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月とキャンプ Ⅰ

 篠原哲雄監督の「月とキャベツ」って映画があった。山崎まさよしと真田麻垂美が出てた。たしか「宇宙の秘密は緻密なはちみつ」?って言葉が出てきて、一緒にみた友だちが念仏のようにずっと呟いてたからよく覚えてる。「向い合わせの孤独が呼び合って、ひと夏限りの永遠が始まる」っていうテーマも良くて、忘れられない。ネットやSNSをスマホでタップしてしまう誘惑ノイズが無い時代の映画だ。いまやちゃんとした一人だけの孤独の時間をつくることは難しいし、そんな孤独を抱えた2人が、承認欲求や依存や自己欺瞞と関係なく、互いに向かい合う時間と場所を得ることなんて奇跡に感じる。
 ええと、書きたかったのは月とキャベツのことじゃなくて、月とキャンプのことだ。語感が似ていたのでなんか書いてしまった。そうキャンプ、ひさしぶりに行った独りキャンプは、中高生の頃になんどもボーイスカウトでキャンプしたことがある奥多摩の河川敷だった。その頃のキャンプ場といえば荒んでいて、ヤンチャな大学生男女グループが酒とタバコとBBQとロケット花火で、夜通しの馬鹿騒ぎをしているのが恒例だった。ある時、班のメンバーだったお調子者がその大学生たちに気に入られて連れ出され、紫煙と奇声と笑い声が飛び交う大人のテントからとうとう朝まで帰ってこなかったという微妙な思い出がある。そんなキャンプ場だが今やもちろん様変わりしていて、圧倒的に独りの大人キャンパーたちの小さなソロテントがひしめく場所になっていた。着いたのは夕暮れだったので、ソロ焚き火がめいめいのソロエリアで燃えあがり、そろそろと太い薪を焚べながら、黙々と何か湯気のたつものをソロ食べしていた。そろりそろりと月が…、いや、月はまだどっちにも出ておらず、少し冷え込んできた秋の夜、対岸から河原全体を見渡すと野火のように乱立する火柱が、なにかの前夜祭のような河原の空気をつくり、失われた神聖な何かを取り戻すためにめいめいが独自のお焚き上げをしているようにも見えた。
 僕のテントは、すぐ建つドーム系はつまらないので、上級者ぶって変形タープのほぼ野宿スタイルをベースにした特殊テントにした。虫除けができるメッシュ素材ですべての側面が構成された、そのままシースルーの不思議な変態テントだ。とはいえ丸見えが狙いではないので、視線を切れる方向にタープを建てて垂らして、誰もいない川の方面にはシースルー全開の、ほぼ野宿状態を完成させた。焚き火もしたけど、月がそろそろあがってきたので、だんだん眠たくなり、いつのまにか紫色のシュラフに潜って眠った。
 ん?と、シュラフの閉じていないジッパーから侵入する深夜の冷気に目が醒めた。敷いたエアクッションの独特の感触を背中に、うっすらとまぶたを開けると満月だった。天幕がシースルーで透け透けなので、まぶたさえ開けばそこには距離感が失われた銀盤宇宙と、天蓋から吊り下げられた星々がぎらぎら°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°している。V字になった川の左岸右岸の樹木の黒いシルエットが視界を濡らして、画面からノイズを取り除いている。なんか10月の夜そのものだ。半覚醒のまどろんだ五感に次に飛び込んでくるのは音で、すぐ前の河原を流れる川の音が白い帯状の音塊となってとめどない。夜の鳥たちが、川の音よりも遠いレイヤー上で断続的に呪文のように啼いている。ここはどこだっけ?意識はどの五感よりも遅くやってくる。何度まばたきをしても、皓々とした満月と星があるなぁという把握だけで意識が埋め尽くされてまた眠たくなる。何度も何度も眠りの波が押し寄せてまぶたを閉じる。そこから何分、何時間たったのかわからないまま、再び目が覚める。森で鳴く鳥の種類が変わっている。しかし鳥の名はわからない。何度目かで、月の位置がおおきく変わっていることを視界の外側で直感した。(つづく)


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