あの頃セルフネグレクトだったかも
かつて私は、自分の住む世界が地獄のように感じていました。
団塊ジュニア世代のためまともな就職口が圧倒的に少なく、大学卒業後すぐに完全歩合制セールスの世界に飛び込んだこともあり、一口で言えばとても苦しかったんですね。
そのあたりのことはこの記事に書きました。
匿名で書いていたときのものなので、家族に見られるとちょっと嫌な表現がありますね。ま、いいか。
で、今日、木下斉さんのVoicyで若者のセルフネグレクトが取り上げられていたんです。
聴きながら、「あ、あのときの自分ってセルフネグレクトに近い状態だったのかも」と思いました。
■ 酒浸り
先程の記事では後半、仕事を辞めたことについて、「ついに精神と体のバランスが崩れて続けられなくなった」とサラッと書いています。
詳しく思い出してみます。
勤めてすぐは必死でしたし、不思議とビギナーズラックでそれなりに売れたので、無我夢中でした。
しかし、半年が経過し売れなくなってくると、目に見えて酒量が増えました。
最初は1本買えばしばらく残っていたウイスキーのボトルが、数日でなくなるようになりました。それが3日になり、2日になり、最終的には1本買っても2日と持たなくなりました。
それだけでは収まらず缶入りの何かも飲んでいました。
もちろん、一人飲みです。
市販の安いウイスキーは、1本700ml、アルコール度数は40%です。
そんなペースで飲んで良いようなものではありません。
仕事のサイクルも良くなかったかもしれません。
昼に出勤して、帰宅するのは午後10時過ぎ。それから飲み始め、未明ごろいつの間にか眠って、体調の悪いまま食事もせず仕事に行く。
入浴も、シャワーを適当に浴びるくらいでいい加減でした。
■ 交友関係の変化
1995年くらいのことですので今と違い、卒業すると大学の友人の多くとは本当に疎遠になりました。
連絡を取ったり、会ったりしていた数少ない友人とも、仕事のサイクルが合わなかったり、忙しかったりで疎遠になっていきました。
当時付き合っていた女性が留学したことも、こうした状況に拍車をかけました。
1995年、電子メールは一般的ではなく、というかそもそも個人でPCを所有している率がかなり低く、携帯電話料金はバカ高い時代です。インターネット黎明期で、Windows95が発売された年です。
相手とコミュニケーションを取るためには、直接会うか、固定電話か、ポケベルでした。
職場の人間関係といっても、完全歩合制の職場です。和気あいあいとは最も縁遠い場所でした。
四六時中怒号が飛び交うようなことはありませんでしたが、生活の潤滑油になるような人間関係が期待できるような場所ではありません。
まあ、一言で言えば孤立していったんですね。
■ 体を壊すというか「壊れてもいいや」
食事はいい加減(というかまともな食事は1日1回取るかどうか)、酒浸り、入浴等も適当…まあ、体を壊します。
といいますか、むしろ「別に壊れてもいいや」あるいはさらに一歩進んで「壊れたらいいのに」とすら思っていたフシもあります。
体調はいつもすぐれない感じでしたが、成人アトピーになりました。
顔の皮膚が真っ赤にただれるような炎症を起こしました。皮膚科で処方されたステロイドも、最初のうちこそ効いていましたが、そのうちあまり効かなくなってしまいました。
結局、仕事を1年は続けようという目標を達成し退職したのですが、さらに続けていたらどこかで「壊れ」ていたでしょうね。
■ どうでも良くなる
身体のこと以外でも、退職して気づいたことがいろいろありました。
諸々の連絡にまともに返答していませんでしたし、必要な手続きなどは放ったらかしで手つかずでした。
要はどうでも良くなるんですよね。
何がどうでも良くなるのか。自分のことがどうでも良くなるんです。
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