さよなら三角また来て薬局
私は焦っていた。勤めていた職場が閉鎖して半年。面接に行けども行けども、次の仕事が決まらない。
片っ端から面接を受け、やっと採用の電話が来た時はほっとした。
中規模の病院の目の前にある薬局。そこが私の新しい職場だった。
薬局の事務員って受付係かな、くらいに思っていたんだけど、これが結構たくさんやることがある。
患者さんから処方せんを受け付ける、処方せんの内容をパソコンに入力してお薬代を計算する、お薬を集めるお手伝いをする。
大まかにいうとそんな感じだが、忙しいときだと、調剤室に順番待ちのカゴがずらーっと並び、入力用のパソコンの隣に、処方せんが崩れそうなほど積み重なる。
入社して困ったのは、覚えることが多いことだった。国民保険。社会保険。公費。呪文みたいな薬の名前。色んな機械の使い方。
あたふたしている間にも、患者さんはやって来る。
なかなか薬の名前や場所を覚えられず、患者さんを待たせているという焦りから、さらに間違えるという悪循環。
毎日、向いてないよな、と思いながら仕事に行く。
ミスが多すぎて、もう辞めたいと何度も思う。
辞めたいとやっぱり頑張ろうを繰り返しているうちに、だんだんと患者さんの顔と名前を覚えてきた。
「青春は短いぞー!」が口癖の元気なおじ様。
小柄だけど怪力自慢のおじいちゃん。
給茶機のコーヒー目当てで、薬がないのに薬局に来るおばあちゃん達。
毎日色んな人が来て、薬を受け取り帰っていく。
入社して、一年たったかどうかという頃だったと思う。
その日もミスをしてしまい、顔には出せないけどめちゃくちゃ落ち込んでいた。
入り口で処方せんを受け付けていると、一人の患者さんが話しかけてくれた。
「あなた新しい人?」
「そうです。秋から入ったばっかりです」
「さっきから見てたんだけど、あなた笑顔がとっても素敵ね。最高!」
この会社に入ってから、そんな優しい言葉をかけてもらったのは初めてだった。
人前だから堪えたけど、家だったら多分泣いていた。
帰り際、その人は私の目を見て、「頑張ってね」と励ましてくれた。
あれから何年も経つけど、仕事で辛いことがあると私は彼女の顔を思い出す。
そうすると、もう少しだけ頑張れそうな気がする。
常連のおばあちゃんにナンパされた事もある。
受付の場所に立っていると、月一くらいでやってくるおばあちゃんが、すすっと私の元にやってきた。彼女の手にはメモ用紙。
「あんたいい人おらんだったら、私の孫と仲良くしてやってくれ」
お孫さんの連絡先の書かれた紙(おそらく非公認)を渡そうとするおばあちゃん。
これはよくある、あれじゃないか。
これ、私の連絡先です!良かったら!ってやつ。
そういえば、今のところこれが人生最初で最後のナンパだ。
もしメモ用紙を受け取っていたら、違う人生があったかもな、と時々思う。
所ジョージみたいな飄々とした感じのおじいちゃんは、私の顔を見ると必ず「飯食ってるか」と言ってニヤっと笑う。
「いっぱい食ってもっと肥えろよ」「食べてるんですけどねえ」と返すところまでが、お決まりの流れだ。
私が受付の担当じゃない時も、目が合うと、お腹の辺りをポンポン叩いて、食べろよ、のジェスチャーをしてくれた。
ここには書ききれないほど、色んなことがあった。
毎日毎日退屈しなかった。いつのまにか、私は仕事に行くことがちょっと楽しみになっていた。
ずっとこの店でお馴染みの患者さんたちとお喋りして過ごすんだろうな、と思っていたが、結婚が決まり、私は県外の店舗に異動することになった。
夫とは職場で知り合ったので、異動後も帰省する度に店に顔を出していた。
患者さんたちには会えなかったけど、同僚も上司も、みんな変わらず元気そうで嬉しかった。
今年の春も、いつものようにお土産を持って、お店に行った。
いざ店内へ入ろうと、自動ドアの張り紙をみて、私も夫も目を疑った。
『誠に勝手ながら、4月末を持ちまして閉店致します』
門前の病院が閉鎖して、薬局に来る患者さんの数が激減したことが原因だった。
嘘でしょ、ここなくなっちゃうの。
いつかこうなるかもと思っていたけど、ショックで頭がついていかなかった。
お店のみんなも、急に言われたんだよね、と困惑していた。
お互いに近況を報告して、元気でね、最後に挨拶できてよかったね、とお別れした。
帰る場所が一つなくなったと思った。
ここに来れば、お店のみんなに会えたけど、もうバラバラになっちゃうんだな。
そう思うと、名残惜しかった。
窓際に飾られた、ソーラー電池で動く猫のおもちゃ。いつも来ていた患者さんの顔。覚えるのに苦労した薬たち。差し入れのオロナミン。大人気だった給茶機のコーヒーとおばあちゃん達の笑い声。
全部全部なくなってしまった。
ずっとなくならないと思っていたのに、もう私の記憶の中にしかない。
飯食えよも、お大事にどうぞも、ありがとや、も言わなくなって、あんなに毎日会っていたのに私たちはきっと二度と会わない。
友達でも家族でもないんだから当然なんだけど、それでも偶然どこかで会えるといいなと期待してしまう。
何年たっても思い出して、ここに思い出話を綴るくらいには、私は彼らの事が大好きだった。
私が今でも辞めずに仕事を続けているのは、あの店でのたくさんの暖かい思い出があるからだ。
みんな、どうか、それぞれの場所で元気に楽しく暮らしていて欲しい。
彼らの長い人生のうち、ほんの数年間だけあの店でお喋りした薬局の姉ちゃんは、ずっとそれだけを願っている。
一ヶ月書くチャレンジ
二日目 今やっている仕事、学んでいること
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