです」
先輩「おいおい。まじかよ。この短時間で、俺の脳内にある名前のフォルダパンパンになってきたんだけど」
峰田「大事ですよ。ちょっと間違えただけでも、その人からの信用を失うことだってあり得ますから」

先輩「…よし、分かった。これから『山ちゃん』って呼ぶわ」
峰田「え、僕を?」
先輩「なわけないだろ。やまざきさんのことを、だよ」
山崎「やまさきです」
先輩「な、絶対間違えるもん。大丈夫?山ちゃんって呼んでも」
峰田「どんなアポイントメントだよ」
山崎「いいですよ、何て呼んでくれても。別に、やまざきさんでもいいですよ」
先輩「いやいやいやいや。ずっと間違えるのは申し訳ないから」
中島「あの」

先輩「ん?どうした、なかじまくん」
中島「あ、えっと、トイレってどこにありますか?」
先輩「ああ、ここ入るときにドアの右側に道が続いてたと思うんだけど、その先にあるよ」
中島「ありがとうございます。ちょっと今から行っても…?」
先輩「うん、全然大丈夫。じゃあなかじま君は、えーっと…。二人の説明が終わってからにするね」
中島「すいません」




先輩「合ってる?」
峰田「んー、多分」
先輩「あっぶねぇ~。怖えぇ~」
峰田「何を怖がってるんですか」
先輩「だって呼んだ後の反応がイマイチなんだもん。二回呼んで二回とも『あれ、なかしまだったか?』て思わせるリアクションだったんだもん」
峰田「そんなに名前に敏感にならなくても」
先輩「お前が敏感にさせたんだぞ」
峰田「まあ、それは、否めないです」
先輩「もうやだよ~。なんで人の名前呼ぶだけでロシアンルーレットみたいなヒリツキ感じなきゃいけないんだよ」
山崎「私はどっちでもいいですけど」
峰田「僕は、ちょっと嫌ですね。この苗字で長年やってきてるんで、今更みねた、って呼ばれても傷ついたり、凹んだりはしないですけど。その分、ちゃんと峰田って呼んでくれる人には嬉しくなったり、好きになったりしますよ」
山崎「私は自分の苗字にあんまり興味が無いというか。名前って結局、多すぎる人間を区別するための記号なだけだと思ってるんで。例えば、囚人ってそれぞれ番号で呼ばれるじゃないですか。そこで刑務官は、2番に用があったら『2番!』って呼びますよね。でも、この刑務官が実は3番に用があったとするじゃないですか。それだと「3番を呼ぶつもりが2番を呼んでしまった」というトラブルが起きますよね。でも私の苗字って、いわば2番でもあるし、3番でもあるってことだと思うんです。まあ厳密に言えばやまざきではないんですけど。だから、私が呼ばれたということを、私が把握すればいいだけの話で、本当にどっちでもいいんです」
先輩「なるほど。どちらの意見も、一理ある。でもその上で、僕は出来るだけ、皆のことを本当の名前で呼びたい。新入りの四人だけでなく、しずちゃんや山ちゃん、西田敏行から東野圭吾まで、北里柴三郎でさえも」
峰田「きたざとですけどね」

先輩「この世の全員を間違えずに、本当の名前で認識したい!そう思っている!」
山崎「私はどっちでもいいんですけどね」
先輩「そんなことない!君だって本当の名前で呼ばれたいんだろう!?やまざきさん!」
山崎「やまさきです」
先輩「みねたくん!」
峰田「みねだです」
先輩「そして、…なかじまくん!」
柳楽「なかしまです」

峰田「え?」
柳楽「なかしまですよ、彼の名前」
先輩「そうなの?」
柳楽「さっきちょっとだけ会話したんですけど、そのとき『なかしまです』って自己紹介されました」
峰田「先輩、やっぱ間違えてたじゃないですか」
柳楽「ところで、先輩」
先輩「…なんだ?」
柳楽「…言えないでしょ?」
先輩「…何がだ?」
柳楽「…俺の名前、言えないでしょ?」

峰田「………」
山崎「………」
柳楽「さっきから何度も言うチャンスがあったのに。あなたは俺の名前を一向に言おうとしなかった。それは、俺の名前が読めないからじゃないですか?」
先輩「………」
峰田「え、そんな難しい漢字なんですか?先輩、ちょっと、紙、見せてください。………え、やぎら、じゃないの?」
柳楽「今の若い人はそう読む人が多いでしょうね。同じ漢字の人気俳優がテレビに出てるから。でも、その俳優がまだ有名じゃなかった頃。もっとさかのぼると、一人のフォークシンガーが名を馳せていました。では、先輩。そのフォークシンガーの苗字は?」
先輩「………なぎら、だ」
山崎「そ、そんな……。まさか、先輩は…」
峰田「やぎら、か、なぎら、で、ずっと迷っていた……?」
柳楽「そういうことです。いやあ、先輩。十分楽しませてもらいましたよ。俺の名前を呼ぼうか否かとためらっているその姿。最高でした」
先輩「くっ…」
柳楽「さあ、決断の時です。やぎらかなぎらか、どちらか選んでください!」
先輩「………..や….やg」
中島「待ってください先輩!」

先輩「…!!」
中島「俺、今急いで、本名変えてきました!!」
峰田「は?」
中島「今日から俺は、なかしまじゃなくて、なかじまとして生きていきます!」
山崎「え?」
峰田「本名変えるにはきっかけが些細すぎるでしょ」
中島「いえ、蓄積の末、です。学生時代から散々、なかじまと言われ続けてて。それでさっきの先輩の呼び間違いが最後の一滴となって、俺を役所まで連れて行きました」
峰田「ああ、溜まるものがあったんだね」
先輩「そうか。本当に申し訳ないことをした」
中島「いえ、違うんです。先輩も、今まで間違ってきた人たちも、誰も悪くない。だけど、僕も悪くない。僕の両親だって、祖父母だって悪くない。悪いのは苗字だけ。だから、苗字を変えたんです」
山崎「私は気にしないですよ」
峰田「気にしすぎもよくないな、奇行としか思えないもん」

中島「おい、柳楽。ちょっと意地悪がすぎるんじゃないか」
先輩「え…!」
柳楽「…そうだな。すみません先輩、改めまして、やなぎらです」
峰田「さっきまでの威勢が、中島の本名変更のせいで全部消えてる。多分この中で一番引いてるじゃん。即座に名前変えた事実に。」
先輩「そっか。やなぎら、って珍しいね」
柳楽「よく言われます」
先輩「じゃあ、全員の苗字の正しい読み方がしっかり分かった所で、業務の説明に入るよ」
峰田「その前に、そういえば先輩の名前まだちゃんと聞いたことなかったです。教えてくださいよ」
先輩「俺?俺はね、これ」

峰田「読み間違い以前の問題じゃねえか」

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