2022 週記8【寒い】

昼の12時を過ぎないと起きられない日々が続く。

冬は好きだ。なぜなら「あったかい」と感じられるから。夏の暑い日差しの下で「あったかい」を感じることは出来ないが、冬の寒さに耐えるために作られた機器は、夏の日差しより熱いものであっても「あったかい」と感じることが出来る。
しかし朝はそうもいかない。冬の朝は全然好きじゃない。あったかくないから。
寒すぎる部屋の中で、唯一布団の中だけがあったかい朝。そりゃあ簡単には起きられない。

午前中から用事がある場合は別だ。用事は、どれだけ外が寒かろうと、布団の中があったかろうと、時刻に間に合う必要がある。
そうなると私の身体は純粋で、ちゃんと目覚めたい時刻に起きてくれる。
最近その機能も衰えはじめ、遅刻する頻度も少しずつ上がってきたが、それはそれとして。

春休みが始まり、普段の起床時刻が正午になった。
正午になっても外は寒いし布団はあったかいのだが、「昼にもなり寝ているのはヤバい」という潜在意識が私の身体を起き上がらせる。そこでは寒さとかあったかさとか関係なくなる。

我が家が暖房を使うようになった。
今まではストーブを使っていたのだが、定期的に運ぶ必要のある灯油の重さに苦しんでいた母が、電気代の高さを引き換えに楽を手にした。(まあ、運んでいるのは私なのだが)

この数日使ってみて思ったのは、「ストーブの方が断然いい」ということだ。
温暖機器において私が優先するのは「あったかい」を感じられるかどうかだ。
ストーブはわかりやすく「あったかい」。ストーブの上の方に手を当てて「わー、あったかーい」という光景が簡単に思い浮かべられるくらいに「あったかい」を体現している。

しかし、暖房はどうだろう。
確かに、部屋は暖かくなる。部屋という空間は余すところなく温められる。
でも「あったかい」には遠いんじゃないか、と思う。
私が思うに、「あったかい」には点が必要だ。
この点が他の場所より「あったかい」。その対比が必要なのだ。

部屋の隅から隅まで温めるのなら断然暖房を使うべきだ。空気を温めるから。
しかし私は「あったかい」が欲しい。「暖かい」ではなく。
大事なのは、「あったかい」は、「寒い」とかなり密接だということ。死の淵に立って初めて生を実感する、みたいなことで、「寒い」の近くに「暖かい」があることで初めて「あったかい」と言える。

冬の朝の布団の中にも同じことが言えるだろう。
布団の外は極寒だが、そのおかげで布団の中にいたいと思えるし、布団を好きでいられるのだろう。


明日は午前11時から予定がある。
準備の時間を考えると、10時ごろには起きたい。
しかし、こんなにも「あったかい」が好きな私は、目覚めることが出来るのだろうか。目覚められても、布団から出られることは出来るのだろうか。

不安でいっぱいだ。

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