【パーマカルチャーデザイナーvol.66】Goshi Shirakawa
これはパーマカルチャーデザインコース(以下、PDC)を修了したパーマカルチャーデザイナーたちのリレーコラムです。
※パーマカルチャーとは
"Permaculture is a dance with nature, in which nature leads."
パーマカルチャーとは自然に導かれる自然とのダンスのようなもの。
Bill Mollison
ビル・モリソン
#66 Goshi Shirakawa
美味しいコーヒーを淹れてくれる人。
というのは前置き。
感受性が豊かで周りの人の気持ちを敏感に察して共感してくれる優しい人。
その細やかな気遣いは今までの人生の経験から培ってきたものなのだなと感じているのだけれど、大変な時にタイムリーに寄り添って心のオアシスになってもらったことが何度もあった。感謝しかないよ。
料理を丁寧に味わうところは一緒にいて心地がよくて、これからも程よい距離感でグラスを傾けあえたらいいなと思っています。
Q1.あなたについておしえてください
PDCのスタッフをさせてもらったご縁で ”影の立役者” 赤塚隼人ことテンからバトンをつないでもらって、感謝。
たぶんここまでポジティブ&ハッピーな感じで続いてきたと思うので、ささやかながら多様性を添えるべく、ほんのりヘヴィでディープなかんじで参りたいと思います〜!
(問いと内容が合ってないのはご容赦を)
ここ数年間、東京でひきこもりをしてます。
ここに至る過程を通じて、自己紹介を。
家業がクレーム産業と言われる住宅建設業界で、顧客と現場との板挟みからストレスを溜め込んできた。何より辛かったのが、既製品の単なる組み立てと成り果て、30年ほどで膨大な産業廃棄物と化してしまう住宅建設のあり方。自分だけが疑問を感じつつも、「現状」の力に抗ってそれを変える気力がない不甲斐なさにある朝、枕から頭が上げられなくなった。
数ヶ月間、人と会うのが怖くてほぼ寝たきりの生活。
ベッドの中で悶々と建築の方向性を考えている中で、偶然にソーヤー海の企画してくれた2016年のカリフォルニアアーバンパーマカルチャーツアーの告知を見つけた。
それがパーマカルチャーという言葉との最初の出会い。
崖から飛び降りるような心持ちでツアーに参加。
そこで見せてもらったのは、都会の中であっても自然・生き物の持つ「生きようとする力」の力強さ。
そしてそれを愛おしみながら自らの生きる力を存分に謳歌して活動している人々の喜びと自信に満ちた姿。
実践者たちが現実に等身大で生きているのを体感して「うん、やっぱりこっちの方向で間違ってないよね!」という希望をもらった(そのおかげで今も生きている)。
そして、そんな希望と共に、2017年のPAWA(パーマカルチャー安房)でのPDCに参加した。
Q2.パーマカルチャー デザインコースを通して
PDCを通してもらったものの一つは、「自分でもできる」世界観。
都会だと生活のほぼ全てを他者に依存して自然の循環から切り離されていると感じるけれど、コースに参加し多くの仲間と希望を手に入れて戻ってきた都会で、「自分でもできる」に希望をもらいながらコンポスト・ベランダ果樹園…わずかずつでもできることを増やしていこう!と、はじめは活き活きしていた。
……ところが。
消費社会の急流に翻弄されながら、時折、仲間たちのフィールドで美しい世界に触れて希望をもらいなんとか息を継ぐことができるのだけど、それと同時に自分の中に絶望が膨らんでいく。
「こんな壮大なこと、自分なんかにできるはずがない」と。
「自分は何がしたいか」を考えた瞬間
ワクワクより先に自分には「できない」「価値がない」という恐れが間髪をおかずに攻め立ててくる。
新しいことをやり始める気力が奪われてしまう…
どうやら自分の中には、今までずっと僕の「生きようとする力」をたわめ続けてきた何かがいることに気づいた。
だから、僕にとってのPDCは、(PDC最中の素敵な体験もさることながら)自分の内側への旅に誘ってくれた大きなきっかけ。
自分の中にある強い恐れと向き合い続けて数年目。
仕事から離れて「自分でもできる」を実現するための場所と方法を求めて、富山の建具の学校に行ったり、自然建築を学んだり、木工や指物・木彫などものづくりをしたり。
あと昔から憧れていた日本の伝統芸能を学び始めたり。
「お金を稼いでないから、結局は何もしてないじゃないか」という内側からの責める声が騒がしいこともあるけれど、続けてきたことが自分の中に芯となって積み重なってきたことを見つけられてからは、そこまでその声に引きずられることも無くなった。
そして、恐れの本当の姿(の一面)に、出会うこともできた。
ゲイであることを誰にも言えなかった安全な場所のなかった幼少期の自分。
絶望を生き延びるための自己防衛として、「自分が一番厳しい批判者となって生きようとする力を抑制してきたんだよなぁ」と気づいてからは、幼い頃や若い頃の自分に「あの時、よく頑張ってくれたね。ありがとう。」と声をかけながら、毎日共に歩んでいる。
少し前から日本の木材供給について能動的に調べるようにしている。
今までの人生でずっと関わってきた資源としての木とその閉塞感のある現状を少しでも変えられないだろうか…自分の生きる力をここに投じたいと日々思っている。
千葉の杉林から材料を伐り出すところから始める伝統構法の小屋づくりに着手し仲間も増えた。
分断されプロに囲い込まれてしまった住まいづくりの循環を自分たちの手に取り戻したい。
Q3.あなたにとってパーマカルチャー って
人間を含む自然の中ではそれぞれの命から「生きようとする力」が自ずと湧き上がっていて、その力を制限せずに解き放つことでそれぞれが活き活きしていく。
人間の場合は「自分でできる自信」が積み重なっていくように思う。
一方で大きな視点では、自然は「おたがいさま-reciprosity-」でつながった、大きな織り物のよう。
お互いが疎に密に絡まり編まれ、ところどころほつれたり裂けたりしながら、それでも全体としての自然は悠然と紡がれ続けていく。
パーマカルチャーは、
「そこの繋がり方、ちょっとこうしてみたら巡りの環がより大きくしなやかに息づいていくんじゃない?」
というお誘いなのかな。
ミクロにもマクロにも自在にピントを合わせられるレンズを僕たち人間は「想像力」として与えられているから、微生物も植物も人もみんな同じささやかな存在として命を得ては還っていく景色を思う存分思い描くと、壮大な織り物の慎ましやかな一部である自分が見えてくる。
「自分にはできない」ことも軽やかに認めて、その大きな繋がりに安心して寄りかかって身を委ねられる。
でも同時にその小さな自分の中に宿っている生きようとする力の大きさ・確かさが、この生命の織り物に自分をどう織り込んでいきたいのか行く先に光を当ててくれる……
都会で人間の社会だけを見て迷惑をかけないよう全力で遠慮して生きていた頃には感じられなかった「ここにいて大丈夫」という安心感にパーマカルチャーが導いてくれたと思う。
Q4.PDCの中で次にバトンをつなぎたい人
かなり時代が遡っちゃうんだけど、僕のPDC2017同期のしょうたくん。
人当たりの良いスナフキン的な穏やかな印象の奥に秘められた即実践に移す行動力と自分の道を求め続ける情熱。
ナマケモノ的スピード感の僕からはとても眩しくて。
最後に会ったのはいつだろう?どうしてるかな?
近々会いに行けたらいいな。
2023/12/7 大雪