週記34【君がいた夏】

「夏の終わりと謳った人たちは、今のこの気温をどう思っているんだろうか」
男は火をもみ消したあと、ため息交じりに言った。
「別に夏が終わったから暑くなくなるってわけじゃないでしょ」
「いや、そんなことは許さないね。夏というものは、暑いを具現化したものなんだ。夏が終わるということは、暑いも終わる必要がある」
それは暴論ですよ、と制すが、男は止まらない。
「夏という言葉に包括しすぎだという指摘も認める。すべての暑いを背負うなんて、夏には荷が重い。しかし、だ。残念ながら、秋という言葉には、暑さなんて微塵も感じない爽やかさ、そして儚さが詰まっている。もう一つ残念なことに、ここは日本だ。四季がある国だ。一年の中に、四季以外の日が一日でも入るべきではない。そうなると、だ。今のこの暑さは誰が取り仕切るんだ。夏しかいないだろう?」
季節にとやかく言うのはあなたくらいですよ、と言ってやりたいが、僕も気持ちはこの男と同じだ。汗で肌着とくっついた背中は、冷房が効いた部屋でもしばらく離れない。
無性の居心地の悪さが外に漂う分、冷房の効いた喫茶店の中は楽園だ。店主の意向か、効きすぎて少し寒いくらいなのが、とてもいい。
男は、未だ暑い日差しの中、半袖のシャツに、ジャケットを右腕にかけ、店に入った。そんなに暑いのが嫌いなら、ジャケットなんて持たない方がいいでしょ、とは言わなかった。

最近はカフェラテじゃないんだね、と男は尋ねた。
「そうなんですよ。ちょっと前に人生で初めてクリームソーダを頼んだんですけど、これめちゃくちゃ美味しいですね」小学生のような商品の感想を、小学生みたいな言葉で発してしまった、と、話した後に恥ずかしくなる。

最初は上のソフトクリームの部分だけに手を付ける。ストローには待てと言い、スプーンを持つ。暑い季節に寒い店内で食べる冷たいソフトクリームは格別だ。寒い店内では溶けるスピードが遅い点も良い。
ソフトクリームの土台となっていた氷が融け、ストローが入る穴が出来たころ、もしくは溶けたものたちのせいでグラスから液体がこぼれそうになったら、ストローを解き放つ。このとき、ソフトクリームは半分行かないくらいに残しておくのがミソだ。ストローをグラスの奥まで突っ込み、吸い上げる。メロンソーダの甘いしゅわしゅわが口内に染み渡る。
この時点で充分至福と言ってもいいのだが、クリームソーダの真骨頂はここからなのだ。メロンソーダの量が半分を過ぎたころ、それは現れる。
それまでと同じように口に含んでいたメロンソーダの甘味が増すのだ。それもそのはず、残しておいたソフトクリームが良い具合にメロンソーダの領域に浸食し、グラスの中の液体は緑と白が混ざる。このメロンソーダ×ソフトクリームが最後に待っている楽園が、クリームソーダなのだ。

「少し前に、とある喫茶店でデザートを注文したんです。それが、デニッシュの上にソフトクリームが乗ってる、みたいなやつで。美味しそうだとは思ったし、実際美味しかったんですけど、結局自分の食べ方が正解だったのか、不安なまま食べ終えちゃったんです。でも、その不安って、美味しいものを食べるうえで一番必要ないものだったんだな、って、クリームソーダと出会ったときに初めて感じましたよ」
男はずっと興味がない様子でこちらを見ていた。しかし、話に熱が入るというのは怖いもので、どんなにそっけない態度でも、こちらを見向きしてくれているだけで自分の意見を肯定してくれているようで嬉しくなる。
少しの沈黙の後、男はぼそりとこう言った。
「そのデニッシュも、同じように食べればいいんだよ。まずソフトクリームを半分食べて、そのあとにデニッシュに手を付けるんだ。そうするとデニッシュと少し溶けたソフトクリームが上手く絡んで、一番おいしく食べられる」
何で知ってるんですか、と尋ねると、私もよく行っていたからね、と答えた。
「私は何度もその商品を食べてきた。試行錯誤を繰り返した私が行きついた正解の食べ方だよ。次行ったときに試してみると良い」
男はそう言ったあと、胸ポケットからウィンストンとライターを取り出した。

夏の暑さのせいか、男の煙草の火が影響したのか、それとも私のクリームソーダへの熱が災いしたのか、気づけばグラスからメロンソーダがこぼれだしていた。

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