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BFC3 1回戦ジャッジをジャッジ

マガジン

2回戦ジャッジをジャッジ

準決勝ジャッジは以下の4名に決定いたしました。

青山新
冬木草華
由々平秕
鯨井久志





竹田信弥 (「幸せな郵便局」 )

青山新 3  
阿瀬みち 3
遠野よあけ 4

大江信 4
鞍馬アリス 3
樋口芽ぐむ 4

小林かをる 4
冬木草華 3
由々平秕 4

笠井康平 3
寒竹泉美 4
鯨井久志 5★
「評」

 娘を人質にとられてもやりたくないことといえば、それはジャッジのジャッジだ。
 しかし、ジャッジのジャッジという制度はとても面白い。各新人賞や芥川賞などにも採用したらいい。
 とは言ったものの、やはり難しい。なぜ難しいのかといえば、自作について 言葉で言及した人と数字で言及した人が混在する中で、どのように 評価すればよいのかまったくわからないからだ。言葉があれば1点をつけられたとしても、この1点は、6点なんだと納得できるのだ。
 なので、シンプルに全ジャッジの評を読んで、その書き手の言葉をまた読みたいかどうか、を基準に評価することにした。見ればわかるが自作の評価とはまったく関係ない結果となっている。


鞍馬アリス (「成長する起案」 )

ジャッジのジャッジ採点表(勝ち抜けには◎を付しています)

大江信 1
由々平秕 1
青山新 2
冬木草華 5◎
遠野よあけ 4
寒竹泉美 1
阿瀬みち 3
鯨井久志 1
樋口芽ぐむ 1
小林かをる 1
笠井康平 1
 読んでいてストレスがなかったかどうか。
 それが私のジャッジに対する唯一の評価です。それをさらに細かくしてみるならば、作者に対して読者への配慮を求める度合いが少なかったかどうか、採点の方法に面白味があるかどうか、という二点に分けることができるかと思われます。
 後者に関しては、採点方法に工夫があり、面白味を感じられたかどうかで評価しています。
 ただ、私がより重視しているのは一点目です。理由は、読者への配慮を求めるような言説が嫌いだからです。
 読者に分かりやすく届けよ、読者に配慮せよ、という言葉はなんの疑問もなく使われるものですが、それが創作者を傷付けようとする人間の方便になっているように感じながら、私は今までの創作人生を過ごして来ました。
 評論に対する物凄い不信感が、私の中では醸成されています。それは他人の評論に対してもそうですし、私自身の「感想」という営みに対してもそうです。
 考えてみれば、ブンゲイファイトクラブというのは稀有なイベントです。評価者や読者という、作者が通常は刃向かってはならないと考えられている存在に対して、思う存分、刃を振るう機会が与えられているのですから。ですが、本来、あらゆる創作の場でそういうことは行われるべきなのだと思うのです。評価者や読者の評に対して、作者が思いっきり殴りにかかる、評価者や読者という安定した特権的な存在の地位を揺さぶり、覆して行く。
 そういうことが、これからますます盛んになることを私は密かに願っています。
 
 因みに、私が勝ちぬけ候補としたジャッジは、作品の良さをすくいあげて採点するという姿勢が顕著だった冬木草華さん(五点)と、読んでいて最もストレスがなかった遠野よあけさん(四点)、評価軸が明確であり、評を読んでもストレスを感じなかった阿瀬みちさん(三点)、五点一点という評価システムにある程度の説得力を感じさせて面白かった青山新さん(二点)の四名としました。また、その中でも最も高い点数を付けた冬木草華さんを勝ち抜けとしました。
 なお、その他のジャッジの方々に関しては、全て一点としておりますので、よろしくお願い申し上げます。

 夜久野深作 (「夏の甲子園での永い一幕」

青山新 5 ●勝ち票
阿瀬みち 3
遠野よあけ 4
大江信 4
鞍馬アリス 5
樋口芽ぐむ 3
小林かをる 3
冬木草華 4
由々平秕 5
笠井康平 5
寒竹泉美 4
鯨井久志 3
 本選、楽しかったです!
 改めて運営の方々、ジャッジの方々、ファイターの方々、拙作に言葉をかけてくれた方々、すべての読んでくれた方々に感謝とリスペクトを。
 色々と悩みましたが、私は好みを反映するスタンスでジャッジのジャッジをしようと決めました。
 グループA~Dで3名ごとに読み比べ、3、4、5を各一名ずつとし、5点のジャッジの中から勝ち票を選ぶ方式にしました。まず同一作品のジャッジ評同士で判断したいと思ったからです。ジャッジ評の魅せ方やジャッジのスタンスを中心により私が好ましいなと思った順で採点しています。完全に好みです。すいません。
 それぞれのグループで青山さん、鞍馬さん、由々平さん、笠井さんの評に魅力を感じましたので5点をつけました。グループAは遠野さん、グループDは寒竹さんとどちらを5点とするか最後まで悩みました。
 5点の中から検討し、鞍馬さんと青山さんのどちらかに勝ち票を入れようと思いました。
 鞍馬さんの評からは気負いのなさを感じて、ジャッジってこのぐらいの温度とスタンスでやるのが実は一番いいのでは、と私は大変好ましく思いました。1点をつけることができる方なのもジャッジとして良いと思っています。
 青山さんの評は批評としてかっこいい文章で超好きです。また作品の魅力を評が一緒になって引き出してくれている、と感じました。作品より先に青山さんの評を読んだら、1点と5点関係なくどの作品も読みたくなるんじゃないかな、と思いました。
 ジャッジとして好き。もしくは批評として好き。どちらをとるかと考えて、2回戦以降もファイター、読者両方にジャッジから見た作品の魅力を大いに伝えてほしいと思いましたので、青山さんに勝ち票を入れました。

宮月中 (「花」 )


◎宮月中 ジャッジ評

青山新3 阿瀬みち3 遠野よあけ3 大江信2 鞍馬アリス3 樋口芽ぐむ3 小林かおる3 冬樹草華4 由々平秕3 笠井康平3 寒竹泉美4 鯨井久志3
勝ち抜け……寒竹泉美 (敬称略)

今年度のBFCでは、ジャッジの人数が多い代わりに、すべてのジャッジからは個別評がもらえていない。よって自作をはじめとした特定の数作品を基準に判断することが難しい。だってみんな三人にしか殴られてないじゃん。点数だけ出ても殴られた気にならないでしょう。それに、ファッジ(ファイターとジャッジの兼任)が自グループの採点をしていないため、点数からの判断もそもそも難しい。
てなわけで、24人のファイターになりきって、その作者が勝ち上がったと仮定し「もう一度自分達の作品に言葉を費やしてほしいかどうか」を評価基準とした。他ファイターになりきるのはおこがましい方法かもしれないけれど、読者が作品を通して形成した作者の仮想人格は、作者、作品、読者それぞれからの目線を包括しうると判断した。
加えてジャッジには誠実とたくらみとの調和を期待する。個人的に、BFCの1,2回目は血の気が多すぎたと感じたし、今回は逆におとなしすぎると感じる。そこをうまい具合に揚棄し、盛り上がりつつ火花を散らしつつ、後で旨い酒が飲めるようなファイトのできるジャッジに勝ち上がってほしい。そこで――
①「え、すごい読み込んでくれるじゃん!」10点
②「ほぉ、言ってくれるじゃねえか」10点
③「さてはお前暴れ足りねぇな」10点
――とし、それぞれの評を30点満点で採点する。この点数を評の数で割って平均点を出した上で5点満点に直し、小数点以下を切り上げる。ジャッジが担当外グループについて、担当グループと同基準の評を公開した場合、そちらについても評価の対象とした。勝ち抜けは最も点数が高かったものとした。
①②について、文章の長さ、体裁は直接の判断材料としない。核心を突く、読みの広がる一言があれば加点とした。
③については、初回と言う事もあって(本当はこう思ってるけれど、控えておこうかな)という意思を僅かにでも感じれば加点した。僕は武闘派の剣技よりも、普段にこにこしている人の豹変が見たい。
以下、評と言うよりは私信なので、採点に影響しないことも書いています。

・青山新さん 2.21 
今年も出現したな、1か5ジャッジ。その心意気が大好きです。読みも鋭い。ただ評はやさしいものばかりで判断の基準が見えない。添削をしないのも不足点を書かないのも戦略として理にかなっていると思うが、肝心の「世界に影響を及ぼし得るか」という素敵な視点が見えにくい評が散見された。あとこれは採点に影響しない余談ですが、「花」の執筆時、あえて露骨に花言葉を込めたのは薔薇だけで、他の花の花言葉に言及したジャッジは落とそうと考えていました。曖昧な儀式に連続性や総意を見るのは大人の目線だからです。でもその花言葉を「ある種陳腐なイメージの連鎖」と評して躱した手腕が見事でしたので、好感が勝ちました。担当外グループの評も素晴らしかったです。

・阿瀬みちさん2.44
グループ全体の傾向を前提に評したところがよかったです。また「連絡帳」評において、はじめ「安直ではないか」と記し、再読において読みを更新した経過が書かれていたのもよかった。僕は「初めから全部読めてました」という顔をする必要はないと思っていて、読みの過程が可視化される評は素敵に思いました。欲を言えば「自分にはどう見えたのか」がもっと見たかった。「成長する起案」評などは、作品解説を除けば一文しかない。あと、阿瀬さんはもっと牙の鋭い人だと思っています。勝ち上がった時には、それが作品本流と関係のない重箱の隅だろうと、主張が独りよがりだろうと、遠慮せずに暴れまくってほしいです。

・遠野よあけさん2.06 
前口上から大変面白かったです。「おもしろさ」と「なぐりあい」の軸が輝いていた。公平なジャッジばっかりじゃ楽しくないしね。その点大賛成でした。続く「幸せな郵便局」評のファニーな採点には我が事のような怒りさえ覚えました(褒めてる)。「花」の性善説的な読み解きも嬉しかったです。点数が伸び悩んだのは「矢」の評について、文章量に対して作品への言及が少なかったことが影響しています。無慈悲なのは大いに結構。でも「言ってくれるじゃねえか」感が薄く、「なんで……?」という感触の方が強かったです。

・大江信さん1.64
冒頭の何言ってるかわからない感と、しっかりした評価軸とのギャップが大変よくて好きでした。「沼にはまった」評の「黒猫が沼の主」説には目から鱗でした。そんな読みがあったのか! と気づく瞬間の高揚は何物にも代えがたい。ありがとうございます。また僕は批評と同様に感想にも居場所を確保したいと考えているので、指摘や解釈に終始しない評文は心地よいものでした。点数が低くなってしまった一因は「暴れ足りねぇ」点が低かったからで、理由はTwitterで十分暴れているからです。いや、場外乱闘はどんどんやってほしいけれど、壇上でもちゃんと暴れてほしかった。これはおそらく僕と大江さんの解釈違いによるところが大きくて、大江さんは「場外では騒いで、壇上では真面目な顔」という戦術を取っていらっしゃるのだけれど、僕が欲しかったのは冒頭に記した通り「壇上で豹変するジャッジ」でした。ゆるして……

・鞍馬アリスさん2.94 
直前にも少し触れたのですが、僕は「作品がノージャンルなら、ジャッジが批評だけというのは不均衡だ」と思っていました。そのため、評文中にわざわざ「感想」と記し、感想を自覚的に武器にするスタイル、過度に分析的ではなく、かといってひとり語りでもない評文には好感が持てました。採点に際しては、読む際の軸足がはっきりしているため、まとまりのある読み口となっていることがぼんやりプラスに働いたように思います。ただ全評文について、妥当な読みが多い印象もありました。「この作品読んでそんなこと思ったの!?」みたいな箇所がもう少し多ければ4点になっていたと思います。ところで鞍馬さんが感想を書く際多用される「マリアージュ」が登場したのは嬉しかったです。

・樋口芽ぐむさん2.42 
短いながらも視点を違え、読みを広げるような文章がよかったです。非常に読者との距離の近い印象の評文で、この方と作品の話をしながらお茶会などしたいなと思いました。翻って、あえてジャッジとして魅力的な要素があるかと言われると、なかなかつかみきれない思いがしました。

・小林かおるさん2.22 
感情の流れ込んでくるような冒頭の語りがすさまじかったです。小林さんの背景への解像度が非常に高まって、この人がどんな風に各作品を読んだのか、いちばん気になったジャッジの一人であります。この冒頭文をなんとか採点に反映させたかったのですが、その分字数を圧迫していて、各評のみで見ると多くを伝えきれていないと感じました。

・冬樹草華さん3.03 
絶対的な評価基準をつくらず、各作品の強みや個性を生かす形での採点というのを明記されたのがよかったです。もし僕がジャッジなら同様の方法を取ったように思います。それをするためには各作品の要請する読みの芯を打つ必要があり、なかなか難しい作業だったことと思います。全体的にそつがなくバランスの良い評でしたので、もうひとこえの引っ掛かりが欲しいと感じてしまいました。単なる欲しがりです。すみません。。。

・由々平秕さん2.74 
「担当外グループの評も判断基準にします」と公表したところ、真っ先にメンションをくれたのが由々平さんでした。結果すこし下がりました。ほんっとうに申し訳ありません。非常に好みの評で、評価基準度外視なら勝ちぬけに選んだだろうと思います。他のファイターの評価に期待したいです。「驚き」と体の動きをもとにした細部点の要素が大変面白かったので、どこで眉が動いたのかをより詳しく聞きたいなと思いました。

・笠井康平さん2.97 
唯一の三回出場のノウハウを生かした評価にしびれました。採点方法も大変面白く読みました。ただBFC1から追っている人には今回の評価基準に至る試行錯誤が良く見えるのですが、今回の評だけを読む限りでは、単に指標を作るのが好きな人なのかな、という印象も受けました。参加者の顔ぶれも大きく変わっているのに、昨年までの経過をふまえないとすべてを把握しきれない書き方がされていたのが少し気になりました。それでも各作品評には的確な指摘とアドバイスが添えられていて、読んでいてとても勉強になりました。

・寒竹泉美さん3.22 
「ブンゲイは自分に対する愛ではない。物語への愛。そして読者への愛。」という一文がいいですね。「愛と変態度」という基準も素敵です。各評についても、長所を押さえつつ、あと一歩のところを指摘する手つきが見事だったと思います。採点なしで読んだとき、推しだったのは由々平さんと寒竹さんでした。

・鯨井久志さん2.81
まっすぐに作品に向き合われたジャッジだなという印象を持ちました。文芸世界のままならなさを抑えつつ、それでも肯定し続ける眼差しには共感しました。「コミュニケーション希求力」という評価基準も素敵だなと思います。点数は比較的高めになりましたが、グループDの傾向と採点基準が合致した部分も大きかったのではないかなと思います。別の切り口の作品をどう評価するのかも詳しく見てみたいです。あとグループ外にも関わらず拙作に言及してくださりありがとうございます。

★結果的に点数の差はあまりつかなかった。数字を扱うのが苦手なので許してほしい。番狂わせや乱闘は他ファイターに任せるとして、勝ち上がりジャッジが本評を読んだうえで「次はこうしてみようかな」と化けることを期待する。

星野いのり (「連絡帳」 )

【前文】
 評は暴力であり、政治であり、権力である。
 私は意図的に暴力をふるい、政治を行い、権力を使う。
 私がブンゲイファイトクラブに求めるものは、「異種格闘技」である。異なるジャンルのものが、またはジャンルの区分を超えたものが、肩を並べてしのぎを削り、血を流す様が見たい。
 今年度、第3回ブンゲイファイトクラブでは、「ジャンルはなんでもかまいません。俳句、川柳、短歌、歌詞、詩、回文、エッセイ、旅行記、戯曲、小説、批評、評論、論文など。」という募集要項のもと集まった約350作品から24作品が選ばれ、本戦へ進出した。しかし実際進出したのは、ジャンル区分等に間違いがなければ、散文が21作品、韻文は俳句連作1作品、短歌連作1作品、川柳連作1作品である。都々逸や歌詞、詩、回文、ラップ等は見当たらず、これまでのブンゲイファイトクラブで優勝した作品は全て散文であった。
 昨年第2回ブンゲイファイトクラブでも同様に約350作品の応募があり、40作品が本選へ進出し、ジャンル区分に間違いがなければ、散文が37作品、韻文は短歌連作3作品であった。私が「角川俳句賞落選展」から着想を得て「#BFC2落選展」というタグを作ったところ、BFC2に落ちた作品群は本戦よりも幅広いジャンルで(または分類不可能で)自由なものが多かった。果たしてブンゲイファイトクラブの本戦は異種格闘技なのだろうか。

 私はブンゲイファイトクラブの「異種格闘技」の目的を達成するため、異なるジャンルの作品が決勝で戦うように、異なるジャンルの作品が決勝で戦った際にどちらも深く読めるジャッジが勝ち抜けるように、ジャッジのジャッジを行う。具体的には、様々なジャンルに対応した基準で読んだジャッジ、予選グループを制した『銘菓』(左沢森)を深く読んだジャッジ、韻文を深く読み、高得点をつけたジャッジなどを優先する。私の「ジャッジをジャッジ」の影響力を最大化するため、勝ち抜けさせる1名のジャッジを5点に、その他のジャッジは全て1点とする。

【結果】
青山新 1点
阿瀬みち 1点
遠野よあけ 1点
大江信 1点
鞍馬アリス 1点
樋口芽ぐむ 1点
小林かをる 1点
冬木草華 1点
由々平秕 1点
笠井康平 5点
寒竹泉美 1点
鯨井久志 1点
【Aグループ担当ジャッジの「連絡帳」(星野いのり)の評について】
・青山新
 句またがりのもつ韻律と内容の呼応や、タイトルと連作形式による戦略について深く読んでおり、基礎的なところを抑えている。一方で、作為的でない素朴なテキストとして読みすぎており、句またがり以外の技術面でもう一歩踏み込みが欲しい。1点。


・阿瀬みち
 連作における語の重複等、本作品の評価の分かれ目となる論点について検討した点がよかった。しかし、取り上げた論点の数が少なく、どこまで読めてどこまで読めていないのか判断できない。1点。

・遠野よあけ
 連作における「四月」の反復、上下運動や光の触感など、俳句と密接した「季語」や「五感」を読んでいて好感がもてる一方、句会の感想や俳句賞の選考でありがちな感想だと思った。「日本語を操る技術がすさまじい」「こんな日本語表現ができたのかと、正直戦慄している。」など、読者をひきつける文章だが、感想や本の帯文に近く、もっと踏み込んだ批評がほしい。他の散文の読みはよかったが、韻文については批評のレベルに達していない。1点。

【Bグループ担当ジャッジの「フー 川柳一一一句」(川合大祐)の評について】
・大江信
 作品の戦略や論点についてしっかり書いていた。「悩んだ」とあるように作品の重要な論点を検討していたが、私たちはその検討の結果、つまり「悩んだ」結果が知りたいのだ。作品評として踏み込みが足りず物足りない。1点。

・鞍馬アリス
 川合大祐氏の川柳のもつ根幹をしっかりとらえており、最低合格ラインに達している。そこからさらに全体の構成や起伏、句の技法や各モチーフを扱う手つきなど、何かしら踏み込んだ読みがほしい。1点。

・樋口芽ぐむ
 簡潔な評だったが、身体感覚から作品の要所や狙いを上手く掴んでいる。一方で、何がその作品を支えているのか、何が読者にその身体感覚を与えるのか、もっと分析し踏み込んでほしかった。またなぜその得点を与えたのか判然としない。1点。

【Cグループ担当ジャッジの「銘菓」(左沢森)の評について】
・小林かをる
 前文が約1500字と長く、字数制限の関係で作品評が短い。ジャッジ評には「世の中の人の目に触れるもの」の意識が書かれる一方で、「私は今回ジャッジに選んでいただきすごくすごく嬉しかった。」「高級なクレンジングで顔を洗い、エスティ―ローダの化粧品でメイクして、姿勢も伸ばして原稿に向かった。」など、作品と無関係な自分語りが展開されている。その結果、作品評が4行しかなく、その作品評も「青春であり人生です。」など批評のレベルに達していない部分があった。1点。

・冬木草華
 単語の取り合わせや、一首内での「イメージの変更」など、本作品の特徴を上手くとらえている。本作品を評価する上で検討すべきところが検討されており、事前に想定した「まあ最低でもこれくらいは読んでほしいな」というオーソドックスな、私がジャッジに求める最低合格ラインに設定した評と同じレベルだった。一方で、予想を超える驚きがなく、五感でも抽象名詞の使い方でもモチーフでも何の着眼点でもいいので、評としてもう一歩踏み込みがほしい。1点。

・由々平秕
 各作品を最も深く読んだジャッジの一人である。検討・指摘する箇所の鋭さは、群を抜いている。読みの深さも、指摘する箇所も、評の主旨もすべて最高の質だったが、それら最高品質の読みを表現する際、「愛」をはじめとした言葉を用いており、主旨そのものは理解できるが、表現自体が説得力に欠ける。1点。

【Dグループ担当ジャッジの各作品評について】
・笠井康平
 幅広い着眼点から散文・韻文にかかわらない採点システムを構築しており、決勝でどのようなジャンルの作品が来ても採点基準として取りこぼしがないと思われる。一方、自身で批評しているように、このシステムには高得点になりやすい作品とそうでない作品が存在している。システムの穴を突け。5点。

・寒竹泉美
 「短歌や川柳や俳句もそこには物語があると思う」とある。広義の意味の「物語」と思うが、この先の試合で「物語がないと思う」作品が提出されたとき、どのように評価するか判断できない。1点。

・鯨井久志
 川合大祐氏の川柳の過剰性など、端的に各作品の要所を掴んでいる。しかし、方言や要素の手数など、形式面から攻めた読みが多く、内容面で読みのさらなる踏み込みがほしい。1点。

【総評】
 上記の理由から笠井氏を勝ち抜けとする。
 同様の基準から大会運営を評するならば、前年度のようにブンゲイファイトクラブが小説ファイトクラブとなりつつあり、「異種格闘技」の目的を達成できていない。1点。

金子玲介 (「矢」 )

明瞭性(個々の作品に対する優劣の根拠が明確であるか)、読解深度(作品に新たな視座を付与しているか)、採点レンジ(何段階評価をとっているか)、可読性(文章が読みやすいか)、距離感(自己陶酔に陥らず作品と適切な距離を取れているか)を五段階で評価し平均をとり、四捨五入した上で、魅力(これはもう単純に好きかどうかです)を適宜±1点しています。

・青山新さん 2点(明1、深5、採2、可2、距2/魅±0)
評の深度はすばらしいのですが、各作品の優劣の根拠が不明瞭に感じました。また、ルールを勘違いされていたとはいえ、与えられた5点を段階的に振り分けず、良/否の単純評価としているのは少々乱暴かと。評論としては申し分ないし面白いのですが、"ジャッジ"としてはそぐわないのかな、という評価です。

・阿瀬みちさん 3点(明3、深2、採4、可4、距4/魅±0)
作品のポイントが端的にまとめられた、読みやすい、優れた書評と感じました。が、どうしても「まとめただけ」の印象が拭えず、深度を低くつけさせていただきました。

・遠野よあけさん 5点(明5、深4、採5、可4、距3/魅+1)
良し悪しの判断もわかりやすいですし、どうにか順位をつけようと苦心されている跡が見え、非常に好感を持てました。拙作「矢」が「成長する起案」と比較された上で2にされましたが、横並びで3を付けられるより、ずっと気持ちがいいです。評の文章も、魅力に溢れていました。

・大江信さん 1点(明4、深3、採3、可1、距1/魅-1)
冒頭からひどくナルシスティックな気配を感じ、怯みました。個別評自体は、作品の丁寧な要約がなされ、また「沼にはまった」に対する強気な読解もおもしろいと感じましたが、冒頭の鳥肌がおさまらず、評点を抑えさせていただきました。

・鞍馬アリスさん 5点(明5、深3、採5、可5、距5/魅±0)
抜群に読みやすいです。コンパクトかつ明快な理由とともに、はっきりと順位付けされた作品評はスマートで、素晴らしい「ジャッジ」と感じました。

・樋口芽ぐむさん 1点(明2、深2、採3、可2、距1/魅-1)
大江さん同様、個別評に入る前の挨拶文が少しきついです。また、個別評にもところどころ自分語りが散見され、「ジャッジ」に徹しきれていないのではないかと感じました。

・小林かをるさん 1点(明3、深1、採3、可3、距1/魅-1)
さすがに個別評が薄すぎると感じました。講評は自分語りの場ではなく、作品と向き合う場だということを、肝に銘じていただきたいです。

・冬木草華さん 4点(明4、深4、採4、可4、距5/魅±0)
かゆいところに手が届く、何から何まで端正なジャッジ評でした。作品を褒めるのみならず、至らない点を積極的に指摘する姿勢は、作者にとってもありがたいもののはずです。ただ、やや真面目すぎるというか、もう少し、羽目を外した読みがあってもいいのかもしれません(ないものねだりですが、、、)。

・由々平秕さん 5点★(明5、深5、採4、可5、距5/魅+1)
完璧だと思いました。公平を期すため、別途公開されているABDグループの個別評は読まずに書いているのですが、明確な採点システム(すみません少しパクらせてもらいました)、美点欠点を織り交ぜた納得感のある読み、語彙豊穣で流麗な文章、基本は自己を潜めつつ身体的な「驚き」ポイントを加算する絶妙な距離感、全て最高水準で、魅力的です。6点になってしまったので、5点+勝ち星としました。

・笠井康平さん 5点(明3、深5、採4、可5、距5/魅+1)
ジャッジ評というよりは、読み物として、いちばん面白いと感じました。唯一の三年連続ジャッジであり、大会を経るごとに採点システムが迷走と洗練を極めていく過程は、連載物として抜群の読み応えがあります。紙幅の問題かと思いますが、各作品の項目別得点が見えないと採点の納得感は薄いので、後日別途公開いただけると嬉しいです。

・寒竹泉美さん 4点(明3、深3、採4、可5、距4/魅±0)
ひときわポップで、誠実で、読んでいてとても楽しかったです。ただ、ニュアンスが難しいのですが、ジャッジ、というより、選評、という感じがしました。新人賞などでよく見る、巧い作家の、面白くてタメになる選評、というか。もはや私のわがままなのですが、あと少しだけ、BFCならではの「闘志」が文章から滲み出ていればなぁ、と思いました。

・鯨井久志さん 3点(明3、深3、採5、可2、距4/魅±0)
最終的な採点軸が「コミュニケーション希求力」というのは面白い発想だと思いました。採点根拠も明確で、個別評も申し分ないのですが、全体的に、少し硬い印象を受けました。せっかくのお祭りなので、もっと肩の力を抜いた、楽しげな評が読めたらさらに良かったです。

藤田雅矢 (「金継ぎ」)

青山新2
阿瀬みち3
遠野よあけ5★
大江信3
鞍馬アリス4
樋口芽ぐむ3
小林かをる3
冬木草華4
由々平秕3
笠井康平3
寒竹泉美4
鯨井久志4

 二年前BFCの企画をはじめて見たときには、文芸異種格闘技なんてできるのか、好きに読めばいいんじゃないのとも思ったのですが、実際その場に立ち会え参戦してみて興奮しています。それを支えているのは、各作品を精緻に読まれ、評を書き、点数をつけてくださるジャッジの皆さんのおかげ、敬意を表します。ありがとうございました。
 そのジャッジをジャッジなんて大変悩ましいですが、面白いと感じる読み方を見せてくれたか、評から作品を読みたくなるか、またジャッジしてもらいたいかという視点から加点をしました。また、前提が書かれていますが、5点と1点にのみ配点という形にされるのは、いまひとつ納得できず減点をつけました。わくわくどきどきと言葉の力を評価基準とされ、次のジャッジを一番読んでみたいと感じた遠野よあけさんを5点勝ち抜けとします。

坂崎かおる (「5年ランドリー」 坂崎かおる)

 私は批評というものに疎いのですが、態度として師はいます。技術については加藤典洋、心(ハート)としては小林秀雄に影響を受けています。以下、ジャッジのジャッジについては、ときどき二人の文章を引用しながら(あるいは背後ににじませながら)判断していこうと思います。

 小林秀雄はその「批評」という文章の中で、批評自体をこう述べています。
文学者というものは、皆、やりたい仕事を、まず実地にやるのである。私も、批評というものが書きたくて書き始めたのではない。書きたいものを書きたいように書いたら、それが、世間で普通批評と呼ばれるものになった。(「批評」『考えるヒント』(文春文庫))
 小林に倣うなら、批評という仕事もまた文学のいち形態であり、ジャッジもまたファイターなのです。同じファイター同士、その中でも重量級の階級に挑戦する皆々様に、まずは素直に敬意を表します。
 それを踏まえた上で、評価軸は以下のようにいたします。
・「完成度評価点(PP)」(1~3)
・「批評性評価点(CP)」(0~2)
・「個人的なずれによる加点及び減点(SP)」(±1)
 そう、これは前回の第2回BFCの由々平さんの評価基準であり、それにプラスアルファで援用いたしました。大きな理由は、批評的技術の乏しい自分にとって自身に適合した評価軸であったこと、特に、ジャッジもまたファイターとして見るのであれば、ジャッジ評をひとつの作品として認識すべきであり、PPについて重きをおく姿勢が合っておりました。ちなみに、小さな理由としては、タイトな日程の中、新しい評価基準を自分の中でつくるのがなかなか困難であったことが挙げられます。一応、エクスキューズとして、由々平さんの評価に手心を加えてはいない(はず)であることは申し添えておきます。
 SPについては、真に客観的なる評価が存在しない以上、自身が感じる「ずれ」を私は大事にしています。簡単に言えば、自分が予見できなかった「発見」に対してポジティブなずれであれば+1、自分の感覚から遠ければ-1としています。この「ずれ」はあくまで個人的尺度であり、その発見の善し悪しを論ずるものではないことは悪しからず。
 採点は以下の通りになります。
青山新 4  
阿瀬みち 3  
遠野よあけ 4  
大江信 2  
鞍馬アリス 3  
樋口芽ぐむ 3  
小林かをる 4  
冬木草華 4  
由々平秕 4  
笠井康平 5 ★
寒竹泉美 5  
鯨井久志 3  
以下、僭越ではありますが、評の内訳です。
青山新(PP:2 CP:1 SP:1=4)

 5と1で思い切って点数をつける方法は、運営上のルールに挑むような姿勢でよかったです。このPPの2点は、どちらかというと作品評についてというよりは、採点制度自体への考え方に依ったところがあります。ただ、やはり「勝ち点」制度への誤解を考えると、「バランス」型が有意に有利か、というところは疑問が残ります(私見を述べれば、こと勝ち抜けに関しては、そういった傾向はあるだろうとは考えますが、顕著かと言われると言い切れない気もします)。
 その採点制度への思い切った試みと比べて、批評的な観点はかなり堅実で、テキストの細部や構成を軸にした評価でした。「幸せな郵便局」の視覚の不完全性についての言及、「矢」の会話劇という構成の捉えなど、手堅く好印象でした。しかし、冒頭の思い切りのよさを考えると、その批評的部分にも新たな飛躍が欲しいと、欲張ったことを考えてしまいました。
阿瀬みち(PP:2 CP:1 SP:0=3)

 阿瀬さんは作品の「テーマ」にスポットライトを当てて評価していると感じました。冒頭にある「能動的な行動により変化が訪れる作品により高い評価を下した」という評価方法に、私はちょっと唸りました。読み手はこれぐらいわがままに振舞うべきであるし、それに耐えうる作品が残るのだと思います。
 評はどれも短くまとまり、物語の背景の捉え方も的確であると感じました。たいへん優れた読み手であるとは感じつつ、批評とするには少し言葉が足りない部分がある(読者にやや判断を委ねている)のではないかとも思いました。例えば、「成長する起案」に対して、結びを「市役所が独立した装置として作用し魔力を帯びてしまったようだと感じた」としていますが、その装置についてジャッジが果たしてポジティブに捉えているのか、具体的にどう作品に影響しているのか、判断しかねるような個所が気になりました(これは字数制限もあるのでしょうが...)。
*(追記)ただ、阿瀬さんにかんしては、他のグループの個別評も掲載されていて、自作の「5年ランドリー」に関する評を読むと、他のジャッジでは指摘できていない書き手の欺瞞を鋭く書いておられ、これを入れていいならもっと評価を上げていました。

遠野よあけ(PP:3 CP:2 SP:-1=4)

 前回と変わらず、「ぼく」の「固有」の基準の審査という点はたいへん好感が持てます。なにより読んでわかりやすく、楽しい。作品の芯の捉え方も、さらっと書いているようで、的確だと感じます(「成長する起案」の「とてつもなくポジティブな信頼」や「夏の甲子園での永い一幕」の「構成の妙によって読者を楽しませる作品として冒頭が書かれてしまっているように思う」という指摘など)。非常に達者な書き手で、恐らくもっと違う文体でのアプローチも容易にできることが想像できます。
 ちょっとだけ気になったのが、「幸せな郵便局」の半角「1」に対する言及で、それはそこまでこだわるべきなのか、というところがどうしてももやもやしてしまい、個人的な評価であるSPを-1にしました。

大江信(PP:1:CP:1 SP:0=2)

 ポエティックな文体は好みの分かれるところかもしれませんが、私は嫌いではありませんでした。非常に生き生きと筆がのり、縦横無尽に思考がかけめぐる評は心地がよいものです。裏を返すと、全体のまとまりとしては少し穴があるかなというのは正直な感想でもあります。
 批評的な観点から言えば、基準の点数について、Bグループにおいて差異があったのが「C」の「物語の豊饒さ」のみという点が気になりました(他のグループは内訳がわからないのでBグループのみを判断材料にしています)。「豊穣」という語がやや漠然としていて、評を読んだ時に、どこに差異がついたのか、というのがつかみにくい部分がありました。恐らくそれは、文中に登場する「叙情性」や「「空白」の設計」なのかなとは思うのですが、それならばなおのこと、もっと評者として独善的に自分がなぜその点に惹かれるのかというところに枚数を割いてもよかったのでは、と感じます。

【追記】
当初、Bグループの評点の違いが「物語の豊饒さ」のみとしていましたが、川合氏に対するテーマの一貫性についても違いがあるとご指摘いただきましたので、「Bグループにおいて差異があったのが「C」の「物語の豊饒さ」のみという点」という文は訂正いたします。申し訳ありません。ただ、Bグループにおいて差異が多かったのは「物語の豊饒さ」という評価項目であり、その詳しい説明を聞きたかったという私の主張する内容は変わらないため、点数や内容自体の変更はありません。無論、私の評が妥当かどうかについては各人の主張により違うことは、当然ではありますが、付記いたします。
 
鞍馬アリス(PP:2 CP:0 SP:1=3)

 どこかで「感想のジャッジ」というようなことを述べられていて、まさにそれを体現するような評でした。「どんな一手を打って来るのか気になった」「パンチが弱く」という表現は、確かに批評としてはちょっとぼやっとしているとは思うんですが、私個人としては非常に納得できる表現だったので、SPに+1をしています。CPが0になるのは、評者の瑕疵というより、私自身がこの形式に対して評価するすべを持っていない、と考えていただいた方がよいかと思います。
樋口芽ぐむ(PP:2 CP:1 SP:0=3)

 どのシーンがよいか、どの文がよいか、かなり割り切って書かれている分、評全体として短く伝えたいことが伝わってきました。明確な判断基準を示されていなくても、樋口さんはこういうものが好きなんだなという、評者の「好き」が十分に伝わってきました。
 CPとしては、結びの段落の「I」に関する一人称についての提起が少々気になりました。果たして主人公は「どちらの性であっても成立」するのかどうかは、ここで考えるにはなかなか難しい問題だなと感じます。「小さなリュック」の「僕」が女性だった場合、私はあの物語の底に潜むやりきれなさみたいなものは、また表情を変えてしまい、ことによるとラストまで変わってしまったのではないか、とも思います。上記のように総括するにしてはもう少し論拠が欲しいなと感じてしまいました。


小林かをる(PP:3 CP:0 SP:1=4)

 何をかいても「小林かをる」になってしまうことがたいへんすばらしいと思いました。個別評に入る前の前段、語られるお話の中にいつ美禰子が、聡子が出てくるのだろうといぶかってしまいました。加藤典洋は、『テクストから遠く離れて』で、テキスト論の限界を「作者の像」という形で克服しましたが、作者と不可分な像がありありと見えました。書くという姿勢についてこねくり回さず、自分自身を「実地」で実行できている点に感服しました。各作品への短い評も芯を捉えてたいへんよいと思ったのですが、評として考えた時に、今の自分には点数がつけづらいと感じこのような形にしました。

冬木草華(PP:2 CP:2 SP:0=4)

 グループ内の相対評価で、加点式で決めていく方法は手堅く好印象でした。いろいろなコンテストの選考も、おおむねこのような形で決められていくのではないでしょうか。冬木さんは細かく見るというより、全体像について大まかな方向性を決め(「中庭の女たち」の「作品内の彫刻たちのように重層的な雰囲気」、「バックコーラスの傾度」の「物語としてはいささか平板なはずであるのに作品の読ませる力は損なわれない」など)、そこからその方向性の論拠となる部分を割り出していく形は評価していく上でのお手本のように感じました。勝ち抜け基準の「次作に更なるアクションを予感させるもの」もよかったです。

由々平秕(PP:3 CP:2 SP:-1=4)

 何より「驚き」の評価基準がよかったです。「眉や肩がよく動く」という身体表現もいい。こういう考え方が大好きです。この作品はこう評価したいなと思う点が自分自身とマッチしているところが、PPの高さにあらわれてしまっていますが、そこは好みが合うので仕方がないと割り切りました。
 一方で、評の文章自体がそこまでストイックではなく、これは完全な主観でちょっと合わなかったので、SPをー1にしています。ただ、それを抜きにしても、勘所を押さえた評はたいへん魅力的でした。
 
笠井康平(PP:3 CP:2 SP:0=5)★

 3回目ということもあって、横綱相撲という感じでした。特に「採点方法」の項目は、チャーミングな書き方をしながらも、自身の採点方法の両面についてしっかりと言及していてある種の誠実さを感じました(「ワンアイデアで書かれたシングルストーリーよりも、いくつもの題材を組み合わせたナラティブが高得点になりやすい」)。評を読んで私も勉強になりました。総合的にジャッジとして信頼ができると感じました。
 私としては勝ち抜けとして推したいのですが、整いすぎているだけに、「いやもっとさ、ファイトなんだからさ、理不尽に殴ってくる方がいいんじゃないか」という思いもあります。

寒竹泉美(PP:3 CP:1 SP:1=5)

 「愛と変態度」の基準はいいです。たいへん一貫していて評がわかりやすかったです。「イカの壁」の「不条理を貫き通してほしかった」とか、「背後霊とか大好きだから!」とか、愛が伝わってきます。なんというか、ブンゲイファイトクラブで求めてる評はこういう感じじゃないのか、と思いSPを+1しています。推してもいいんじゃないかとも感じたのですが、ここまで絞ったジャッジでいいのかというためらいがあり、点数に出ないところで少々低くしてしまいました。

鯨井久志(PP:2 CP:2 SP:ー1=3)

 構成の観点から、システマチックに読み解く評で、たいへん安定しておりました。「生きている(と思われる)もの」に対するラストの展開への指摘、「イカの壁」の粗さの指摘など、日頃からそういう読み方が鍛えられており、その点でじゅうぶん信頼に足るジャッジだと判断しました。
 あとはちょっと自分と評価軸が合わない部分があり(「お節」のラストは私には十分な爆発力でした)、これがSPを下げている理由です。

 以上がジャッジのジャッジになり、私は笠井氏のジャッジを支持します。ただ、個別評でも書いた通り、ブンゲイファイトクラブという特殊な(あえて特殊と書きます)空間において最適かと言われると自信はありません。
 こうやって書いてみると、自分の「こういう風に批評されたい」という傾向がわかり、たいへん新鮮な気分でした。同時に、果たしてお前はそれでいいのか、という疑問を投げかけられたようでもあり、襟を正す思いです。いずれにせよ、恐らくこんなにたくさんの人に丁寧に読んでもらったことは初めてだと思うので、ジャッジの皆様には感謝してもしきれません。私のことは嫌いになっても、ブンゲイのことは嫌いにならないでください。

松井友里 (「第三十二回 わんわんフェスティバル」)

大江信 2
由々平秕 3
青山新 5 ☆(勝ち抜け)

冬木草華 4
遠野よあけ 3
寒竹泉美 3
阿瀬みち 4
鯨井久志 2
鞍馬アリス 3
樋口芽ぐむ 3
小林かをる 3
笠井康平 4
いざ自分が採点する立場になると、点数をつける行為というのは非常に難しく、そのうえで、以下の3点を軸に評価を行いました。
・テキストに対して心身を開いていると思われること
・テキストの読解の可能性を広げていること
・BFCのゲーム性を踏まえたジャッジであること
点数はあくまで相対評価です。
いまだかつてないほど多くの人が書くこと、読むことを行っている時代の中で、情報の収集や一瞬の儚い刺激を目的としない文章を書き、読むことのスリリングな楽しみがより広がってゆくことを願います。

薫 (「小さなリュック」)


青山新 3
阿瀬みち 3
遠野よあけ 1
大江信 3
鞍馬アリス 4
樋口芽ぐむ 3
小林かをる 5
冬木草華 3
由々平秕 4
笠井康平 4
寒竹泉美 3
鯨井久志 3
(敬称略)

 正直に言って、今回決勝をさばくにふさわしいジャッジを誰にするのかは決めかねました。
 自分の書き方の姿勢、自分のこれまでの書き方やものの見かたが更新されるような、そんな出会いを、期待していたのですが、わたしの側に当然原因があるのですが、そんな出会い、この人の書いたものを更に読みたい、と思えるものがありませんでした。故にこの文章の方も退屈極まりない、最後まで読み通して頂けるのか心もとないものですが、とりあえずは、ファイターとして、ジャッジのジャッジの責務を果たすべく、思ったことをできるだけ簡潔に、つらつらと書いていくことにいたします。(ここまでの時点でどれだけの方が読んでいるかは疑問ですが、そしてそれは全然悪いことではなく、わたしも途中で読むのを止めてしまったファイターの作品や、ジャッジの評がありますので、あなたがそうだったとしもお気になさらないでください。と言って、読んでなければこの言葉も意味がないのですが)。
 いちばん残念に思ったのは、遠野よあけさんです。わたしに1点をつけられましたので、なるほどと思い期待して読みました。5点と、わたしの決勝ファイターとして選ばれるチャンスだったのですが(わたしはマゾですので、他の方は1点で、遠野様だけには5点をつけてもいいとさえも)、個人的には他の方を圧するほどの、よあけ様という個性が、目を見開かれるようなものが、感じられませんでした。故に残念ですが期待の裏返しということで、3点でも4点でもいいのですが、そっちの方が面白いかなということで、1点とさせて頂きます。
 最終的に御一人選んだのは、小林かをる様です。特に作品に、いい意味での歪み、人間の歪み、かをる様の意識無意識作為無作為を含めて歪みを感じました。わたしは人間はすべて歪んだ生き物だと思います。かをる様が裁くのが変な言い方ですが、いちばん公平になる気がします。期待しています。

さばみそに (「沼にはまった」)

◆勝ち抜けジャッジ
 鯨井久志

◆採点結果
 青山新  :5点
 阿瀬みち :3点
 遠野よあけ:3点
 大江信  :4点
 鞍馬アリス:3点
 樋口芽ぐむ:3点
 小林かをる:4点
 冬木草華 :3点
 由々平秕 :4点
 笠井康平 :4点
 寒竹泉美 :4点
 鯨井久志 :5点

◆採点方法
 〇加点方式を採用。初期の持ち点を1点とし、以下のポイントで加算。
  ・ジャッジの基準として定めたものに対して、ブレることなく評価できていれば+1点。
  ・各作品評に対してジャッジの基準と不一致が無ければ+1点。
  ・「ジャッジ評」に『ファイターの作品を評価する。』以外の価値を感じれば+1点。
  ・「この作品はここを評価したいよね!」という私個人の思いを汲んでいれば+1点。
  ・川柳、短歌を深く読めていると感じれれば+1点。
 〇対象はBFC3の公式ページ掲載のジャッジ評のみ。過去評や個人note、twitterの内容は対象外。
 〇最高得点ジャッジの中から勝ち抜けジャッジを決定。

◆総評
 小説のジャッジ評はどれも素晴らしく、各々のやり方で作品と向かい合い、きっちりと評価されていたと感じた。
 なので、どうやって差をつけるか、が最大の課題だった。
 振り返ると、「ジャッジ評」というものに対する『ファイターの作品を評価する。』以外の価値を持たせたという点と川柳、短歌をどこまで評価したかという点が差になった。
  前者は、「ジャッジ評」も一つの作品なので、ファイターの作品を評することを踏まえつつ、どんなことが表現できたかは大事なポイントだと考える。
 方向性や手法は各々異なるが、この点で特にに印象に残ったのは小林かをるさん、笠井康平さんだ。
  後者は、短歌を少しだけ齧る、いや、舐めた経験から生まれたもの。
 短歌は小説よりも、読み手に受け渡される余白が多い。BFC3のジャッジとして参加する方々が、その余白をどう受け取り、どう感じ、どう評価するのか、とても興味があった。
 左沢森さんの「銘菓」は冬木草華さんが全体を捉えつつ、特徴的な首にも言及されており、上手く掬い上げたと感じた。
 個人的にも「銘菓」はとても素晴らしく、一首々々と作品全体から視点の主となる「わたし」の心の動きや細やかな想いが、単純に地方から出てきた人とは違う、抱えている思いを感じさせた。
 「夏はもうしばらく来ない~」で浮かび上がらせる「わたし」のそれまでの日常だった夏の風景とそれを奪い去った津波、触れていいもの触れてはいけないものの扱われ方と、その向こう側にある大切だった思い出の関係が、とても良い首だと感じた。
 ただ川柳に関しては、私自身が川柳というものに触れる機会が少なく、どう評価するべきかの基準を設けることができなかった為、それぞれのジャッジ評を照らし合わせ、納得感を感じた評に加点した。
 川合大祐さんの「フー 川柳一一一句」は鯨井久志さん、星野いのりさんの「連絡帳」は阿瀬みちさん、遠野よあけさんの評が最も納得感を感じられた。
 個人的には「フー 川柳一一一句」は「連絡帳」と比べてストレートに読める句が少なく、読めたらたまらない作品なのだろうと、そういう気配を感じつつも、そこから先に進めない自分が大変残念に感じた。
 もちろん、「連絡帳」も読めているとは思えないので、次回のBFCまでには、川柳の読み方も身に着けておきたいと思う。
 
 いや~、文芸作品を評価するって難しいですね。考えれば考えるほど、ずぶずぶと沈んでいく、見えなくなっていく。これは沼ですね。
 ジャッジとして参加された方々、お疲れさまでした。
 力不足だなぁ、もっともっと沼での泳ぎ方を学ぶべきだな、と痛感しました。

川合大祐 (「フー 川柳一一一句」 )

 ジャッジへのジャッジ、〈法〉をめぐって

 当然誰もが理解していることだが、ジャッジは「批評」ではない。批評、あるいは評論(この二つに決定的な差異があるにせよ)が「読む」ことによって、そして「書く」ことによって新たなテクストを創造することであるなら、それは作品に対する共犯関係の取り結びと言い換えることもできる。
 対してジャッジはあくまで「審判」を下すものである。読解は必要ない。とまで断言することはできないが、読解が目的ではないのだ。読み解く、ことは判断のための証拠集めに過ぎない。「審判」とは法によって下される判断である。ここにおいて「法」というものがブンゲイファイトクラブに確立されているかと言えば、それはまだ未完成と言うしかないだろう。
 そもそも異種格闘技戦の様相を帯びる今大会において、裁くための法、ルールはまだ公式化されているとは思えない。無論それで良いのだと思っている。BFCは進化してゆく。「ジャッジもジャッジされる」というシステムもまた、いつかの日を想定しつつ「法」が成立してゆこうとするダイナミズムを孕む。この運動そのものがBFCの斬新さであり、魅力ではないかと思う。
 その、換言すれば淘汰の中で、ジャッジは各々が自分の「法」を持たなければならない。この法の公正性、などはあらゆる法がそうであるように何の保証があるわけではない。ただ、自らが制定した「法」にどれだけ忠実であるか、「法」がどれほど徹底しているか、という点のみが法を法として成立させている。今のところは、各ジャッジの「自らへの義務」を果たしているかどうかが重要で、そのせめぎ合いこそがブンゲイファイトクラブを運動体にしているのだと思う。
 したがって、各ジャッジに対して、①自らの法を確立させているか②その法をどこまで徹底させているか、という二点のみに絞って採点させてもらった。無論これも私の法、でしかないし、それが徹底されているかどうかも、またジャッジされる以外に確認のしようがない。「ジャッジへのジャッジへのジャッジ……」という無限が開かれているが、それもまたこの大会の試みの一つとしてあるのではなかろうか。いずれにせよ、「批評ではなくジャッジ」という「法」が私の採点基準である。そこにブレがあるとしたら、また自分を更新してゆくしかない。当然ながらすべてのジャッジが「評」として高水準にあり、低得点をつけたものも、確実に「評」として優れている。言説の位相を変えるようだが、全てのジャッジに尊敬と感謝を込める。
 ジャッジ得点

 青山新 2
 阿瀬みち 3
 遠野よあけ 2
 大江信 4
 鞍馬アリス 3
 樋口芽ぐむ 2
 小林かをる 2
 冬木草華 4
 由々平秕 3
 笠井康平 4
 寒竹泉美 2
 鯨井久志 5(勝ち点)

首都大学留一 (「超娘ルリリンしゃららーんハアトハアト」 )

ジャッジ評にある程度枚数制限があり,担当グループ全作に言及という共通フォーマットが既にあるので,細かく採点項目は設定せず各ジャッジ評のなかで印象的であったものに言及していく。

評価は最終的に1〜5点の得点によって代表するものとした。重視したのはジャッジ評によってどれだけ該当ファイターの作品の読みが、読者であるぼくにとって変容させられたかである。ジャッジ評も文芸作品として参加する以上、その言葉はファイター作品の世界と行き来自由の言葉であると考えた。ジャッジ評を読むことで、少なくとも読んでいるあいだ、論じられる作品は作品相互の言葉の出入りによって実際に変容する。その変容の強度が高いほどジャッジが、読者である自分を圧倒したものと考えた。

各ジャッジが担当グループ以外の評をネットに上げているものは,このJ・J執筆にあたっては参照しなかった。
青山新(勝ち抜け)

「成長する起案」評で、作品自体を文芸の場における起案とするまでの展開が鮮やかで、ジャッジの結論したように作品外への広がりを出現させる評だった。無理なく説得され魅力的な読みだと認めさせられる。そのうえで、押印欄の升目を一つずつ埋めていくさまは原稿用紙のイメージからBFCを想起するという点について、ぼくはコミュニケーションの広がりを見出す起案の回覧と決裁との類似性から、ジャッジによる個別の評価・採点を重ね合わせた。ジャッジ評執筆中には存在しなかったものだが、ジャッジ全員の名前と採点が並ぶ表は決裁欄に似ている。誰か一人が押したまたは押さなかった判は全体に影響を及ぼす。現実の決裁過程では誰かが判を押さなければ起案は止まる。作品内容とほぼ無関係の1点連打つまり押印なしによって大量の起案を止めかけたことをどう評価するかが難しかった。しかし本ジャッジが5点および勝ち抜け判断したぼくも落ちているので、ジャッジが縮減しようとした勝敗の不確かさが、12人のジャッジによる決裁というコミュニケーション過程でやはり起こることが示されたと感じた。運営の言葉の誤解により発生したルールの誤認から発された、否決としての1点が、コミュニケーションの過程を経て、否決を含みながら決裁される起案という奇妙なものを生み出したことは、本評が現実に与えた影響といえる。「連絡帳」評で、「日常の発話の全てが詩歌へと変ずる可能性が開かれている」ことを指摘した展開も、圧縮した文章で遠くへ力強く接続されており魅力的だった。BFCはまず書き言葉の世界であり、全てが詩歌へ変じた、発話と同時に言葉が書きつけられる無音の世界に現れてくるものは怖さを感じるほどの強度があり、聴力を失って後のゴヤの作品群を連想させずにはおかない。評によって「連絡帳」の世界に重なってある世界が開けたと考えた。
「成長する起案」のところで述べた奇妙な決裁は、本評の存在によってとても面白く感じられたが、1点/5点方式の採点自体をぼくは支持しない。5点。
阿瀬みち

「成長する起案」評について、視点人物は与えられた仕事を過不足なくこなしている。成長、中西さんという本作のキーに自らタッチしていくことはなく、ステレオタイプ的なお役所人間といえるという、受け身な人物造形に触れている評と読んだ。ジャッジが評価すると宣言した能動性とは真逆の人物だったと思う。一方でジャッジが着目したのは「独立した装置として作用し魔力を帯びてしまったよう」な、市役所である。官僚組織の非人間性はとりたてて斬新な着目とはいえないが、「魔力」という用語を選択したところは特徴的だと考える。人間を疎外する組織の非人間性に焦点を当てながら、組織に対してとても人間的な表現を用いる。魔力は人間の力を超えているようだが、異端審問で魔女が大量に殺されていた事実を思うと、やはり人間の怖さに強く紐づけられた言葉だろう。したがってジャッジが本当に能動的な主体と見ているのは市役所なのでは、と読めるのだが、ジャッジが「視点人物」にこだわるあまり、作中で活発に主体性を発揮する市役所の姿にかすりながら素通りしてしまった評に見えた。作中人物たちは市役所の成長する起案に翻弄されているという印象も問題視する様子もなく、そもそも認識自体が外されている。本作を組織による個人の疎外というオーソドックスによって読むのは無理と思えるので、たしかに「魔力を帯びてしまったような」市役所というイメージから読みを進めるという可能性が光って感じられる。こうなってくると、グループ全体の特徴を指摘して、視点人物の能動性を軸に判断するという評の構成自体が、Aグループを捉え損ねていないだろうかという疑問が出てくる。評に明らかな誤字が複数残っていることも含め、この評についてはもう何周か自分でじっくり読み返すことで考えが深まるポテンシャルがそのまま放置されていると考えた。3点。
遠野よあけ

ジャッジ評を通して自分のおもしろがりを他人に伝染させようという試みだと読んだ。伝染性わくわくたり得ているかをみた。強く伝染[うつ]ってきたのは「幸せな郵便局」評と「矢」評だった。ジャッジによる採点は1点と2点。勝ち抜けの「連絡帳」評も、自分では見つけられなかった発見に満ちていてよかったが、日本語の新しい使い方という個人の壮大な発見に、こちらの気持ちがついていききれないところがあった。ジャッジという「固有の人間」が読んでいる、抽象化され過ぎない手触りが「幸せな郵便局」評と「矢」評にはずば抜けていて、特に「幸せな郵便局」評では、あったかもしれない作品の姿を見せられた。ぼくが読んだときは横倒しの1はただの誤字だなと即断して素通りだった。「矢」評は文章が笑えた。評で笑ったのに元の作品を読んでみたくなるというのは不思議だ。元の作品をぼくもいいと思っているので、この評をきっかけにぜひどんどん読者が流入してほしい。ジャッジ内ではグループ下位の作品評により強くわくわくさせられるのは、わくわくの誤爆ではないかとも思え、どう評価するのか難しかった。やはり作品を褒めることで他人をわくわくさせることは難しいという、評につきまとう難しさと関連する完成度の問題と見るのか、愛をもって評したからこそ、下位と判断した作品へも読者の目を向わせる多様な読書の結節点となったと見るのか。両方であると考えた。5点。

大江信

「沼にはまった」評に力を感じた。作中の現象が突然収束し、ラストの印象が苛烈なほどの迫力を持ち始めた。「フー 川柳一一一句」評は、ランダムや荒唐無稽とは違う意味のつながらなさがもつ力を個々の句の背後に通底するものとして見ようとする評で、「意味がつながらない事象同士がつながらない意味」を名指すところまで読んでみたかったと思う。3点。
鞍馬アリス

全体的に丁寧で無理のない感想だった。

「第三十二回 わんわんフェスティバル」評について、わんわんフェスティバルの字面に気を取られて見落としがちな、第三十二回という素っ気ない情報が、作品のおかしみと不穏さを作り出していることを指摘した感想。6つの感想のなかでもっとも印象的であった。回を重ね、作中で不在のまま不穏な存在感を放つわんわんフェスティバルを経験した者が、大勢世の中に溶け出している。決してたどり着くことのないわんわんフェスティバルの周縁が広がる感覚をもった。3点
樋口芽ぐむ

感想をベースに、ひっかかりを感じる文章を配する。『小さなリュック』評と『フー 川柳一一一句』は該当の作品を読んでみたいという気になった。端的に作品の特徴を言い当てていて、作品への確かな眼を感じさせるが、評から受け取る引っ掛かりは、書籍の帯文に感じる引っ掛かりと同様の感覚とも思え、作品の勝敗を決する役割が期待されるBFCにおいて積極的に推すにはいたらなかった。2点

小林かをる

「超娘ルリリン しゃららーんハアトハアト」評について。「私」の登場という本作の結節点を「分からなかった」として評を切り上げた。作中に配置された情報から何かしら「私」の出自が読み取れないだろうか。本作の書き手を「読み慣れ、書き慣れた」人間と判断したなら、なおのことである。「分からなかった」とシンプルに書くことはよいと思った。しかしジャッジとして読む以上もう少し粘るのが筋では、と言いたくなったところでこの評の序文が後からくるボディブローのように効いてくる。評する側も人間である以上、作品の守備範囲がオールマイティではありえない。他者に作品を預けることと切り離せない不確かさが序文に目を通したとき既に自分にも感知されていながら素通りしていたことに気づく。

ただこの通りに言うだけではありきたりの説教を繰り返すことにしかならないだろう。ぼくもその類の説教ではほとんど何も感じない。他人事だからだ。だがこの評では、ジャッジのかつての苦い教訓が序文-作品-中断された評の円環に巻き込まれるファイターに生々しく伝達される。

ほくほく線のとぼけた語感が好きだ。ところでぼくはこの作品は多分100枚分くらいのことは情報として認識していて、ルリリンが通うのは「聖熱心党のしもんズ大学附属じんじょう小学校」だとノートに書いてある。もし6枚のレギュレーションでなければ躊躇なくこの校名を書き入れていたと思う。しかし今となっては書くべきか書かざるべきか、悩みが増えた評だった。ここまで書いて数時間置いてみて、それでもやはり書くと思ったが、「聖熱心党のしもんズ大学附属じんじょう小学校」と小説に書くことで何が起こるのかはどこかで考えるようになると思う。

評単体として、読者である自分に働きかける力が強く優れた作品だが、ジャッジ評というよりは、この文章は小説であって、優れていた。2点。
冬木草華

「超娘ルリリン しゃららーんハアトハアト」評について。作品の表層に囚われない鋭敏さで、作中に書いてあることから自分の読みを引き出しているように見えた。しかし「見当違いかもしれないが」、と読みの可能性を遠慮がちに出してすぐ引っ込めたため確信が持てない。面白そうだったのでそれを提示してほしかった。ジャッジはぼくが考えていたこととかなり近い読みを引き出しているような痕跡が見えた。作者の想定する読みが他に優越するとは考えていないが、おそらくジャッジが持った読みが提示されていれば、広がりをもった批判を本作に加える足がかりになった。丁寧に作品を読み解く力もよいが、パンチを持っているなら打ってもいいんじゃないだろうか。

□や■を「視覚的な効果に留まっている」と評した点はよいと思った。確かに□や■はもう少し違った形でやろうと考えていて、規程枚数の関係で本作の状態になった(これは本作の中からは知りようもないので余談だ)。ジャッジの指摘したように、本来実現したかった効果はほとんど失われて視覚効果のみが残った。では□や■は不要なのかと言われると、不要とは思っておらず、予算が全然ないのに無理やり大作を撮ろうとしたエドウッド的なおかしみや哀愁が作品に代わりに出てきたと感じたし、明滅を表すだけでなく、見た感じキッチュな紙面を作り出す効果がいいと思っている。3点。
由々平秕

「超娘ルリリン しゃららーんハアトハアト」評について。確かに自分の小説は、なんか著作権関係が怪しそうな、だれがリミックスしたのかよく分からないYouTubeに上がってるジャンクな感じの音楽に影響受けてるよな、と常々思っていたけど、評によるとそういう音楽ってフューチャーファンクという言葉を既に与えられているらしい。冒頭3行で手札は全て暴かれていることを知る。

評でなされたことは独立した系としての小説の構成要素への解体と、統合の手続きの再演であると考える。統合の手続きには書き手の意図や書き手が内包するテーマにまで及ぶ言及が見られる。評のなかで書き手が他者たちの作った作品群を取り込み、影響を受けながら自らとの相互作用のなかで新たな作品を作り上げるまでがシミュレートされるという、長い時間にわたる虚構と現実の相互作用によって現れる虚構をまた虚構の中で再構築するという、虚構三重入れ子構造の評である。読者は作品がぎりぎりまで解体されそこからまた収束する過程を目撃することとなり、作品への認識を重層的に拡張させられる。構成要素の同定、統合手続きの再現が異常な精度をみせており,再構築された『超娘』は極めて開幕時点で読者の目に触れた『超娘』に近い存在として現れる。極めて近いと書いたのは極小の違いがあると考えているからで、その違い(差分とか言うとかっこいい)がこの評によって生み出された『超娘』が元の『超娘』とは確かに違うパラレルな存在であることの証拠なのだが、シミュレートの精度が高く、一見すると両『超娘』の見分けがつきづらいというか本物のルリリンを再現前されたと感じられるレベルであるのが本評の功罪相半ばするところである。違いとは、『超娘』によってゆがめられたものは何か、ゆがめたのは誰かという問題意識である。書き手が理性をもって自らの文体をゆがめ、しかし歪めることが前提に転倒したがゆえに、地の文が弛緩したというのがジャッジの理解である。後半部分の文章に力が失せていることは基本的に同意なのだが、ぼくは文章が本来もっていた力を失ったのは超娘の力が、作品外部にいた書き手にまで作用し、本来の文体をへにゃへにゃにしてしまったからだと考えている。見るものと見られるものがせめぎ合い、反転が現れる本作において、力の作用もまた逆方向になったと考えることは無理筋ではないと思う。

実は後半部分の地の文に力がないことは指摘があるまで無自覚だった。それが超娘の力によって実現されたのであれば嬉しい。いずれにせよこの評によって得られた認識である。5点。
笠井康平

「イカの壁」評について、「イカの壁」ではコミュニケーションにおける『ピーピングライフ』的またはロイ・アンダーソン監督作的なぎこちなさ、話し言葉の流暢さをわざわざ消失させた語り、に見られるようなカリカチュアをすることで発生する効果があったと感じていて、我々が大体の人と流ちょうにコミュニケーションできていない感じ、流ちょうに話しているようでうまくいっていない感じがトレースされていたと思う。小説においてそのぎこちなさが書き言葉的だったことにも意味があるのではないだろうか。だから書き言葉的なぎこちなさを別の語りに取り替える方向で、本作をより面白くできるのかということについては疑問を持った。

採点がとても精緻にされていることは伝わってくるのだが、要望を言わせてもらうと「文章がこなれないけどそれがいい」という次元の良さを評価できるような基準を組み込む方向で、採点方式をアップグレードできないのだろうか。自分でiPhoneを作ったわけでもないのに機能のざっくりとした文句ばかりネットに書き込む、ただのガジェット好き状態になって恐縮だが、そういう作品もひろう採点方式があったら見てみたいと感じた。3点。
寒竹泉美

ジャッジの物語への愛を示した評。ストレートに物語を評価するジャッジは新鮮に感じた。しかし冒頭で文芸またはブンゲイという言葉が捨てられ、物語という語が導入され、さらに特権的地位を付与されるのを見て、非常に危なっかしい感覚を覚えた。後に物語が文芸を内包する概念であるというジャッジの考えが記されているが根拠が見えない。

物語を特別とみることについて。作品、ジャッジの言葉でいえば物語が、人間である作者と違う存在であるということについて異論はない。単なる要素の集合であることを超えているという意味で作品はもはや作者から独立し得ているだろう。しかし人間と作品を垂直関係に位置づけつつ、作者に対して「偉い」「尊い」という言葉を使い同時に作品の「奴隷」と呼ぶことで、作品を無条件に聖化することは、作品が人から特に別れて、もしくは人を介して存在し始めたという出自を持つ以上、限りなく人神論に接近していくと思う。人神論が帰結するのはなにか、というのは既に決定的に書かれてしまっている。作品が一度は作者と関係していたこと、人間には限界があることを強く意識する必要があると考える。

よってぼくはこの評の前提条件である、物語・作品を聖化することには慎重な立場を取る。それは結局作品が現実にもつ力への軽視という転倒を告白していないだろうか。

もちろん、何を尊いと考えるかは極めて個人的な問題であり、ぼくもジャッジの考えの根幹を成していると拝察されることには何ら意見を持ちえない。しかしそれが個人的な信仰告白にとどまるならばである。信仰していた/いなかった(とジャッジから見えたか)を軸に他者を評することからは、いきなり国教制定という印象を受けた。

以上の序文を踏まえて、物語の奴隷となりえた場合、つまり信仰した場合、どう作品が変わるのかということが個別評で書かれている。しかし、引き続いて宗教的なモチーフによるならば、個別評で語られていることは、マルコ福音書は説明が足りず、物語として読者に伝わりづらくてもったいないからヨハネ福音書みたいに書き直した方がグッドくらいの内容としか受け取れず、無理があると感じた。

ただし、「カニ浄土」評のなかで「わたしはこの作品に出会うまで、書き込むことが描写だと思っていた。でもそうじゃなかった。削ることで生まれる濃さ。わたしのブンゲイ感がくつがえされた。五感を支配された。この作品を読んで、小説は映像どころか生の体験にも勝つことができるのかもしれない、と思えて嬉しかった。」という箇所はよいと思った。作品の美点から自らの感覚を修正する力はさすがと思う。しかしジャッジは西廻りでインドに至る航路を発見したと考えているレベルのインパクトを受けたように見えるが、実際に発見したのは新大陸であり、自分で考えている以上に広大な未知の領域と邂逅したのではと思う。そこにひろがっているのは文芸の残り半分ほどの広さではないだろうか。

二回戦までの数日で未開の大陸に十分な秩序をもたらすことは、いかに頭脳明晰でも難しいと考えた。1点。
鯨井久志

作品の内容・文体・構成を踏まえて、設定した項目に沿って採点するという、過不足なく役割を果たすジャッジの基本のようなスタイルだったと思う。「イカの壁」評の文体に関する考察などところどころ意見を異にする箇所はあったが、無理な飛躍なども感じられない。各作品の何を面白いと思ったのかもわかりやすかった。作品の強さを推す文章、弱点を指摘する文章がもう少し引っ掛かりのあるものだったら、評としての強さを感じたと思う。2点

コマツ (「中庭の女たち」 )

【点数】
青山新 5(勝ち点)
阿瀬みち 2
遠野よあけ 2
大江信 5
鞍馬アリス 2
樋口芽ぐむ 1
小林かをる 1
冬木草華 3
由々平秕 5
笠井康平 2
寒竹泉美 1
鯨井久志 5
(敬称略)
【ジャッジ評】
ジャッジのみなさん、採点ありがとうございました。私のジャッジのジャッジを以下に示します。
まず、ジャッジ評として掲載されたもののみを評価対象としました。
そして、私は評価基準が明確かつ説得力のある論を展開した批評について高く評価しました。明確さ、説得力を評価するために、下記の四つの項目を評価の対象としました。
1.評価基準、また加点・減点基準が評内で明示されているか。
2.評価に際して印象を述べるに留まらず、作品内の具体的な箇所に言及しているか。
3.ジャッジの提示した読みに新しさを感じるか。この新しさに関しては私の主観で判断する。
4.ジャッジの提示した読みに説得力はあるか。
以上四つを評価項目とし、それぞれの項目が満たされていれば各1点を加点しました。最低点は1点であるため、最大4点が加点され、最高点は5点となります。
勝ち抜けジャッジを決定する際に、まず、1と2の項目を満たすジャッジをピックアップしました。これは、私が、勝ち抜けジャッジには批評の具体性を優先して求めたいと考えたからです。
今回、勝ち抜けジャッジを選定するという観点から、1と2の項目を満たさなかった批評はその時点で加点を打ち切りました。そのため、それらの批評の獲得点数は抑えられました。
1と2の項目両方を満たすジャッジは以下の5名でした(敬称略)。
青山新、大江信、冬木草華、由々平秕、鯨井久志
この5名の中から、さらに3と4の両項目を満たすジャッジをピックアップしようとしたところ、青山氏、大江氏、由々平氏、鯨井氏が当てはまりました。
このため、担当グループを批評する際に、より多くの作品について、新奇性のある読みを提示したジャッジを、勝ち抜けジャッジとして選びました。
青山氏は、「幸せな郵便局」、「成長する起案」、「夏の甲子園での永い一幕」、「連絡帳」、の計4作品の評。
大江氏は「第三十二回 わんわんフェスティバル」、「沼にはまった」、「フー 川柳一一一句」の計3作品の評。
由々平氏は「やさしくなってね」、「ロボとねずみ氏」の計2作品の評。
鯨井氏は「お節」、「フー 川柳一一一句」の計2作品の評。
以上の個別評について、私の主観でとりわけ新たな読みを提示されたように感じました。
この結果から、私は、青山新氏を勝ち抜けジャッジとして判定いたします。

堀部未知 (「バックコーラスの傾度」)

 みんなきえちゃうの

 ブンゲイファイトクラブの闘技場を去ってから数日が過ぎました。憶えていますか。堀部未知です。
闘いなど忘れて次の宿場で酒でもあおる気でいましたが、今日はいい天気だし、峠の岩場に腰かけて、来た道を振りかえり、闘技場からきこえる雄叫びや場外乱闘の声に耳を澄ませています。
胸に刺さる言葉をください。太ももやおしりに刺さる言葉を。そう願いながらジャッジ評を読みました。わたしは文章を、物語を記憶することができません。好きになった文章、作品であっても驚くほどに忘れてしまう。自分で書いた物語ですら脳内からきえてしまう。作品名や作者のことは繰り返し意識することで残っている場合があります。印象に残る言葉や場面、書き手の姿勢、眼差しのようなもの。刺さる言葉矢の深さがわたしには重要です。わたしの身は薄い。放たれた矢が突き抜けてしまえば無かったことになりかねない。せめて肉の太いところに矢が刺さるように。少しでも長く体内に残るように祈る。するどい矢じり、つめたい矢じり、かわいい矢じり、笑いがとまらぬ矢じり。どんな矢じりであってもこの体内でいつかは消える。ようやく残る矢じりの欠片をわたしは記憶の藪や深海に潜り探すことがあります。虫が苦手で泳げもしないのに。読んだはずの本戦作品がもう消えはじめています。だから助けてほしい。ジャッジ評にはそんな気持ちで向き合いました。次の宿場にたどり着くころには本戦作品どころかジャッジ評すら忘れてしまうでしょう。
ブンゲイファイトクラブの作品をジャッジをする。こんな深刻な遊びがかつてあったでしょうか。わたしには無理だ。だからジャッジに立つ方々はもれなくすごいひとたちだとよくわかる。しかし選ばなければならない。わたしはジャッジが放った言葉の残りかたで選ぶことにする。すべてを読み終えた今、そのほとんどはもう忘れてしまったけれど。
ジャッジのジャッジ1回戦
グループA
「書かれたからには意味がある」青山新
「視点人物の能動的な行動により変化が訪れる作品。今まで誰も名指さなかった感情」阿瀬みち
 「実質6点。おもしろさとなぐりあい。祝祭。完全に殴り負けた」遠野よあけ
 グループB
 「評価軸。レトリック。感嘆。必読」大江信
 「別の作品を読んでみたくなったかどうか。パンチ」鞍馬アリス
 「ワナビーの成れの果て。郷愁を堪能」樋口芽ぐむ
 グループC
 「ほくほく線。阿部未知。オリジナリティ。力あります」小林かをる
 「好みは考慮に入れていません。翻弄できる自由さ」冬木草華
 「眉や肩がよく動く。嬉しい驚きに由来するもの。人間が読んでいることの証」由々平秕
 グループD
「大会運営も成長期。154の評価要素。評価特性」笠井康介
「主役は物語。書くやつも読むやつもみんな変態に決まっている。変態に出会いたい。愛と変態度。ベストオブ変態。血だらけ」寒竹泉美
 「基本的文権。人に推したくなる作品。意地でも2回戦作品が読みたい。わたしにはわたしの物差し以外を持ち得ない」鯨井久志
 準決勝
 グループA
 「おもしろさとなぐりあい」遠野よあけ
 グループB
 「評価軸」大江信
 グループC
「嬉しい驚きに由来するもの。人間が読んでいることの証」由々平秕
グループD
 「主役は物語。変態に出会いたい」寒竹泉美
 決勝
 「人間が読んでいることの証」由々平秕
 「変態に出会いたい」寒竹泉美
 ここにワイルドカードとして「翻弄できる自由さ」冬木草華を加えたい。そのうえで「バックコーラスの傾度」の採点をみる。由々平秕ジャッジが5点。寒竹泉美ジャッジが4点。冬木草華ジャッジが4点。由々平秕さんを勝ち抜けジャッジに推す。
  採点
 
青山新   3
阿瀬みち  3
遠野よあけ 4
大江信   4
鞍馬アリス 3
樋口芽ぐむ 3
小林かをる 3
冬木草華  4
由々平秕  5★
笠井康平  3
寒竹泉美  5
鯨井久志  4

左沢森 (「銘菓」 )

べつに何かのジャッジがしたくてこのイベントに参加したわけではないので点数をつけるのには気が乗らなかったのですが、一方で自作へのジャッジを欲していた側面は間違いなくあり、とあればそこは鏡うつしというか、きちんと読んで向き合わなければいけないなと思いました。
【青山新】1点
「幸せな郵便局」の視覚的要素、「連絡帳」の詩歌を使って物語を編むという戦略等々、どれも適度に納得と固有性が入り混じる評で素晴らしかったです。それだけに5点か1点かという極端な採点方法にどうしても納得できず(採点方式についての勘違いがあったことは表明されていますが)、もっと細やかな採点を見たかった。5段階評価が採用されている運営側の意図が戦略的に無視されているのはどうなのか。だって青山さんの素晴らしい評を読むと、1点の作品がどれも面白そうでなんで点数が低いのかわけがわからなくなります。

【阿瀬みち】3点
Aグループが「集団生活」について書かれているという見方は面白いのですが、ただこの読み方は他グループに当てはめたときにどうなるのかが予想できない。むしろそのあとの「視点人物の能動的な行動により変化が訪れる作品」を評価する姿勢こそに普遍性があるのかなと思いました。この点わりとオーソドックスな評なのかなと。個別の批評についてはおおむね納得して読みました。

【遠野よあけ】1点
どの評も安定感があってとてもよかったのですが、「幸せな郵便局」で「1」と「一」の表記をことさら過大に取り上げてあげく1点をつけたところがよくわからなかったです。書き手の意図は関係ないと宣言されているとはいえ「「1」を「一」に見せる文章技術」は言い過ぎでは。結局「1」にとらわれているような気がして幸せを見逃がしそうな予感を覚えました。

【大江信】3点
昨年のジャッジ文を読んでいたので不安でしたが、コンパクトにまとまっていてよかったです。ただ「5年ランドリー」の読み解き、「5年」には五か年計画とソビエト崩壊までの5年とが重ねられているわけですが、そのあたり混同されているようにも見えて不安を覚えました。「どんな不条理にもめげずに前向きに生きていくこと」という印象にも違和感があります。「5年ランドリー」は素晴らしい作品なので、最高評価をしている点は私も一緒なのですが、なにか別のものを見ているような気がしました。といってもそれは作品の包容力のなせるわざでもあり、特に悪いこととは思いませんが。

【鞍馬アリス】3点
各グループの点数をなるべくばらけさせるKOCの松本人志形式(これは遠野さんもですかね)。作者が次に「どんな一手を打って来る」のかを評価軸とされたのはいいと思いましたが一方で、そこをもう少し細分化して評価してもらいたい気もしました。評点の拮抗した「小さなリュック」「金継ぎ」「フー 川柳一一一句」から勝ち抜けを選ぶ際に採用された基準と思いますが、どの作者も次にどんな一手を打って来るかは(少なくとも個人的には)気になったので、最後のところで説得しきれているのかわかりませんでした。

【樋口芽ぐむ】3点
いい具合に力の抜けている感じが好きでした。「沼にはまった」の数年後笑い話にしていそうという感想、わかります。どの評も過不足ない。ただ最後に言及された性差の薄れについては、「5年ランドリー」の印象が強かったこともあり、このグループの特徴(とまでは言ってませんが)として取り上げる必要があったのか疑問です。グループC「ロボとねずみ氏」が5点、「銘菓」が4点にも関わらず拙作が勝ち抜けているところが不思議で理由を聞いてみたくなりました。

【小林かをる】4点
「お節」がとても好きだったのですが、ジャッジ文もめちゃくちゃ読ませますね。読み物として素晴らしかったです。審査/ジャッジというものへのスタンスに人生が直結してくるのが面白いです。「ほくほく線」「慶應医学部入学よりも難関」といった言葉の細部に人となりがにじんでいると思います。個々の作品への言及が少なかったことが残念ですが、この文章がジャッジとして掲載されることにはそれ以上の価値(?)があるのではと思いました。

【冬木草華】4点
作品がやろうとしていることを見極め、そこからの達成度を見るというやり方はわたしもよく採用するので親近感がわきます。ジャンルが混交しているBFCにおいては、(オーソドックスではありますが)フェアなやり方のひとつかと思います。「ロボとねずみ氏」評の「虚構を現実として見るエラー」というフレーズは、それを読む読者までを射程にいれていて、刺さりました。ロボに寄り添おうとする姿勢がよかったです。

【由々平秕】5点
評に使われている言葉の新規性と納得感がすごかったです。「超娘ルリリン」への「初めから歪ませるために書かれた言葉」、「バックコーラスの傾度」への「ぶっ飛んだようでどこかカルチャースクール的なお行儀よさのある比喩」等々。単純に読むのが楽しかった。その上で自作にいただいた「抒情を裏切りきるしたたかさと抒情に賭ける蛮勇のいずれにも振りきれない未練の裏面」という批評がずっと頭を離れずにいます。その通りだとも言いたいし誤解だとも言いたい。

【笠井康平】4点
「評価特性」の羅列を見るだけで面白かったです。ここまで細分化して物事を見られるポテンシャルを示しつつ、その方式は時間的制約によりとれないという脱臼のさせ方、これらの評価方法による弱みも自分でエクスキューズしてしまうあたり憎めない。採点方法を読んでから個々の評に戻ると必ずしもこの評価基準のみで採点しているわけでもなさそうで、やっぱりなんかつかめないなぁと翻弄されました。

【寒竹泉美】2点
一文目から出てくる「物語」の語に構えてしまう。まがいなりにも短歌を提出した身として、あれをまとまった物語の尺度で読まれては厳しいだろうなと思う(もちろん物語はあるのですが)。評価基準は「愛と変態度」とのことですが、その割には常識的な物言いが気になりました。「明星」評の「世代の違う読者に対して目配りされていない」とか。個人的にはいまのままでいいと思います。「カニ浄土」へのたしかな愛は感じました。

【鯨井久志】2点
「基本的文権はない」という断言に笑いつつ、短歌の世界では一時期「基本的歌権」という言葉が取りざたされて話題になったことを思い出しました。「面白さ」を解体した5つの項目は簡略化しすぎではないか、少なくとも笠井さんに数で負けているのをどう考えるのか気になります。個別の作品評はわかりやすく面白かったのですが、奇想性、構成力、文体、感情喚起力、コミュニケーション希求力、それぞれどのポイントで評価されたのかをもっと知りたかったです。

青山さんと迷いましたが、由々平さんを勝ち抜けに推します。
あと一言、自作にいろいろな感想をいただいてほんとうにこの二週間ほどありがたく思っている一方で、短詩の扱われ方にはやはり当事者として悲しくなる現状も見えました。私の今回の作品は「銘菓」ですが、タイトルではなく単に「短歌」と呼んで識別するようなツイートやnoteを散見し、わたしとしても意想外に悲しくなりました(というかむかつきました)。どこまでもジャンルとしてしか見られていないのかと(短歌枠ってことですよね)。まぁその側面があるのはわかっていたこととはいえ、応募要項の「ジャンルはなんでもかまいません」につられ、のこのこと参加した者としてこれは思ってもみない経験でした。

白城マヒロ (「やさしくなってね」)

ジャッジのみなさんお疲れ様です。緻密な分析的な読み方、作品に対する愛を持った視点からの評価、今後に繋がる言葉などそれぞれの熱量を感じることができました。書かれた作品といえどひとに点数をつけ評価するという行いは非常に難しい、負荷のかかるものだと思います。ひとりのファイターとしてお礼申し上げます。
その人に点数をつけるという苦しいお鉢が自分に回ってきてしまったことも苦しい……

わたしは人に点数をつけることと批評を読むのが苦手であるため、平均3点をつけてまわるというつまらない逃げの姿勢をとるわけですが、ジャッジの方におかれては勇気と愛をもって1点をつけられた方、次のジャッジ文も読んでみたいと思える方を推していきたいと思います。
そのうえで、とても私的ですが、わたしと作品を楽しむポイントが似ていてわたしの読みたい作品を最後まで評価し読ませてくれると思えた鞍馬アリスさんに勝ち点をつけたいと思います。
青山新 3
阿瀬みち 3
遠野よあけ 4
大江信 3
☆鞍馬アリス 4 勝ち抜け
樋口芽ぐむ 3
小林かをる 3
冬木草華 3
由々平秕 3
笠井康平 3
寒竹泉美 3
鯨井久志 4

紙文 (「ロボとねずみ氏」 )


■はじめに
ぼくは1回戦で敗退となったので、これからはひとりの観客であり読者なのだ。なので、観客から見た理想のジャッジ(確かな教養を備え、観客の視野を拡げてくれるような評を書くひと)に駒を進めてもらいたいと思ったのだ。だからジャッジ評のみを評価対象とするのだ。
■評価方法
各ジャッジの持ち点を3点とし、そこから以下2種類の減点/加点を経て、最終的な評価を決定
①以下3項目については減点方式
(各1点)
A:作品の体系的な位置付けを見極められているか
B:作品をより深く理解できているか
C:作品を楽しめているか
②視野を拡げてくれるような優れた読解に対し個別で加点(最大2点)
■評価結果(敬称略)
青山新:5
(+1:「幸せな郵便局」評、+1:「花」評)

阿瀬みち:2
(-B:「花」評)

遠野よあけ:3
(なし)

大江信:3
(なし)

鞍馬アリス:3
(なし)

樋口芽ぐむ:4
(+1:総評、主人公の性別)

小林かをる:2
(-B:「中庭の女たち」評)

冬木草華:4
(+1:「やさしくなってね」評)

由々平秕:2
(-C:「中庭の女たち」評)

笠井康平:3
(-A:「生きている(と思われる)もの」評、+1:「カニ浄土」評)

寒竹泉美:2
(-A:「生きている(と思われる)もの」評、及び「爛雪記」評)

鯨井久志:3
(-A:「生きている(と思われる)もの」評、+1:「カニ浄土」評)
■勝ち抜けジャッジ
青山新さん
■ジャッジさんたちへの評
まずDグループのジャッジさんたちには「生きている(と思われる)もの」について問い詰めたいのだ。ぼくはこれを「同意もないままに読者を『鬼太郎』の世界に連れ込んでしまう落差のためのお話」だと思うのだ。あるいはこれはぼくの誤読なのだ?
さて。
次に、読者あるいは評者の態度として私が気にくわないと感じたものについて話します。一部のジャッジ評に、有名なネットミームのような「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」的スタンスが見られたことは非常に残念でした。例えば、作品に矛盾点を見つけたとき、その矛盾の理由を作品内部に求めるのではなく、「このような矛盾があるのは作者が未熟であるせいだ」としてしまうのは実に面白くありません。また、叙述が曖昧で読解が定まらないことはその作品が深い(内容に普遍性があり多様な読解が可能である)ことを意味しません。あるいは、もしもほんとうに曖昧な叙述で読者を無意味に翻弄するなどという欺瞞が「深さ」の技巧であるのだとしても、私にとって重要なのは、天啓の如く授かった構想を忠実に顕現させることであり、それを可能な限り損なわないかたちで読者に届けられるかどうかです。
というわけで、私が優れた読み手であると感じたジャッジは以下の3名でした。
青山新さんは(その採点手法には批判的な眼差しを向けておくとして)解釈を通じて作品を再構成し、それをわかりやすい文章で具体的に伝える技術が群を抜いています。是非とも勝ち進んで、2回戦~決勝作品の本性を暴いていただきたい。
樋口芽ぐむさんは一般的な読者がしている読書体験をなぞるような評を書かれていて、とても親近感を覚えました。批評というよりは感想に近いのかもしれませんが、自身の作を客観視するのが難しい書き手にとっては感想こそが有難いとも言えます。
冬木草華さんは「作品がやろうとしていること、そして、そのためにどういったアプローチが行われたかを中心に考え」と仰っていて、事実そのような評になっているのですが、このような文章を書かれる方にこそ作者は話を聞いて欲しいのではないでしょうか。そうですよねえ皆さん!(主観なのだー)


鮭さん (「イカの壁」)


ジャッジをジャッジ!!ジャジジャッジ!!

青山新
各作品に対して独自の考察を展開されておりどれも面白かったです。
5点
阿瀬みち
視点人物の能動的な行動により変化が訪れるかどうかを採点基準とするのは不適当であると思いました。
1点
遠野よあけ 
勢いを感じよかったです。「花」の批評が特に面白かったです。ただ「幸せな郵便局」を最上の意味で1点とされているのはどうなのでしょう。酷いです。
1点
大江信
「小さなリュック」についてはリアリスティックで淡々としていることこそが作品の魅力だと思いました。
2点
鞍馬アリス
採点理由が分かりやすく説明されており納得できました。ただ斬新で面白い評などはなかったように思います。
3点


樋口芽ぐむ
各作品評が面白かったです。採点理由がいまいち明確ではないと思いました。
3点
小林かをる
各評論、簡潔で的確であるように思えました。
4点
冬木さん 
各評面白かったです。
4点
由々平秕
各作品を精読されているのが伝わりました。面白い評論が多かったです。ただ個人的に要素で分解する採点があまり好きではありません。
4点

笠井康平 
笠井さん自身が『しかもこの採点法は、着想の良し悪しに踏み込みません』と書かれていますが、着想の良し悪しに踏み込めないのは致命的であると思いました。
1点。
寒竹さん 
「イカの壁」に対する「不条理を突き通してほしい」という批評が新鮮でした。他の評についても視点が独特で面白かったのですが、本質的でないと感じることが多かったです。
2点 

鯨井さん 
文学への愛が伝わってきて、各作品丁寧に読まれていることがわかりました。「イカの壁」について指摘してくださった誰に対して話しているのかわからないなどについては、私自身は気に入っている点ではあります。
4点
推しは青山新さんとさせて頂きます。
ジャジジャッジ、完、



瀬戸千歳 (「生きている(と思われる)もの」 )

 ★青山新    5
・阿瀬みち   3
・遠野よあけ  4
・大江信    4
・鞍馬アリス  3
・樋口芽ぐむ  3
・小林かをる  2
・冬木草華   4
・由々平秕   4
・笠井康平   3
・寒竹泉美   3
・鯨井久志   3

 勝手気ままなファイターと違い、ジャッジは自らのスタンスを明確に打ち出し、24人全員のテクストと向き合い、その踏み込み方によって勝敗が決まる。このような過酷な状況を厭わなかったジャッジたちに心から敬意を払います。ありがとうございました。
 基本点は3。そのうえで「テクストの新たな面を見出そうとしているかどうか」を加点の対象としました。表面をなぞるだけではなく、作者も見逃していたテクスト自身が持つ魅力を発見し、説得力のある文章でもって観客に提示できる者こそが2回戦、決勝戦をさばくジャッジにふさわしいと思ったからです。つまり(いち書き手としては大変にありがたいのですが)振り分けられたテクストの添削に注力したり、書かれるはずだった展開に嘆息するよりも、生み出されたテクストそのものに向き合ったジャッジを評価しています(作品の強度が批評に耐えうるものではなかった可能性は排除しています)。8枚程度で5作品に言及しなければならない縛りのなかで、作品にどこまで踏み込めたかを見ましたので、BFC公式noteに載っていない個別評については採点の対象にしていません。
 青山新さんを最高点の5としたのは、氏の評価軸が上記と多分に重なったためです。逆に小林かをるさんは作品に言及している箇所があまりに少なかったため減点としました。

小林かをる (「お節」 )

青山新 5
阿瀬みち 4
大江信 2
笠井康平 5
寒竹泉美 4
鯨井久志 5
鞍馬アリス 4
小林かをる
遠野よあけ 2
樋口芽ぐむ 3
冬木草華 5
由々平秕 4


ジャッジのジャッジというのはとても難しいものでした。各ファイターへの採点を拝見するとジャッジそれぞれの思いがダイレクトに現れている気がします。それからジャッジ評をじっくり読ませていただきました。それぞれの個性が出てとても興味深かったです。みなさんのブンゲイを愛される気持ちがびしびし伝わってきました。

私の作品を評論して下さったグループDの担当の方々、本当にありがとうございました。「それは違う!」はひとつもありません。納得です。精進します。感謝です。他の点数をつけていただいたみなさんにも深くお礼を申し上げます。

考えてみると「ジャッジのジャッジ」はとても重要ですね。卑近な例ですが、芥川賞。「これがどうして?」とか「この人は一作で終わるだろう」と思うことがあります。案外外れません。文芸に限らず、音楽とか、美術でもジャッジのジャッジが必要だと強く思いますが、叶わぬ望みの気もします。こう考えるとジャッジの入れ替えをするBFCの先見性と素晴らしさを誇らしく感じます。



生方友理恵 (「カニ浄土」)


いかなる評も評者の個人的な領域から逃れられないことを認めるとしても、より虚心に作品と向き合い、正面から作品と組み合ったジャッジを推したいと思います。
青山新 5点
明晰。作品あるがままを引き受け、著者の意図のその先を見通そうとする力強い評でした。
阿瀬みち 1点
感想にも至らず、要約に終始した文が多かったように思います。要約にも読みの個性は反映されるとはいえ、ご自身のお考えが見え辛いことは評としては欠陥かと。
遠野よあけ 2点
客観性をかなぐり捨てて己を中心に据えるスタイルにパワーがあります。「幸せな郵便局」の評は、パフォーマーとしての振る舞いに足をすくわれた上滑りと映りました。
大江信 4点
個性的な読解を臆さず書かれ、説得力がある。カフカを引くことで「わんわんフェスティバル」がストンと胸に落ちました。(不条理を胸に落としてしまうのは私の無粋。)
鞍馬アリス 3点
朴訥ながら誠実な評。注意深く逸脱を避けながらも独自の視点を書いた「わんわんフェスティバル」の評、印象を丁寧に言語化しようとしている「フー」の評が良かったです。
樋口芽ぐむ 2点
各作品の好きな所を数え上げるような優しい評。読みが素直で、その分独自性に乏しいと感じました。
小林かをる 1点
読み物として大変面白い。「わからない」という評がふたつあり、わからなさに踏み込まない弱さを感じました。
冬木草華 4点
丁寧な読み込みでした。難物のCグループで、文体の評価にとどまらず、「何」が書かれているのかを汲み取ろうとされていました。
由々平秕 3点
採点を身体に委ねるやり方は笑ってしまった。それはともかく評自体は真摯そのもの。読解の難しい「超娘ルリリン」や「中庭の女たち」の評が文体・構成にとどまったことが惜しい。
笠井康平 3点
ご自分で採点の弱点を吐露している点が面白く、実際、批評文と評点がわずかに解離しているようにも感じます。「イカの壁」の軽妙な比重の操作を「乱れ」「ほつれ」と評した点に同意できず。
寒竹泉美 2点
「伝わるか」を評の重点としていたが、読者をもっと信用しても良いのではと思いました。また、アイデアの点で「こうであったらよかったのに」と評してしまうことが作品を矮小化しています。
鯨井久志 2点
地味な作品の地味さを、軽い作品の軽さを、受け取れていないのではと感じました。自分の物差ししか持ち得ないというのは言ってしまえばその通りではあるのだけど、ジャッジとしては感度をあげて欲しい。
以上、青山新を勝ち抜けとします。

藤崎ほつま (「明星」 )

青山新 1
阿瀬みち 0
遠野よあけ 4
大江信 3
鞍馬アリス 2
樋口芽ぐむ 2
小林かをる ?
冬木草華 1
由々平秕 4 勝ち抜け
笠井康平 2
寒竹泉美 3
鯨井久志 3

以下のように判定した。

①拙作「明星」への各氏の点数を「基準値」とする。
②私が採点した23作品への点数から、各氏が付けた点数を差し引き、各作品毎に絶対値を取得。
④それを合計して23作品(鞍馬アリス氏は17作品、小林かをる氏は18作品)で割り(切り捨て)「私の趣味との差異値(平均)」とする。
⑤ ①から④を差し引いた点数を各氏への評価点とする。
「基準値」が得られない小林かをる氏は空欄とした。
青山新氏はこの判定方法では-1点になったが、氏の評価基準(1or5)を採用して1点とした。
阿瀬みち氏はこの判定方法では1点になったが、ジャッジの資質に欠けると判断して0点とする(運営の判断で1点に変更しても構いません)。
最高点は遠野よあけ氏と由々平秕氏の4点だが、「私の趣味との差異値」が遠野氏が1点、由々平氏が0点で、由々平氏の方が全体的な私の評価に近い作品評をされているので、勝ち抜けとした。
適当に決めた判定方法の割には、選評を読んだ時の感触に近い結果となったので満足している。
ちなみに「私の趣味との差異値」が0点の方は他に笠井康平氏がいる。これも評を読んだ実感に近い。
基準値を無視した数値(小数点以下含む)であれば勝ち抜けは笠井氏になっていた。
意外とおススメできる判定方法かもしれない。

伊島糸雨 (「爛雪記」 )

〈結果〉
 青山新:5(★)
 阿瀬みち:3
 遠野よあけ:3
 大江信:5
 鞍馬アリス:3
 樋口芽ぐむ:2
 小林かをる:2
 冬木草華:4
 由々平秕:4
 笠井康平:3
 寒竹泉美:2
 鯨井久志:4
 (敬称略)
 ★=勝ち抜け

〈採点方法〉
 採点基準は、客観的指標である【明瞭さ】【解体度】【公平性】と、主観的指標である【面白さ】【好み】の計5つ。それぞれの内容は以下の通り。
【明瞭さ】
 判断の根拠や点数の内訳の分かりやすさ。また、評の読み易さ。バランス。
【解体度】
 担当グループの作品についての読み取りと評への反映度。
【公平性】
 なんらかの判断基準の有無。また、それが明示されているかどうか。
【面白さ】
 読み物としての楽しさ/興味深さ。評されることが今後の肥やしになってくれそうか否か。
【好み】
 全体像の好ましさ。準決勝でジャッジして欲しいと思うかどうか。
 要素ごとに0点、0.5点、1点の3段階評価を行い、合計点を算出。合計における小数点以下は繰り上げとした。

〈勝ち抜けジャッジの決定に際して〉
 上述の基準に則り採点をした結果、青山さんと大江さんがともに5点となった。そこで、【好み】における「準決勝でジャッジして欲しいと思うか」という部分を掘り下げ、勝ち抜けの決定を行なった。1回戦において、グループAでは「花」を、グループBでは「5年ランドリー」を個人的に推していたため、上記2作の評を改めて読んだ上で、最終的に青山さんを勝ち抜けとして推すことに決定した。
 両者ともに作品の魅力が非常によく伝わる評であったと考えるが、青山さんに感じた静かで力強い眼差しと大江さんに感じたBFCへの確かな情熱を天秤にかけた際に、現在の自分に必要なものは前者であると考えたのが根拠の一つに挙げられる。
 もちろん、準決勝ジャッジにこの2人の名前があるのであればそれに越したことはないのだが、選出は1人のみであるため、このような結果とした。

〈個別評〉
・はじめに
 以下、簡単な個別評となります。まず、採点の際に用いた指標ですが、いくら「客観的」と言ったところで、私という意識にかかるバイアスや過去の体験から来る印象の偏りはまったく回避不可能なものです。それを前提とするが故の軸、基準の設定となっています。矛盾と思えるものもあるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。
 また、このことを踏まえ、個別評の内容としては、「なぜその点数にしたのか」という部分にある程度的を絞って書いてあります。ジャッジ評の内容は「ジャッジがそのように受け取った」として実際と切り離して捉えており、それと合わせて、個別評に書いた“理由”は私の個人的な受け取り方が中心です。
 それでは、よろしくお願いします。

・グループA
 青山さん
→冒頭部分については追記に沿って除外し、“審査基準”以下の文章でのみ採点を行いました。「勝ち残り支持に5、他は1」という基準の設定における明快な割り切りと、各評における読み取りの展開が興味深く印象的でした。熱すぎず冷たすぎず、非常に均整の取れた評であると受け取り、5点としました。
 阿瀬さん
→「視点人物の能動的な行動により変化が訪れる」ことに基準が置かれており、明瞭さ、解体度も特に問題はありませんでした。ただ、全体的に単調・淡白な印象を受けてしまい、今後の展開の豊さを想像することが難しかったため、3点としました。
 遠野さん
→「おもしろさ」「なぐりあい」という基準を設けており、各作品の解体も十分になされていました。ただ、全体を見たときに多少のバランスの悪さを覚えたのも事実で、スムーズに受け取りにくい部分があると私は感じ、3点としました。

・グループB
 大江さん
→A、B、Cと3つの基準を設けており、明瞭さ、解体度も良好でした。文章が全体的に読みやすく、スムーズに受け取ることができ、また、一つ一つに独特の熱を感じたのが印象に残りました。その点で、面白さと次回への期待を込めて5点としました。
 鞍馬さん
→「内容の面白さ」「次回への期待」を基準とし、文章は明瞭で解体も程よいものでした。バランスよくつくられている一方で、いまひとつパンチに欠け、物足りなさを感じてしまったこともあり、今回は3点としました。
 樋口さん
→文章は読みやすく、内容も受け取りやすいものでした。ただ、「判断の根拠がわかること」「基準が示されていること」に重点を置いた基準設定をしていたこと、評ごとのバランスの悪さを感じたこともあり、2点としました。

・グループC
 小林さん
→前半部分がとても面白く、それだけで読みたいと思わされるものでした。ただ、私が「ジャッジ」という役に求めるものとして設定した今回の基準においては、後半の評が内容として薄く感じられたこと、判断基準が不明瞭に思えたことから、2点としました。
 冬木さん
→「作品の意図とアプローチ」という基準を設けており、それぞれの評からは丁寧さと真摯さを感じました。明瞭さ、解体度、公平性どれも問題なく良好で、面白さの点でも今後の役に立つという意味でも好印象を受けた評の一つです。
 最終的に5点のものと比較し、私の中でのインパクトがわずかに足りず、4点としました。
 由々平さん
→「印象・技術・題材・思想 / 細部」の5項目を基準に設けており、いずれの基準でも問題なく、バランスにも優れた評であると感じました。解体方法と評における言葉の選択には堅実さと豊かさを同時に覚え、冬木さん同様、今後の糧となるという意味でも好印象を受けた評の一つです。
 最終的に5点のものと比較し、私の中でのインパクトがわずかに足りず、4点としました。

・グループD
 グループDを担当されたジャッジの方々に関しては、私が被評価者であることを踏まえ、いくらか仔細に採点の理由を示そうと思います。「自分の評を書いている」ということもあり、可能な限りエゴを抑えた見方をしたつもりですが、ゼロかというと自信はありません。こちらにつきましても、あらかじめご了承ください。

 笠井さん
→「やさしさ、遠さ、広さ、深さ」の4点を基準に設けており、構造の分解・分析からの助言が最も顕著に現れている評であると感じました。拙作の評も納得のいくものであり、振り返りを行うにあたってはとても良い参考となりました。
 評価方法に関しては、分析として非常に興味深く感じられる一方で、ジャッジとして過剰な複雑さを感じてしまい、明瞭さから離れているというように判断しました。笠井さんの評はBFC2におけるものにも目を通しており、その延長上にあるものとも思ったのですが、私自身が新参者であり前回の延長に存在しない事実を加味して、3点としました。
 寒竹さん
→「愛」と「変態度」という基準のもと、言葉の一つ一つに熱があり、ブンゲイへの愛がひしひしと伝わる評でした。一方で、作品の解体においては、独自の言葉で書かれている内容が多く、受け取り手として逐一の言葉の変換と咀嚼が必要であると感じ、明瞭さにいささか遠いと判断しました。また同時に、数日かけて解釈を終えた今では納得のいく部分が多いのですが、全体的に「物足りなさ」が他の要素を圧迫して強調されているようにも感じたため、解体度の点数に反映しました。以上のことを踏まえ、2点としました。
 鯨井さん
→「奇想性、構成力、文体、感情喚起力、コミュニケーション希求力」の5つの基準を設けており、個人的にはこの評価基準の設定が非常に受け取りやすく、ある種の汎用性の高さを獲得しているように感じました。評の文は読みやすく、魅力の伝達と違和感の提示/指摘がある程度のバランスを持って展開されていたと思います。これらの点で、明瞭さ、解体度、公平性、面白さは十分に確保されていましたが、他の4点の方々同様、最終的に5点のものと比較し、私の中でのインパクトがわずかに足りず、4点としました。
 なお、採点にあたっては担当グループ外の評を除外して判定を行いました。

〈謝辞〉
 ジャッジの皆様、1回戦お疲れ様でした。「これどうやって決めるの……」と思わされる作品ばかりであったと私個人としても感じており、ジャッジは過酷を極めたのではないかと思います。それでもこうして、「爛雪記」とも真摯に向き合い、個々の基準のもと評価していただけるのは、とても嬉しいことでした。今後の活動において生かすことができるよう力をつけたいと思います。準決勝もよろしくお願いいたします。





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