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28歳で15歳と10歳の女の子の父親になった話③ 夕食担当者の焦り


20数年前、28歳のときに10歳以上年上の妻と結婚し、同時に15歳と10歳の女の子の父親になった。
調理分担は割とすんなり決まった。基本的に妻が朝食、昼食(娘たちのお弁当)の、私が夕食の担当だ。勤務開始時間が妻は遅め、私は早めだったからだ。
しかし、私は勤務開始が早かったとはいっても必ずしも終業も早かったわけではない。子どもたちの夕食時間としては遅くなることもしょっちゅうだ。だから毎日けっこう焦りながらこなしていた。頭の中で「冷蔵庫にアレあったっけ?」「まずアレして、次にコレやって、その間に…」などなどの課題をまな板に載せ、優先順位を付け、具体的な作業計画に落とし込む。当たり前だが調理だけやれば良いというものではないから、他のタスクも要考慮だ。家事は論理の積み上げだ。で、積み上げた論理をひっくり返すような事態も日常茶飯事だしね。
だから、パートナーの協力なくワンオペ状態で家事をこなさざるを得ないビジネスパーソンの話を聞いたりすると、尊敬というか、よくできるなと感じてしまう。
そんな中で解ったことがいくつかある。

名前のあるものは作れない

八宝菜とかオムライスとか、そんなきちんとした名前のあるメニューは作れない。だいたいは、冷蔵庫の中にある物とスーパーで仕入れてきた物を適当に組み合わせ、煮たり、蒸したり、オーブンで焼いたりするわけだ。よく言えば「シェフの気まぐれ」みたいなものかもしれなけどね。きちんと名前のあるメニューってカレーくらいしか作ってないんじゃないかと思ってしまう。
先ほど「炒める」を例に挙げなかったのには理由がある。炒め物は案外手がかかってしまうのだ。だって、フライパンを振っている間は他のタスクが出来ないんだから。その点、蒸す、煮る、オーブン焼きなどは、基本放っておけばよい。その間に他の調理や家事ができるわけだ。誰だよ炒め物を手抜き料理なんて言ったのは。
ついでに言えば、その昔オムライスやハンバーグなどの頭文字を取って「おかあさんはやすめ」と手抜きメニューの代名詞のように言われたことがあるが、これに至っては怒りを感じる。オムライスやハンバーグのどこが手抜きと言うんだ!ふざけんな!どんだけ手間かかるかわかんねえのか!わからないんだろうね、調理しない人にとっては。(ちょっと取り乱してしまいました、ごめんなさい。)

「手作りこそ至高」という思い込みは捨てよう

最初は私も「アレもコレも手作りしなくちゃ。手作りこそ愛情!」とか考えました。餃子の皮なんかも手作りしたほうがいいんじゃないかとか思ってましたもん。いや、でも無理っすよ。どこからその時間湧いてくるんですか?
いいんです、唐揚げを一から作らなくても、スーパーの惣菜コーナーで購入しても、ケンタッキーフライドチキンを買って帰っても。毎日じゃないからいいんです。そう言えば、かつて小林カツ代さんが「たまにはフライドチキンを買って帰ってもいいのよ」と仰っていて、涙が出そうになったことがありました。

焦りが怒りへ

そんなバタバタの生活の中で、帰宅後必死に夕食を作っていると、娘が「あと何分くらいでできる?」とゲームしながら聞いてきたりするんですよ。正直に言います。焦りが怒りに変わって、黒い心になりました。「家庭内暴力をやってしまう人はこんな心持ちなんだろうか」、そんな風に考えたりしました。「実の娘だったらこんな風に感じないのかな」なんてつまんないことも頭に湧いてくる。まあ、暴力を振るったことはないけど嫌味の一つくらいは返したし、今思い出しても自分が嫌になってしまう。
でも、あるとき子育てしている女性にそんな気持ちになったことがあると言うと「そんなの普通だよ!私だってちょくちょく思うよ。」と言ってくれたことがある。救われたよね。

まあ、そんな日常から20数年が経ち、娘たちも独立し、ウチは妻と私のふたり暮らしになった。相変わらず私が夕食担当だ。犬と猫がいるので焦ることもあるが、あの頃とは比べるべくもない。
あの頃の自分に声をかけられるなら、「もう少し気楽にやれよ」と言ってやりたい。

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