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準決勝ジャッジをジャッジ


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決勝ジャッジ

岡田麻沙




採点表




ジャッジをジャッジ


草野理恵子

冬木草華 4点
岡田麻沙 5点◎
白湯ささみ 5点
虹ノ先だりあ 4点

ジャッジの皆様にまたお手紙出します。

冬木草華さま
「雰囲気しりとり」の構成を詳しくご説明いただきありがとうございます。なるほどって思いました。ダークな語句と楽天のイメージもまさしくその通りです。「円環……は作品を終わらせることの逃避ともうつる」は今後心に刻ませていただきます。一番の共感は「最後の【】は……くどいように思えてしまった」です。くどいですよね。私もそう思いました。くどいやつは私も嫌いです。(あー、最後に悩んで付け足しました)よくわかっていらっしゃいます。とても信頼に足るジャッジをしていただいたと感謝申し上げます。

岡田麻沙さま
「くらった」と感じた箇所の図にまずくらいました。そして「雰囲気しりとり」で退路を断たれたとの文で興味が最高潮でした。サスペンス仕立て(図入り)のジャッジの始まりでした。
「本作は幻視を誘う呪具だ」の一言から始まる評は驚きの連続でした。この「雰囲気しりとり」を詳細に紐解き私の気がつかない点を次々にあぶり出し、そして最後に「いっさい心が動かなくなった」と言わしめた作品。それが「雰囲気しりとり」であるとはにわかに信じられない思いでした。「「読めない」と呟いた、この場所に立っていたい」との正直な言葉に打ちのめされました。
私は文芸に疎い人間です。小説に至っては続けずに好きなところを開き開きしてこんな小説かと想像するような人間です。お褒めに預かった点は偶然の産物です。岡田さんの指摘してくださった身体感覚、触覚、対比、皮膚感覚、入れ子、時間、そして果てしない詩情。全てが偶然の産物であったと告白せずにはいられません。そんな心情にかられたこの素晴らしいジャッジを勝ち抜けに選ばせていただきました。

白湯ささみさま
最初にルールを説明していただき大変お優しい方と存じました。そしてとても読みやすくそれぞれの鍵となるものを示してくれるという親切設計に頷きながら納得させられました。
希望を託されていると感じていただいたこと「もっとこの世界に留まっていたい」と、この先勇気の出るお言葉をいただいたこと感謝いたします。また「言葉の組み合わせの数だけ作品世界は増殖する」まさしくそうだと共感いたしました。最後に「一緒に遊ぼうよ。しりとりしようよ。」そのように語りかけているように感じていただいたことあまりにもうれしく驚きと共に受け止めました。作品は手を離れて自由に飛んでいくものだと作品に対してありがたい気持ちになりました。そのように受け止めていただいたことに深く感謝いたします。ジャッジのジャッジがなんてこんなに苦しいのと思わされました。

虹ノ先だりあさま
「【】で括られた言葉以外も他の詩に侵入しているのだという本人が気づいていない鋭い読みに改めて読み直すと本当にそうでした。そして各詩の距離が近すぎる点の指摘、確かにイメージが近すぎ、書きやすいということが難点にもなっているとハッとさせられました。今後の創作で気をつけていきたいと思いました。「鮮烈さ」を褒めていただいたこと心に刻み書いていきたいと思いました。
かわいくジャッジしていただきありがとうございました。

今回、文章に込められた熱量を私がどう受け取ったかで点数をつけ、その上自分がジャッジの前でどの位素直になれたかで勝ち抜けを決めさせていただきました。みなさま本当にありがとうございました。


宮月中


★準決勝をふり返って
準決勝では守りに入っていた印象の強かった昨年と異なり、ファイター四者とも一回戦を越えて創作に挑んできた感触がありました。草野さんはオールジャンルを掬い上げるかのように技を変え、宮月はより広く読者を巻き込むことを志向し、奈良原さんは作風をがらりと変えることで多彩さを披露し、冬乃さんは自身のテーマを突き詰めたうえで信念を新たにした印象でした。各ジャッジ評にも苦心と奮闘の形跡が各所に見られました。僕はそれを見ながら紅茶を淹れます。こうすると紅茶が美味しいのです。

★ジャッジジャッジ判定基準について
第一回戦にひきつづき、以下の三点を注視します。

①「読めた」と思ったときには立ち止まり
②「読めない」と思ったときには人を頼ってでも突き詰め
③その逡巡と奮闘をわれわれに余すところなく、つまびらかに見せてくれること

しかし上記の事は、準決勝に勝ち上がったジャッジの皆様は当然ふまえているものと思われます。よって第一回戦とは別の、以下の基準を追加で設けます。

④評はファイター(その態度、作風など)を変え得るか
⑤評は読者(その広さ、距離など)を変え得るか
⑥評はBFC(その気風、構造など)を変え得るか

上記6点をほのかにぼんやりふわふわと念頭に置きつつ、作品ごとに4つの評を読み通し、総合的な納得度の観点から順位付け、1点~4点をそれぞれ振りました。この点数は相対的なものなので、1点だからと言って評をまったく評価していないという事ではありません。

出た点数をジャッジごとに合計したところ、2名のジャッジが同点1位となりました。また。そこで全体の評文に序文などを含めて上記6項目を念頭に再度検討し、勝ち抜けジャッジを選びました。また合計点の高かった順に5.5.4.3点を振りました。

★ジャッジジャッジ結果

冬木さん……………5点
岡田さん……………4点
ささみさん…………3点
だりあちゃん………5点(勝ち抜け)

以下、私信をもって、作品に向き合ってくださったことへの恩返しとさせていただきます。

★冬木さん
ま た あ い ま し た ね。
昨年のBFC3で私は「強いオチを付ける作風に変化がなく、一回戦作からの進化が薄い」という理由で冬木さんの勝ち点を逃しました。あれから一年、オチだけに頼らない、けれども読み応えのある作品を作る修行をしてリベンジいたしました。結果「ジャッジとして負けたと感じた」というふんわりした理由で連敗しました。お恨み申し上げます……冗談です。ファイターの修練と進化を促すジャッジ文を書けるのは、めちゃくちゃ凄いことです。ありがとうございます。今大会においては平均的によく読めてよく読ませる、そつのない評文がすばらしく、やはり実力のある方だと思いました。ただそうした評者はこれまでのBFC決勝ジャッジに共通して言えることで、彼らと比べて今大会のエポックとなり得るようなオリジナリティがもうあと一歩欲しいなと思ってしまいました。
決勝ファイターになったあかつきには、「草野さんや冬乃さんの作品、そしてBFCという大会はこの地点から変わったんだ」と歴史に刻むようなジャッジをお願いします。

★岡田さん
図表だ! 表が進化してる! と思いました。グラフは……?
一回戦時の精読判定基準を投げ捨てて、殴られ回数判定へと変貌した潔さが輝いていました。殴られ判定という一見ぼんやりとした基準なのに、カラフルな図にされると急に説得力を増します。それこそが図表の存在意義です。ここ数週間、巻物のような長文を連続で読まされているファイターや読者にとってのひとつのオアシスでした。評文はいい意味で感覚的なところがありながら、また作品の芯を捉えて打ってくるところもあり、涼やかで素敵だなと思いながら読みました。決勝戦では視覚と心の両方に訴えかけてくるような、鮮やかなジャッジを期待しています。

★ささみさん
僕のジャッジジャッジ判定は4つの評の総当たりなのですが、ささみさんの評は「1回戦①」「1回戦②」「決勝戦」の3評構成になっているので、どう判定したものかと悩みました。苦心の末、各作品への言及部分に分解し、4つの作品への評に整理し直しました。
ともあれミニトーナメントを開くという発想はすこぶる面白くて、一回戦時から注目していました。作品ごとに共通点を探り、注目ポイントを挙げていく方法もわかりやすくてとてもいい。エンタメ性もありました。ですが決勝戦は言わずもがな1対1。トーナメントにはなりません。決勝に進まれた際には、単なる「読みどころの設定」だけではなく、他にどんな面白い基準を持ち出してくださるのかワクワクしています。

★だりあちゃん
ツイートがふざけすぎているという理由で決勝ジャッジに相応しいと思い、勝ちぬけに選びました。冗談です。抱負やツイートの盛り上がりを除いても、しっかりと作品のかたち、感触、発している物、受け取り方、弱点をも、明瞭な言葉で指摘できる方だと思いました。第1回戦評、準決勝評ともに若干の乱気流を感じないでもなかったのですが、決勝に進まれた草野&冬乃さんの作品であれば問題ないのではないかと思います。決勝に進まれた際には、「かわいい」をこれからのブンゲイの重要ワードにするくらいの意気込みでやっていただきたく思います。

★それではみなさんありがとうございました! 今日からの決勝を楽しみにしています。


奈良原生織

 負けは負けなので悔しいが、力は出しきったので後悔はない。後悔はないが、なぜ敗れたのかはすごく気になる。ジャッジ評の中にはたぶんその答えが書かれてしまっている。しかもヤバい切れ味の言葉で。だから私は怖い。ジャッジ評を読むのがとても怖い。ジャッジのジャッジを強いるBFCは残酷だと思う。ひどい仕組みを考えたものだ。自分の弱さと対峙するのは恐ろしいことだ。
 ここまでは採点評だけを見て、評文には目を通さずに書いた。これから読みにいく。とても緊張する。
 
 今、ジャッジ評を読み終えた。
 自作の敗因をはっきりと知った。ジャンル小説としての練度の低さ、設定の穴、説明不足、四人全員がこれらの点を暗に明に指摘してくれた。中でも明快だったのが虹ノ先だりあ氏の評だ。ゆえに虹ノ先だりあ氏を勝ち抜けジャッジに選定する。
 …と言えたら潔いのだが、全員の評文を読んで、気が変わった。最後にみっともなくもあがきたくなった。あがかせてください。岡田麻沙氏の評についてだ。
 自分のことで恐縮だが、準決勝作を書くにあたり「わたしにとって文芸とは?」を何度も自問自答した。最後まで答えはまとまらず、まとまらないまま準決勝作を書いた。わかんねえなあと思った。なんでこんなの書いてるんだ。やめちゃおうかな。ここのところ天気もいい。散歩がしたい。座りっぱなしで頭痛がする。水回りの掃除をサボっている。窓が汚い。同居人は機嫌を損ねている。生活は難しい。明日も仕事だし。労働は苦痛で、残業は汚物だ。会社が倒産してしまえばいいのに。それはそれで寂しい?そんなわけあるものか。
 無意識、という言葉だけが引っかかっていた。無意識を駆使することでしか小説を書けない。逆だ。小説を駆使することでしか、私は無意識をここに引きずりおろせない。私は頭が固く面白味のない人間だけれど、私の無意識だけはときたま人に面白がってもらえる。うれしいが、複雑な気持ちになる。その無意識は私のものではなく、別のどこかにある水たまりから汲んできたものにすぎない、という思いがあるからだ。
 今読んだ岡田麻沙氏の評は、作品によって口寄せされた作者の無意識と出会っていて、非常に驚いた。こんな読みができる人がいるのか。これじゃあ丸裸ではないか。お互いに。
 たとえば『バス停山』は、巧妙な伏線回収が魅力であると同時に読み手によっては弱点にもなりうる作品だが、無意識はそんなつまらないところに拘泥しない。評者は低みを移ろう視点となってバスに同乗し、だからこそ登場人物の死角に気づけている。
『編纂員の夜勤』評は、瑕疵と断じてもかまわない作品の暗さに能動的に目をこらし、配置されたモチーフ相互のつながりを鋭く読みとっている。
『あいがん』評は、冬木草華氏による丁寧な読みほぐしにたいして若干の物足りなさは感じるものの、「生々しい感情を描きながらも……」以下の三文が作品の核を射止めている。なぜこの小説が書かれなければならなかったのか。嗚咽混じりの問いかけに対する応答が、きちんとなされている。
『雰囲気しりとり』評では、無意識と出会った評者の逡巡がもっともよく表れている。解釈と感覚の交互浴を経て、最後には「いっさい心が動かなくなった」。評者が現実にダメージを負ったことが分かる一文だ。実際かなり痛かったんだと思う。くれぐれもお大事にしてほしい。でも『雰囲気しりとり』はそうなのだ。読めば、傷を負う作品なのだ。だからこの感想はとても正しい。
 評者以前の読者として、岡田麻沙氏は痛みを引き受けている。そこから始めている。その姿勢に感動した。
 以上、ごく個人的なシンパシーから、岡田麻沙氏に五点を与え、勝ち抜けジャッジに選定する。

 他三名のジャッジについて、読みの説得力などで劣る点はなかったと思う。冬木草華氏はテクストの読解が誰よりも秀でていたし、なんだか温かみもあった。白湯ささみ氏は一回戦同様のミニトーナメント形式において作品の有機的な連関を指摘した。虹ノ先だりあ氏は各作品の懸案にも目を配ることを忘れていない。ただ、私は岡田麻沙氏によってBFC4の決勝ジャッジがなされることを強く望んでいる。よって、配点は等しく一点とする。
 とはいえ三名のうちいずれかが決勝ジャッジを担う可能性はあるだろう。そうなったときのためにも最後に伝えたい(前述した私の生煮えな態度を踏まえれば誤解はされないと思うが、これは最大限に自戒を込めたメッセージでもある)。
"しょせんは文芸だと、侮る気持ちはないか。現実の自分が傷つかない安全な場所から、作品を評していないか。ジャッジのジャッジによってではなく、作品によって、傷つく覚悟はできているか。"
 決勝戦を楽しみにしています。

【点数表】※敬称略
冬木草華 1点
岡田麻沙 5点(勝ち)
白湯ささみ 1点
虹ノ先だりあ 1点


冬乃くじ



冬木草華 4点
岡田麻沙 3点
白湯ささみ 5点
〇 虹ノ先だりあ 5点(勝ち抜け)

■採点基準

ジャッジを採点するにあたり、考慮した点は以下のとおり。評をつける行為とは、自らの視点と向き合うものであるが、そのときの姿勢がナルシスティックに過ぎないかどうか。自分よりも作品を見ているか。未知の存在と対峙したときにどんな反応を示しているか。文芸の未来を見ているか。最終的に、以下の点を高く評価する。わたしが望む文芸の未来を連れてくる人。

■総評

 今回の準決勝に残ったジャッジは全員、この採点基準による失点がなかった。非常に成熟したジャッジ揃いであることは間違いない。このレベルまでくると、ジャッジ本人の根底に流れる「読み方」や「判断」の傾向はもはや俎上にあがらず、ただ「今回の準決勝でたまたま並べられた作品群といかに邂逅したか」というところでしか判断ができない。そのため「この4名の今回の評をあえて比べるならば」という相対評価にならざるをえなかった。
 各4名の各4作品への評をすべて検討したが、4者とも拙作「あいがん」への個別評があまりにも素晴らしかったため、今回だけはそれを中心に触れさせていただきたい。ある意味で、評自体を文芸として向き合う初の機会となった。このような機会をいただき、感謝の念しかない。(以下敬称略)

 冬木草華の評は、どの作品においても分析・解説を試みており、「作品を読んでみたけどよくわからなかった」読者にとって助けになる評だった。拙作については、「箱」のモチーフを「ひとつの空間におけるルール、秩序」として読むことで、すべての因果をわかりやすくほどいた。「掬いきれなかったという印象を強く感じるほど底の知れない作品」としながらも、かなり真に迫った評となった。BFC4一回戦ジャッジ評や、過去に遡ってBFC3のときの評から感じていた「バランスのよさ」と「作品との適度な距離感」には安定感があり、個々の作品の構造を掴む手腕には信頼がおけると思われた。

 岡田麻沙の評は、いずれも作品紹介として完成度の高い評だった。拙作に対する「生々しい感情を描きながらも、断罪の手つきはここにない。生き延びること、その両義性だけが示される。高度な乱れ打ちのなかに、呪いと祝福が共存する。」という評は短い中にも核心をついており、感受性と文章力の高さを伺わせた。
 だが本人が告白する通り、今回は作品との距離感が近すぎて抜け出せず、作品群に翻弄されたであろう痕跡が見受けられた。一回戦ジャッジの際はある程度の距離を保った見事な評を書いていたので、これは作品とのめぐりあわせだろう。「読めない」と思ったものをあえて評価するという姿勢そのものは大いに買いたいところだが、作品群に翻弄された文脈を加味すると、投げだしたようにも読めてしまう。他者(佐々木中)の言葉を引用して「こういうことなんです」と降参するやり方は、その正直さに好感は持てたが、選評としての説得力に欠けた。

 白湯ささみの評はエキサイティングだった。感受性の豊かさに加え、短い言葉で出力する能力に優れている。無関係の読者を巻き込むエンターテイナーとしての力だけでなく、評自体を文芸として読ませる力もある。
 拙作評においての、「抑圧と抵抗をめぐる『わたし』の葛藤は作中のあらゆる物や情景に投影され、融合と分裂を繰り返す。本作を読んだときに読者の中に生じる混乱は、設定上の穴や説明不足から来るものではなく、作者が緻密な計算のもとに創造した『混乱に満ちた作品世界』に嵌められていることの証左だ。」という箇所、あるいはタイトルに対しての「『愛玩』はペットや物に対して使う言葉で、相手を人格のない『愛の入れ物』として見ていることを示している。だが果たしてそれを『贋』の愛だと言い切れるだろうか。歪な形であっても愛は確かに『含』まれているし、私たちは誰かを愛したいと『願』うことをやめられない。」という箇所は出色の出来であり、読み込んでもらえた嬉しさに、一作者として心震えぬわけにはいかなかった。
 さらに言えば、これは一回戦ジャッジから通じるところであるが、「なぜこれを選んだか」が明確に書かれており、この強さは選者として必要な資質であるように思われた。

 虹ノ先だりあの評はクリアだった。感受性の高さや作品紹介としての完成度の高さは言わずもがな、読み方の可能性を探る手つきや、作品自体の可能性を検討する思考の流れまでもが、明確に出力されている。一回戦ジャッジから一貫して見受けられる、作品を味わいつつ可能性をも指し示す、いわば遠くまで見通す能力は4者のなかでも抜きん出ている。
 拙作評でも、「話せないゆえに起こるディスコミュニケーションと、話せるのにも関わらず起こるディスコミュニケーション」を始めとした諸要素や仕組みを巧みに読み解き「混乱を抱えた主人公を中心に据えながら、母の支配、犬の死というふたつの軸とその周辺をまとめ上げている」とした分析は見事であり、「最後の母からのひなぎくの写真をどう受け止めるか。」以降の読み解きは、作者自身も知らないものを教えてもらい、感謝の念しか浮かばなかった。
 また、エンターテイナーとしての能力も高く、無関係の読者を引き込む力が強い。(Twitterという場外での狂乱ぶりもかなり見物だが、それはさておき評としての)エンタメ性はジャッジされる側からしても魅力的だ。一回戦ジャッジでは拙作「サトゥルヌスの子ら」で、作品のよさと弱さについてなかなかの説得力で提示されたうえ「父親を引き裂きかわいい2点」で〆られ、点数低くて悔しいのと笑ってしまうのと結構正しいから認めざるを得なくて悔しいのとで感情がめちゃくちゃになったが、今回の拙作「あいがん」では「ただただとってもかわいい5点」をいただいて、素直に嬉しくなってしまった。点数が低くても高くてもあまり嫌な気持ちにならないのは、作品を読み込んでいるのが明確に示されていること、失点の理由が明確であると同時にその正当性の説得力が高いことが理由だろう。

 この段階で冬木草華、白湯ささみ、虹ノ先だりあの評が「選評」として一歩リード。さらに「どこを評価し、どこを失点としたか」がより明確な、白湯ささみ・虹ノ先だりあの一騎打ちとなった。
 ブンゲイファイトクラブにおいては決勝ジャッジの評が最後の華となる。どちらに任せても、最高のフィナーレを飾ってくれるだろう。特に白湯ささみの文章力はかなり高く、ブンゲイファイトクラブに参加してきた観客、ファイター、ジャッジたちの心を相当エモくしてくれるはずだ。この段階で白湯ささみを勝ち抜けに決めた。

 だがその後、何度も読むうち、「編纂員の夜勤」評が気になってきた。何が気になっているのか、途中でわかった。白湯ささみ・虹ノ先だりあは、双方「編纂員の夜勤」に対し不足分を認めて失点をつけているのだが、その失点をつける際、虹ノ先だりあは「不足と思われるがどのように読めば不足にならないのか」を可能な限り検討し、その経緯を明示していた。白湯ささみも種々検討したのかもしれない。だが書かれていない。書かれていないことをどう捉えるか。
 どう読めば不足にならないのかを追求する姿勢とは、作品を信頼している者の姿勢だ。作品に信をおくからこそ、可能性を検討するのだ。その時今回は無用の長物として脇に置いていた、我が「採点基準」を思い出した。「文芸の未来を見ているか。最終的に、以下の点を高く評価する。わたしが望む文芸の未来を連れてくる人。」未来は可能性によってひらかれる。可能性を検討する思考を、わたしはもっとも評価したい。よって、虹ノ先だりあを勝者とする。



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