推しの子の終わり、有馬かなの終わり

今更言うのもなんだか変だけど、最初からアクアはかなに気を引かれている描写が多かった。素に戻れるという、「嘘」「真実」が重く題材として扱われる作品としてはもう書き手からのチェックメイトではないかと思うほどのヒロイン演出をしてきた。

『超時空要塞マクロス』の時代から、日本のサブカルチャーにおける名作は先にアプローチをかけた健気な女の子は負けヒロインになることが多い。リン・ミンメイはちょっと小悪魔だったけど、『マクロスF』のランカちゃんならあの健気で一途で、でも負けヒロインにしかなりようのない感じが伝わると思う。彼女には才能があった。誰もが喉から手が出る程に欲しくて、絶対に手に入らないもの。駆け上がっていくシンデレラストーリー。彼女にとっての歌は、勝ったヒロインには泣いても泣いても手に入らない宝石だった。男の取り合いに勝つのと、どっちが良いのだろう。

わたしは恋愛至上主義ではないから、恋愛市場で負けたとして「アイドル」になったランカ・リーは勝ちに見えている。作品としては負けヒロインだけど。

黒川あかねは、有馬かなが死ぬほど欲しかった演劇の才能と(これに関してはかなも負けていないと主張がされると思うが)、演技での仕事がたくさん溢れている。アイドルをしていてもアクアを見ていても、きっとかなの本気で愛しているのは演技だった。羨ましいな。悔しいな。そんな彼女から、日本の心優しい作品は恋人までは奪うまい。

だからわたしは初期から有馬かながアクアの心を射止めると思っていた。

それはいい。題名に戻る。このサスペンスミステリ漫画は、初回できらきらと輝く無敵のアイドルを殺している。みんな仲良く楽しく、恋愛に勝ったものも仕事に勝ったものもいるけどみんなで仲良く暮らそうね!なんていうハッピーエンドが待っているとまさか思っているわけではないだろう。

この平和をミステリに戻すには、人が死なねばならない。しかも、超弩級の呪いをかける死が必要。復讐の物語と見せかけてずっとアクアの心が癒される過程を追っていたこの作品、皮肉なことになにより平和ボケしていたのはアクア自身なのだ。つまり、アクアに絶望を与えなければならない。

題名を回収。だからこそわたしはこの作品は有馬かなの死を無くして終わらないと思うのだ。

きらきらと光る有馬かなの瞳には、いくつの星が映っていた?アクアの星やルビーの星、そしてその母であるアイの星など……
多くの星が出てきて、その色や演出によりたくさんの意味を表してきた。それらを内包する銀河。星屑たち。最も美しい眼を持つのは、その規則に則るなら、最初から有馬かなとして描かれていたであろう。

特別がいなくなり、迷走して、最終的には平凡に。有馬かなという星がいては平凡にはなれない。作品とは平凡を描くツールでは無い。多くは起承転結と言われるストーリーを含み、時に教訓を含むもの。昔からのそういう作品作りに則るなら。

きっと、なによりも輝く銀河は危ないでしょうね。



わたしは有馬かなが好きなので無事を祈りますが、同時に物書きでもあるので「わたしならこうしてしまう」というある種手癖のようなものを公開してみました。予想が外れますよう。


本になって、私の血となり肉となります