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書いててよかったって夜を探してる

書いてて絶望したこと、あったかなあ。
思うように書けないことは、何度もあった。
だけど、書くのをやめようとは思わなかった。

だけど、たった一回だけ。
noteのアカウントを消して、逃げて無かったことにしようかなと頭をよぎったことがある。

楽しい話じゃないけれど、今日はその話をしようと思う。

今年の春先くらいだったかな。
いつものように、まったく書けない時期がやってきた。それに加えて、季節の変わり目のせいで、精神的にもそうとう重苦しい感じだった。

心がまったく動かない。
それでも毎日、24時はやってくる。
読み返したいとは思わないけど、あの頃書いた記事は、どよんと元気のないものが多かったような気がする。

もうダメだ、と、よれよれの状態で投稿する。
当然、気持ちの乗った記事は書けない。だから、書いても書いても反応が悪い。それに落ち込んで、ますます気持ちが暗くなる。

無理しないで、休めばよかったのかもしれない。

だけど、わたしは毎日投稿を手放すのが怖かった。半端に辞めてしまったことを、未来のわたしが後悔するかもと思うと、休むことは出来なかった。

ネガティブな内容が続いたせいか、記事に気持ちが乗っていないことが伝わってしまったのか、いつも読んでくれていた人も離れていった。

苦しいことは重なるもんだ。
その頃、たまたま「こんな記事って、読むのしんどくなるよね」という投稿を目にした。
普段のわたしなら、「なるほど、気をつけよ」と受け止めて参考にしたと思う。

でも、その時はタイミングが悪かった。

でも、その「しんどい」理由に心当たりがありすぎて、まるでわたしの記事を読むのがしんどい、って言われたみたいに思えた。

その日はなんとかつぶやきだけ投稿したけど、一晩寝ても気持ちは回復しなかった。

今まで書いてきた記事が、全部ペラペラでなんの価値もないように思えた。
わたしのアカウント。ピースをして笑っている似顔絵が急に憎たらしいように感じる。

消しちゃおうかな。アカウント。一瞬そんな考えがよぎった。やめて、まっさらにして、なかったことにしようかな。毎日投稿もやめよう。こんなつらい思いしてまで書くことないよ。

だけど、結局、アカウントは消さなかったし、毎日投稿もやめなかった。やめなかった、ってよりやめられなかったんだと思う。

書くのも書かないのも怖い。
気持ちを正直に書けてる気がしない。
あの時読んだ「しんどい」理由が、呪いみたいに頭にへばりついている。

毎日書くことに意味あるのかなとも思った。
でも、辞めたら悔しいから、意地になってしがみついた。わかってたまるかよ。わたしはやると決めたから、だから絶対最後までやる。

だから、怖くても、書けなくても、届かなくても書いた。

そうして書いてると、たまにすごくいいやつが書ける時がある。優しい言葉がもらえたり、思いがけず遠いところまで、言葉が届くことがある。

そうすると、やっぱりあの時やめなくてよかったな、と思う。意地と涙でボロボロだったわたしの前に、花びらが一枚舞い込んできたような気持ちがする。

書けなくて全然ダメな夜も、書いててよかったという夜も、わたしは両方の夜をみたことがある。

今はダメだけど、もしかしたら。
部屋でひとり、やったーって言いたくなる夜が、またいつか来るかもしれない。
そう思うから、下手くそでも、書けなくても、わたしは投稿ボタンを押している。











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