決勝ジャッジ決定 & 2回戦ファイターによる「ジャッジをジャッジ」


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決勝ジャッジは以下のように決定いたしました

竹中 朖



2回戦ファイターによるジャッジの勝ちと採点

2回戦ジャッジをジャッジ

笠井康平氏と竹中朖氏が勝ち点・得点が同点だったため、遠野よあけ氏に勝ち点をつけた馳平啓樹氏と笛宮ヱリ子氏に、お2人について判断していただきました。両氏とも竹中朖氏に勝ち点をつけたため、竹中朖氏の勝ち抜けになりました。


馳平啓樹

①点数・勝ち抜け
 笠井さん:2点、竹中さん:2点、遠野さん:3点 
 勝ち抜けは遠野さん

②総評
 今回も厳しい批評と真摯な読みを示された3名のジャッジにまずは敬意を表します。
 「殴り合い」を果たした後にしか得られない痛みと苦しみと喜びがひたひたと押し寄せてきます。
 ただ、複数のジャッジの方が、2回戦作品を、ぼんやりとし、多彩さの薄れた印象と評されているのと同じ事が、今回のジャッジにも言えると感じました。1回戦で私が感銘を受けたほどの、自らの批評を掲げる覚悟と、一文一文の深淵にまで切り込む鋭さを両立させた凄みが今回は感じられず、それぞれの作品に全身で飛び込めていない形跡が見られます。良し悪しの基準が主観や減点主義に傾いており、徹底した精読と分析に裏打ちされているとは必ずしも言い切れない印象を受けました。それは作品に対して力負けしている事にはならないでしょうか。
 1回戦作品との連関や作者の背景に踏み込む事は、批評の幅を広げる狙いもあるでしょうが、
 今回は2回戦作品そのものと対峙する事へのためらいがより強く感じられ物足りませんでした。
 以上が全体的なジャッジ評となりますが、遠野さんの分析的な読み込みと、それを語り尽す筆致には今回も強い信頼を感じる事が出来ましたので、勝ちに推薦させて頂きました。  


海乃凧

 一回戦で40、二回戦で8、計48もの作品を読み込み、それぞれの作品に対して言葉を尽くしてくれたジャッジに対して、言葉を尽くしてもらったその張本人がわざわざ点数をつけ、たった一人を選ばなくてはいけないというのは、相当気が狂った世界に迷い込んでしまったと、今更ながら思います。ジャッジをジャッジするにあたって、何度も評を読み返し、作品に戻ってみては、また別の評を読む。こっちのジャッジのここが良くて、あっちのジャッジのあそこが良くない、などと考えるのは、正直苦しい。でもそれがこの世界のルールで、やるしかない、などと嘆きながら何度も作品と評を読み返しているうちに、明らかに「つよく」なっている自分に気付き、そうか!と思いました。
 評に説得力があるか、ブレない軸を持っているか、作品毎に適切な切り口で批評できているか、また、それが独自の方法で表現しきれているか、という、ジャッジをジャッジするための評価軸をいくつか定めてみたものの、三名のジャッジにはもうそれらがそれぞれのやり方でできていて、どうしたものか。しかし、二回戦ファイターに選ばれたからにはちゃんとその責任を全うしたい。つよく厳しく冷静な目を持って、ジャッジをジャッジしてみました。
 遠野さん。ファイターの作品を具に読み込み、それを独自の方法や文体で表現する評は、読んでいて飽きない。作品に潜む新しい景色を読者に見せる文章は、評というよりもジャッジによる「作品」を読んでいるようで、とても刺激的でした。ただ、批評家と批評対象を各作品に対して決めるというやり方が、遠野さんがジャッジをするにあたって本当に有効な方法だったのだろうか。本当はもっと遠野さん自身が伸び伸びと評を書けるようなフレームのつくり方があったのではないか。批評家と批評対象という枠組みに作品を入れ込もうとすることで、作品に潜む多様で多層な面白さを限定的にしてしまっているように思えました。もっと違うルールの中で饒舌に評を下す遠野さんの文章が読みたいと思ってしまいました。
 竹中さん。小説ないし文芸に対して全くブレない思想をお持ちで、その一貫した軸を一切崩さない。ジャッジにおいて公平性など必要ないというような態度に、大変好感を持ちました。竹中さんの小説や文芸に求めるものと私のそれとのズレは否めないものの、このような戦いの場における一貫した姿勢はファイターへの強い信頼につながっていると思います。ファイターへの高い期待と強い信用があるが故の、厳しい口調と愛のある嘆きは、一人のファイターとしてとても胸に刺さりました。ただやっぱり、私自身との文芸観のズレというのが、なんだかんだ大きい。たった6枚でより大きくつよい「物語」を紡ぐ小説も重要だと思うが、親密であるが故の内に潜むリアリティやささやかな感情の揺れの方にも一方の「小説」はあると思っている。どちらをも両獲りしろ、と言われれば、はい、そのとおりです。いつか竹中さんをぎゃふんと言わせる小説を書きたいと強く思いました。
 笠井さん。緻密な採点方法と機械が置いたような評の言葉には、それなのにつよい説得力がある。評に書かれる言葉や引用する単語がすべて作品を評するのに的を得たものであり、作品に含まれる多角的な面白さを取りこぼさずに掬い上げているのがすごいです。また、作者が作品をつくろうと言葉を紡ぐその手つきまで見られているようで、ある種の怖さもある。あなたは私のなんですか?私が書きあぐねる姿、見てました?とか、思ってしまう。作品に対する嘘、あざとさ、見過ごしてきた側面を丁寧につくような、ジャッジとしての鋭い手つきにも、大変好感を持ちました。そしてそのような、緻密で丁寧で怖く鋭いジャッジを「もう一度見たい」と強く思いました。よって私は、笠井さんを推します。蜂本みさvs白川小六という全く味が違う二人の作家の作品を前に、精密な機械のようなジャッジがどこまで通用するのか。できればそれが、鮮やかに壊れる様を見てみたいと思いました。

 採点は以下。
 笠井康平5
 竹中 朖3
 遠野よあけ3

 最初は三名全員を5点としようと思っていましたが、二回戦に選ばれたファイターの責任として、推しを決勝の舞台にあげることに、少しでも多く寄与することは、とても大事なことのように思い、考え直して、一人の推しを5点、残る二人を3点としました。


白川小六

一回戦に引き続きジャッジを務めてくださった、お三方に心から感謝します。

次作を書くより難しい、ジャッジをジャッジの判定方法。今回も1点ずつ、次の5項目に振り分けました。

A) 評の文章とジャッジスタイルが魅力的か
B) 勝ち抜ける作品を選ぶ評価軸として、バランスの良いものを選択しているか
C) 作品の弱み・強みを明確に指摘し、それが作者の前進する力となりうるか
D) 自作をもう一度ジャッジしてほしいと思えるか
E) 決勝戦に進んだ時、大会を盛り上げる力となりうるか

○は可、xは不可、○だけを1点と数えます。一回戦のときよりも合格ラインを上げました。

笠井康平
A)○ B)x C)○ D)○ E)○ 計4点
前回は封印されていた「アルゴリズム」を実行していただき、「そうか、こうなるのか!」と目が覚めるようでした。個人的にはとても勉強になり、課題も見えて、とにかく感謝しかありません。ただ、この評価方法だと掬えないものが結構多いのではないかと、疑問も感じました。

竹中 朖
A)○ B)○ C)○ D)○ E)○ 計5点
一回戦とは一変して、厳しいファイトモードのジャッジに身が引き締まりました。作品の強味と弱味、作者に何を期待するのかを的確にバサバサと可視化して発破をかけてくださり、凄みを感じました。

遠野よあけ
A)○ B)x C)x D)○ E)○ 計3点
評は面白かったのですが、すべての作品を「批評家」と「批評対象」の組み合わせに見立てるジャッジ方法は、私には(今の時点では)よく理解できませんでした。「ホワイトライフ」の持つ革命前夜のような不穏さや、事件を描かないことでかえって浮き上がらせる手法が素晴らしいという点では大賛成です。

勝ち抜けジャッジ:竹中 朖
蜂本みささんをあれだけ焚き付けた上で、拙作を勝ち抜けとジャッジなさったのですから、是非とも竹中さんに決勝を見届けていただけたらと思います。よろしくお願いします。


和泉眞弓

【判定】
笠井康平 5点
竹中 朖 5点★
遠野よあけ 2点
★は勝ち

【評】
笠井康平
すくいとる網の目の細やかさは群を抜いている。酷評とならない眼差しの温かさがあり、どのファイターにも力を与えてくれる。本来は原稿料をいただくほどの講評である。満点の5点をつけたが勝ちとしなかったのは、各作品への評価の一致が竹中氏より少なかったため。

竹中 朖
痛快な評。さりとて、奇を衒うわけではなく、編集者としての目がその奥に光っている。評価が高くなくても斬られた後こそが快い評は、そうはない。今回の8作に対するわたしの評価との一致率が高かった。多くの場面で代弁してくださったと感じる、竹中氏を勝ちとした。

遠野よあけ
敢えての独自軸で挑戦的な読みをしてきた遠野氏。この催し、祭りならではの気概をおおいに感じた。ジャッジオブジャッジが盛り上がること、間違いない。反面、おそらく複数の指摘があると思うが、なぐりあい、と、批評するものされるものが小説内に存在すること、の関連、遠野氏の言う「必然性」がやっぱりよくわからなかった。共通するテーマが見出されたとして、そのテーマをものさしとして、今回であれば批評されるものや批評するものを小説内に仮託する読み方を、小説全体の評価としてよいのかどうかも、実はよくわからなかった。
今回遠野氏が用いた軸に対する疑問を除けば、評については個々の作品に深く潜る熱意が感じられ、好ましく感じた。

【ほか】
ジャッジオブジャッジとは別に、評の中で笠井さんが文字数のことに触れられており、肝を冷やしました。確かWordの原稿用紙換算で六枚に収まってはいたのですが、Googleで検算していなかった……そもそもギリギリな時点でそこを象徴として構成難が顕在しているということだし……!と、穴があったらはいりたいぐらいの気持ちになりました。竹中さん、遠野さんの評も、点数は伸びませんでしたが、とても温かく感じられる評で、素直に耳従える心地でありました。
愛あるジャッジ達に祝福を。
この祭りに乾杯を。
白川さん、蜂本さん、おめでとうございます。悔いのないよい戦いを!


冬乃くじ


勝ち 笠井康平

4 笠井康平 ★
2 竹中朖
1 遠野よあけ

■採点基準
ジャッジを採点するにあたり、考慮した点は以下のとおり。評をつける行為とは、自らの視点と向き合うものであるが、そのときの姿勢がナルシスティックに過ぎないかどうか。自分よりも作品を見ているか。未知の存在と対峙したときにどんな反応を示しているか。文芸の未来を見ているか。最終的に、以下の点を高く評価する。わたしが望む文芸の未来を連れてくる人。

※最終基準を、今回は狭義で用います。個人が個人として立っているか。


笠井康平

 一回戦ジャッジとは違い、二回戦ジャッジでは(おそらく作品数が減ったせいだろう)独自の添削法を用いている。そのため評がきめ細やかになっており、その丁寧な仕事ぶりは高く評価できる。だが、馳平啓樹作品への評はいったい何事か。主人公の足どりを表す文体と構成は明白であるのに、そこが評価されないのはまったく納得できない。どうも情緒に関する採点が低すぎるのではと睨んでいるが、これは氏の特色なのかもしれない。間違いを恐れずに言えば、氏のスピード感覚と噛み合わない作品は点数が低いように思われるが、いかがだろうか。採点方法の更なる進化を求めたい。いずれにせよ、自らを作品に捧げる姿勢や、どこまでも個人として責を負う気概には鬼気迫るものがあり、評価に値する。勝者とする。

竹中 朖

 ブンゲイファイトクラブは、文芸の未来を変えるべく、資本主義・商業主義に反旗を翻した、文芸者の本気の遊びの場だ。だがもうひとつ、自明すぎてあまり指摘されない側面がある。「文学賞の実態の可視化」である。後者の意味で、氏は真に正しいプレイヤーと言えよう。それは二回戦において、氏が突然に「いわゆる編集者しぐさ」を展開したことによる。

 氏は二回戦ジャッジにおいて、一回戦ジャッジでの「ものわかりの悪い読者」というロールに加え、「世界観に同調してくれない編集者」のロールを加えたという。前回「創作力の核を見る」ために使った氏の力は、今回「ふるい落とすため」に使われた。まるで就活生に対する面接官のような物言いなのは、氏が「文芸の荒波のなかで他の怪物じみた創作家と伍していけるのか」を念頭にしたためだからだろう。
 この転向が迫られた背景には、二回戦作品が、優劣つけがたい(氏にとってどれも似たり寄ったりな)ものだったことがありそうだ。読者の立場ではうまく優劣がつけられず、無理やりに優劣をつけるために頼ったのが、長年培った編集者のもつ「商業的な物差し」だった、と読める。

 だがこのロールプレイが必要だったかどうか、わたしは疑問を抱いている。ブンゲイファイトクラブという数寄者の遊びの場に、「商業」の物差しを持ち込むのが(だめではないけれども)いかに無粋な行為であるか、氏は気づかなかったのだろうか。氏はなぜ個人であることを捨て、解放されたはずの「組織の伝統芸」を展開したのか。氏の編集者としての誇りをくさすわけではないが、至極残念としか言いようがない。

 そも「文芸の荒波」とは何だ。資本主義社会を生き抜く強者が、創作にすがって生きる弱者の群れを脅しすかしながら作った、今の日本の文芸業界の現状のことだろうか。小説の体裁をとるのならばしっかりと「小説」であれ、「読者の読みたいもの」を書け、自分がどのジャンルに入るかを忘れるな、本屋で置かれる場所を考えて書け。挙句の果ては、作者自身も売り方を考えなければ今の時代はもう無理だと放り出す。そのやり方で、一定の文化を築くことはできただろう。そのようにしてできたものを別に否定はしないし、それなりの強度は生まれた。だがこのやり方に未来はあるのか。一抹の不安があったからこそ、こんな道楽に参加したのではないのか。

 さらにいえば、BFCの二回戦に、氏から見てぼんやりとした作品、「善良に過ぎる人々、凹凸のない物語、変化のない世界」が集まったのはなぜなのか、本当にわからないのだろうか。だとしたら、氏は社会的強者であるか、それなりに上の世代なのだろう。若い世代の多くは日々悪意を浴びて生きていて、善良さに飢えている。世界の変化は当然すぎて、変化しない世界の方が珍しい。若い世代の多くは、困っても「組織」に頼ることなどできない。
 怨嗟の声をあんまり並べても仕方ないのでここらでやめる。いずれにしても、業界の伝統にのっとった瞬間に視野が狭まる、そんな出版業界の限界を見せつけられたような気がして残念だった。もしも決勝ジャッジとして進むときは、どうかすべてを脱ぎ捨てて、個人として作品と対峙していただきたい。氏は個人として確かなものを持っているはずだ。

 最後にひとつ、ゲーム好きの観点から気になったことがある。氏の一回戦ジャッジと二回戦ジャッジを比較した結果、氏の評価するファイターは一回戦と二回戦であまり変わらなかった。この傾向から鑑みるに、三回戦(決勝)でも、評価するファイターは変わらない可能性が高い。それはブンゲイファイトクラブというゲームにおいておもしろい結果を生み出さないように思える。

 以上を総合した結果、今のままでは、ブンゲイファイトクラブの決勝ジャッジとしては弱いように思われた。次点。

遠野よあけ

「作品群を使って批評すること」に注力しすぎており、ナルシスティックに過ぎた。ここは作品を利用して自らの論を展開する場ではない。結論として、今大会の決勝ジャッジにはふさわしくないように思われた。


由々平秕

由々平秕のジャッジ・オブ・ジャッジその2

 二者択一は特権的である。単なる機械的な順位づけに留まって「決断」という狂気の瞬間すなわち一種の批評的跳躍を引き受けなければ、真にそれが行われたとはいえない。そこでまずそれをなしうるジャッジかどうかを判断し(第一段階)、そのうえで決勝ファイターの作品を最も公正かつ刺激的に読み判定を下しうるジャッジを一人選抜する(第二段階)。点数は第一段階の脱落者を1点、第二段階の脱落者を3点、勝ち抜けを5点とする。ゆえに二回戦ジャッジ評自体の巧拙と点数とのあいだにあまり相関はない。結果は以下の通り。

 笠井康平  1
 竹中朖   5★
 遠野よあけ 3

 二回戦ジャッジ評が最も優れていたと感じたのは笠井さんだった。添削も的確で、各作品の魅力を最大限に引き出す読み方を過たず選択している。しかし一回戦冒頭の「批評はしません」宣言が有効である限り笠井さんは二者択一の決断をアルゴリズムに委ねてしまうことになるだろう。それは私が見たい決勝ジャッジではなかった。
 同じく竹中さんもご自身の属性に徹した読み筋が一貫しており、個別評にもある程度の正当性を感じたが、この編集者的な読み自体から「決断」への力能を読みとれたわけではない。ただし末尾のところでその重要性に対する自覚はひしひしと伝わった。遠野さんの二回戦ジャッジ評は批評的技巧が判定の説得性に結びついておらず正直いただけないと思ったが、ファイターとの「なぐりあい」への覚悟に期待を賭けてみたかった。
 そのうえで第二段階の「決断」として私は竹中さんを推したい。
 先に「公正かつ刺激的」と書いたが、ジャッジの公正さは二者の作品両方に適用しうる批評原理の有無で決まる一方、それぞれに適した読みを個別に選択しうる視角の多様さがないと刺激的になりえないという二律背反がここにはある。遠野さんは三人のなかで最も「刺激的」な読みに挑む気概とポテンシャルを持っていると思う反面、どうも作品に寄り添いすぎて批評原理が鵺のように捉えがたい。二回戦ではそこを強いて一貫させようとしているものの、こと蜂本さんの作品にはそれがあまり効いていない。少なくとも「オテサー糠」については批評家/批評対象も表面的な見立てに留まり「異物の闖入が閉じた関係性を動的にする」というごく平凡な読みを修飾的に述べただけになっている。また加点を抑えるにあたってその読み筋自体と大して絡まない技術的な指摘を持ち出しているのもやや苦し紛れで、同じことは一回戦の「タイピング、タイピング」評にもあてはまる。全体に遠野さんは蜂本さんの作品を持て余しつつ、そのことをなんとか取り繕っている感が否めなかった。白川さんについては「読めている」というより「自分の読み筋をスムーズに引き出せすぎている」という印象で、もう少し格闘のしどころを模索できたのではないかとも思う。
 対する竹中さんは別の意味で「公正さ」には難がある。というのは一回戦も二回戦も白川さんに5点、蜂本さんに3点をつけていて、これはどう考えても「編集者」として白川さんという「作家」のほうを買っているように見えるから。あくまで作品評だという言い訳も事実上「作家へのエール」になっている「オテサー糠」評が封じている。とはいえ、遠野さんがいわば公正さに「たどり着く以前」なのに対し竹中さんは自らの読みを公正さにまで「立ち戻らせ」なければならない。ここにこそ「決断」は介入しうると判断した。
 毎度傲慢な言い方で恐縮ながら、竹中さんが眼前の作品と同時に編集者としての自己とも向き合う闘いを私は見たい。もっとも、先述のとおり刺激的な読みについては遠野さんが今のところ一枚上手ではあるのだが――そこは一回戦と二回戦で顔つきをガラッと変えてみせたパフォーマー竹中朖の手腕を敢えて信じようと思う。

笛宮ヱリ子

笠井康平5
竹中朖5
遠野よあけ5★

もう一人では書けないという行き詰りの中、ブンゲイファイトクラブ2に応募させていただき、これ以上ない講評をいただけたと感じています。今回のジャッジを私の陳腐な批評観で評することは、重箱の隅をつつくような行為だと思っていますので、敬意と謝意で応えたいと思います。。
勝ち抜けは、遠野よあけさんとしました。これは、優劣を判断基準にしていません。笠井さん、竹中さんが自身の尺度を確立し、経験によってそれを深める批評スタイルであるのに対し、遠野さんは「場」に合わせて尺度そのものの変容を試み、批評というジャンルの可能性を探っていらっしゃるように感じました。そのため、「場数」による経験を最も欲しているのは、遠野さんではないかという判断です。海千山千タイプの批評家(もちろん、いい意味で)になっていかれるのではないかと楽しみにしています。
機会を提供してくださった西崎さんはじめ運営の皆さん、Twitter上で支えてくださった皆さん、そして、ともに高め合い一読者としての私を魅了してくださったファイターの皆さんに、この場を借りてお礼申し上げます。


蜂本みさ

笠井康平 5★
竹中朖 4
遠野よあけ 3

総評
今回は本当に困り果てました。点数も僅差なら勝者も僅差です。最終的には「決勝ファイターとして挑みたい、困らせられたらなお嬉しいジャッジは誰か」で決めました。いただいた評はすべて次に進むための礎にします。ありがとうございました。

笠井康平さん
1回戦よりもぐっと細かくなった個別評がありがたかったです。作品と共振するような手触りに好感を持ちました。基礎点での添削についてのみ、異論があります。意味的には重複していても、文字を面で見た時の演出や読み手の呼吸のコントロールには役立っているのではないでしょうか。

竹中朖
1回戦と打って変わった目つきと手つきにしびれました。私の作品へのコメントはとても身にしみました。すさまじい発破です。厳しく優しく作品に並走してくださる編集者としてこんなに強力な方はいないと思うのですが、ジャッジとして捉え直した時、ほんの僅差ですが推しきれませんでした。

遠野よあけ
批評家と批評対象という切り口を固定した点が、遠野さん個人のテクストとして興味深く読みました。しかしそれをジャッジでやるのはもったいなかったのではないでしょうか。仮に2回戦の作品群には適用できるとしても、なんでもない写真に黄金比を見つけ出す遊びのようで、危なっかしく感じました。


※文の権利はすべて各作者に帰属します。



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