ステイホームという引きこもり

あと一日乗り越えれば、県の外出自粛要請が解除される。自粛が要請されたのは4/9だったから、おおよそ1ヶ月、つとめて引きこもっていたわけか。

こういうと不謹慎かもしれないけど、いまはなんだか達成感に溢れている。曲がりなりにも社会の要求に応じ、静かな暮らしを送ることができたかなと。

 自粛が要請されたばかりの頃、「ステイホーム」という言葉がきらいだった。…単純な言葉を使って同調を求めるなんて、安直で馬鹿馬鹿しくない?「うつらない、うつさない」ことが大事なわけで、別に必ずしも家の中にいる必要ないじゃん。一人ひとりが考えてそれぞれ自分なりに行動を変えればいいのに。他人に行動を強制されて、ただただそれに従っていいわけ?

…こんなことを考えて、なんとなく世間に苛立ってしまっていた。ひたすら誰もいない川や森へ行き、風を浴びた。

でも一週間たった頃、突然「ステイホーム」するようになった。きっかけはここに書けないけど、コロナウィルスとはまったく関係ない。ともかく急に、いままでの生活をすべからく見直したくなるような出来事があったのだ。

わたしの生活は急に変わった。毎朝かかさず布団をたたみ、フローリングをくまなく掃除し、窓を大きく開け放ち、花を飾るようになった。(しかも3週間以上この習慣を保てている!)多くの女子大生には当たり前のことかもしれない。だけど、わたしにとっては天変地異。

いままでは外に出るのが好きで、家のことなんてどうでもよかった。とにかく外に出て、誰かと話をしたり、人間観察をしたりして、他者から刺激を浴びていたかった。実家にいたころからそう。

だから、家にいる時間は休日であっても、平日であっても、ほんとうに朝と夜だけ。恥ずかしながら、思い返せば単身赴任のおとうさんのようだった。とても「一人暮らしをこなしている」とは言い難かったな、と深く反省している。

迷子になったときに帰れる場所はこれから先、自分でつくっておかなきゃいけない。わたしはいつも人をみて、人や社会のことばかり気にしていた。

自らの足元を見る時間というのが、まったくもって足りていなかった。上手に生きていくためには、きちんと自らの環境を整えたうえで、社会と関わっていく必要があった。

「ステイホーム」がつらかったことは間違いない。だけどほんとうに、自らの暮らしを見直すいい機会を得ることができたな、そう心から思っている。

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