ブンゲイファイトクラブ4(BFC4)メインページ 決勝結果とジャッジ
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ブンゲイファイトクラブ4の優勝者は以下の作者に決定いたしました
冬乃くじ 「健康と対話」
決勝をジャッジ
岡田麻沙
日々、いろんなものをジャッジしながら暮らしている。この本はあの本よりも面白い。今日の料理は失敗だ。彼はなかなかいいやつだね。ちらと目に入ったものに対して、気の利いた一言を添えたいという、抗いがたい欲求。でも、誰かの人生の欠片に星ひとつの評価をつけることを繰り返すならば、いつか自分の人生にも、星ひとつをつけてしまう日が来るだろう。
この自己疎外から逃れるため、ジャッジに応募した。作者のためでも、読者のためでもなく、書かれたもののために足を止めること。最後に「判定」をしなければならぬレースだからこそ、踏めるブレーキがあるはずだ。
一回戦ジャッジで試みたのは、分析的な態度の徹底だった。プロダクトの品質管理のように、定性的な読みを心がけた。成果は得られたが、踏みそびれたブレーキも少なくなかった。また、手が届く範囲にまでテクストを折りたたみ、すべてに解釈を与えようとする己の態度にも鼻白んだ。これは文芸の矮小化だと思った。
だから、準決勝ジャッジでは丸腰になろうと決めた。グリッドが見えなくなるまで殴られるなかで、判断以前の思考を記述する。これは一部のハードコアな人々に支持されたが、「殴られ」をゴールにしていたため、肝心のジャッジ部分が弱かった。あと、けっこう苦しくて、もがきながら掴んだものに自分の手癖が出てしまった。
決勝ジャッジでは、身を投じ、殴られたのち、引き返してくる。くらった経験を足掛かりとして、解釈を行う。足場を調整し続けることで向き合おう、というのが、今回のBFCでわたしが手に入れた、ひとまずの結論だ。もちろん、手法は信仰ではない。作品との出会いを可能にするのは、確からしい道筋ではなく、わからなさのなかで手渡される沈黙のほうだ。
草野理恵子「言ったり思ったり詰まったり」
なにかが手遅れになりつつある気配と、それを止めることはできないだろうという予感が支配する。諦念と呼ぶには淡く、ただ生きているのだ、などといえば演繹的すぎる、振り返り、観察し、手放す、その繰り返しのなかであらわれてくる予感だ。
キャベツは雨に濡れ、「びろんびろん」になり、穴が穿たれる。青虫は踏み潰され、水道の蛇口は閉まらず、片耳は切り落とされる。一枚、また一枚とキャベツの葉を剥くように、次々と兆しが現れる。最後まで読んだら芯まで見えてしまうのではないか。この不安を最恐の形で引き受けるのが終盤の「ごめんね」だ。何かが起きることは決定しており、読者は、謝罪の言葉を受け取ることしかできない。
五編の詩すべてに、様相を変えながら登場し続けるキャベツは、語り手の入れ替わりによる差分のようにも読めるし、一枚ずつ色合いを変えるなにものかの、奥に向かうほど損なわれていく精神性のようにも読める。それにしても、この、作品全体に漂う正体不明の穏やかさはどういうことだろう。
間合いをとって見ていこう。とらえた構造を以下に示す。
本作は、不可逆性の提示とその受容ないし暴露によって進行する。
まず、冒頭の詩(まあいいかと思う)において、なんらかの過失が繰り返されてきたこと、これからも繰り返されるだろうことが示唆される。「またやってしまった」という独白は、すぐさま「まあいいか」と吹き飛ばされ、この否定もまた「やりすぎないといけないのだ」という強い気持ちによって覆される。この翻意が「まあいいかと思う」のを目指すためであることが示され、無限ループが立ち上がる。
二編目の(じゃあねと言う)で、不可逆性は極めて消極的なかたちで受容される。「もう持たないだろう」という目算は、諦めにも似た「私の勝手と言うだろう」という言葉で、静かに受け止められる。夕立は豪雨に変わる。
続く(うんって言う)では、崩壊らしきものが共有される。片耳は「また切ろうと」され、「抱きしめて止め」られるが、抑止の言葉は放たれない。ただ「そっか」の応酬が重ねられ、「延々と」やりとりが続行される。
四編目、(言葉に詰まる)の内部には、痛ましい凪のような時間が流れている。「元の君の顔に会えない」事実に抗おうとする意識は表出されず、「荷物を持ってやれば」と悔やむに留まる。その後悔すら、「おんなじだからね」と押し戻されてしまう。ここにきて、抵抗が可能な頃合いはすでに過ぎ去り、終わりを待つ段階に突入したことが仄めかされる。
緊張感を高めながら続いてきた、取り返しがつかないというムードは、五編目の(ごめんねと言う)で提示される「時限爆弾」により、最高潮に達する。留意したいのは共起語である「ごめんね」だ。繰り返しは、詩が途切れてもなお続けられるであろう謝罪を暗示する。そのように読めば、「楽しくて仕方ない」という、獰猛さを帯びた語りは、終わることを受け入れたものが持ちうる、特殊な無邪気さの発露にも思えてくる。
観察する語り手の歩む時間を示すモチーフがいくつかある。短命の青虫、雨脚を強める夕立、手折られ、血だらけになる花。これらはみな、過ぎていくものだ。対比されるのは、きれいな石や夕日。姿かたちを変えながら、語り手/読み手よりも長くあるものとして配置される。
損なわれたものを思うとき、語り手は過去を振り返る。そして、数行後には現在を見据える。その目に光はないが、視覚は凝縮されている。急な夕立に太さを変える水筋。おそらくは夕暮れ時、陽光に染まった石の、甘夏柑のような色合い。西日に照らされた「君」の穴が濃くなる瞬間。いずれ必ずやってくる時間切れのことを知りながら、なお目を逸らすまいとする言葉が記されている。本作に流れる穏やかさの源泉は、過去に呼びかけられながらも、囚われはせず、現在に留まろうとするものの放つ集中力だ。
冬乃くじ「健康と対話」
端倪すべからざるうんこ小説だ。排泄や肛門、大腸といった素材が扱われるとき、繰り返し表象されてきた制度を脱ぎ捨てることは難しい。ある場合は観念に寄りすぎ、別の場合には、タブーを描いているのだという、おなじみの興奮に取り憑かれる。しかし本作は、そのどちらでもない。「いやどうも……」という脱力した声ではじまり、「先は失礼をした」と節度ある態度に移行する。対話を発見した語り手は、最終的に熊(あるいは内なる他者)と出会い、「いいんだよ」と優しくうべなう。脱糞の瞬間、視線は取り払われる。見る身体/見られる身体であることをやめ、身体が身体としてあることが、そっと享受される。
姉妹で熊として踊るシーンは白眉だ。便秘から熊ダンスへと軽やかに跳躍する振れ幅。多くの読者が、きっとこの姉妹を好きになる。
誰もが想起できる身体感覚を用いながら、硬直にも躁状態にも陥らず、排泄を排泄のまま描いた。この、極めてニュートラルなうんこは、いったいなにものなのか。問いはトートロジーにしか帰着しない。うんこはうんこである。それが本作の示す光だ。それでも解釈をはじめよう。情報を時間の流れに沿って整理した。
「健康と対話」は、物語の中盤から過去へと駆け戻り、再び現在に戻ってくる構成を持つ。
冒頭、語り手は大腸に話しかけ、送りこんだ人参が有効であったかを尋ねるが、応答は得られない。ばかりか、その試みは「慇懃無礼」であると妹に厳しく非難される。提示されるのは「敬意」や「コミュニケーション」。大腸に向けられた声は、近くて遠い他者への呼びかけであることが掲出される。
ここから、時間は過去に引き戻される。便秘に効くといわれる様々な対策を試してきた姉妹の描写は、読者にとって、主題をより身近なものに感じさせる。続く「心因性」の場面では、職場にいる四人の「クソ」が登場する。体内に留まり、脱出を待つ存在であったはずのうんこが外部に配置され、反転が起こる。この反転は中盤、妹の語りにより補強され、内外をかき乱す。プラナリアではない「我々」は、口と肛門をひとつずつ保有するなにものかであることが導かれる。ここで、ひとつの見立てが成立する。姉妹は、大腸という外部を内包する二体のトーラスである、という読みだ。しかし肛門は閉ざされている。未完のトーラス。この観念的な解釈をわたしが提示する意図は、本作に登場する「便秘」の多重性を紐解くことにある。出口のないトーラスは取り込んだ外部を内部に変える。だからこの場面では、「うんこ」と「クソ」は弁別され、他者は他者として描写される。同じ悩みを共有する妹は、外界への水先案内人となる。
姉妹は「我々は熊だった」と結論し、しばし「熊として」踊る。排泄という行為に春の目覚めという補助線が引かれ、いかにして出すかの探求は、いかにして目覚めるかの問いかけと合流する。
妹の発見した「ある試み」は肛門括約筋に話しかけるというものだった。考えてみれば、筋肉こそが皮膚に包まれた肉、ドーナツの可食部であり、真の体内である。内部への呼びかけ。祈るように紡がれる内容は、内省の色を帯びてゆく。固い扉を閉めている筋肉に対し、「何を守っていたんだろう」と問い、「うんこくせ!」と言われた記憶を呼び起こす。生を否定する他者の視線が、肛門をロックしていたことを知る。皮膚に包まれた肉を脅かす存在がそっと排除され、ゲートが開く。「ボフ」と放たれた空気は、続く「熊」や「春」と呼応し、こわばっていた体内を春一番が吹き抜けたかのような開放感をもたらす。そしてうんこは脱出する。トーラスの完成。口から食べて尻から出す、生の状態への移行が達成される。脱糞に並走するのは、語り手の「そうか」「そうだね」という相槌だ。これは身体との対話であると同時に、外部との対話でもある。
多様な読みの可能性を残したまま、性の政治性からも、まなざしの力学からも自由な身体が描かれている。
決勝に進出した二作を読むのは、幸福な時間だった。高い完成度を持ちながら、意図を前景化させることなく仕上げられたテクストに触れ、読むことの楽しさを思い出した。
「言ったり思ったり詰まったり」は、不可逆性を極限まで引き伸ばすことで、絶望に回収されえない生の質感を提示した。キャベツという、食品でもあり生き物でもあるモチーフを効果的に扱い、その形態が有する多層性を予感の中に埋め込んでいる。()内に配された言葉と、外部に置かれた詩は、いずれも寡黙な印象を生む。ぽつりと呟くのがやっとの場所で、過ぎていく時間になぶられながら、語り手は立っている。見ることを最後まで続ける切実な姿勢は、読むものに新たな時間を手渡してくれる。
「健康と対話」は、大腸の内外に物語を配置することで、制度の中から肉体を掬い上げた。便秘の解消、このカタルシスは、人間の再提示に成功している。生き物が持つ肉のかたちに再会する喜びが、気取りのない文体で綴られている。大腸ないし肛門括約筋は、熊や春と共鳴して目覚めの儀式を完遂する。「よかった」という結びに至るとき、排泄の過程を見守ってきた読者は、すとんと肯定が手渡されたことに驚く。周到な仕掛けを嫌味なく駆動し、素顔の内臓感覚を呼び起こした。
いずれの作品にも瑕疵らしい瑕疵は認められない。決め手となったのは、試みの持つ射程と、その成功が生む効果の度合いだった。観念にも興奮に吸い寄せられることなくニュートラルにうんこを書き切った冬乃作品に、わたしは新しいブンゲイの風を感じた。記号性を脱いだ身体は他者と接続できるのか、という問いと実践は、わたしたちが未来に持っていかなければならないものだ。「健康と対話」を優勝作品とする。
決勝
草野理恵子 「言ったり思ったり詰まったり」
冬乃くじ 「健康と対話」
決勝ジャッジ
岡田麻沙
準決勝ジャッジをジャッジ
採点表
決勝作品
草野理恵子 「言ったり思ったり詰まったり」
冬乃くじ 健康と対話
決勝進出ファイター
草野理恵子「雰囲気しりとり」
冬乃くじ「あいがん」
準決勝ファイターをジャッジ
準決勝作品
「雰囲気しりとり」 草野理恵子
「バス停山」 宮月中
「編纂員の夜勤」 奈良原生織
「あいがん」 冬乃くじ
雰囲気しりとり 草野理恵子
バス停山 宮月中
編纂員の夜勤 奈良原生織
あいがん 冬乃くじ
1回戦通過ジャッジ
冬木草華
岡田麻沙
白湯ささみ
虹ノ先だりあ
採点表
1回戦ジャッジをジャッジ
1回戦通過ファイター
草野理恵子
「ミジンコをミンジコと言い探すM」
宮月中
「十円」
奈良原生織
「校歌」
冬乃くじ
「サトゥルヌスの子ら」
採点表
ジャッジによる感想・評
1回戦ファイターをジャッジ
1回戦対戦表
Aグループ
作品
ファイター
古川桃流 「ファクトリー・リセット」
日比野心労 「小僧の死神」
藤崎ほつま 「柱のきず」
草野理恵子 「ミジンコをミンジコと言い探すM 」
池谷和浩 「現着」
野本泰地 「タートル・トーク」
担当ジャッジ
鞍馬アリス
糖屋糖丞
寒竹泉美
サクラクロニクル
冬木草華
紅坂紫
Bグループ
作品
ファイター
タケゾー 「メアリー・ベル団」
佐古瑞樹 「或る男の一日」
見坂卓郎 「滝沢」
雨田はな 「踏みしだく」
宮月中 「十円」
鈴木林 「軽作業」
担当ジャッジ
千里塚直太郎
田島一五
小山内 豊
夏川大空
岡田麻沙
吉美駿一郎
Cグループ
作品
ファイター
中野真 「三箱三千円」
キム・ミユ 「父との交信」
奈良原生織 「校歌」
谷脇栗太 「神崎川のザキちゃん」
匿名希望 「鉱夫とカナリア」
わに万綺 「坊や」
担当ジャッジ
嶌田あき
白湯ささみ
淡中圏
子鹿 白介
冬乃くじ
ときのき
Dグループ
作品
ファイター
たそかれを 「日記」
冬乃くじ 「サトゥルヌスの子ら」
由井堰 「予定地」
北野勇作 「終わりについて」
西山アオ 「王の夢」
津早原晶子 「死にたみ温泉」
担当ジャッジ
紙文
笛宮ヱリ子
虹ノ先だりあ
白髪くくる
ゼロの紙
ファイター
古川桃流 「ファクトリー・リセット」
日比野心労 「小僧の死神」
草野理恵子 「ミジンコをミンジコと言い探すM 」
タケゾー 「メアリー・ベル団」
北野勇作 「終わりについて」
池谷和浩 「現着」
野本泰地 「タートル・トーク」
佐古瑞樹 「或る男の一日」
見坂卓郎 「滝沢」
雨田はな 「踏みしだく」
西山アオ 「王の夢」
津早原晶子 「死にたみ温泉」
宮月中 「十円」
冬乃くじ 「サトゥルヌスの子ら」
由井堰 「予定地」
藤崎ほつま 「柱のきず」
鈴木林 「軽作業」
中野真 「三箱三千円」
キム・ミユ 「父との交信」
奈良原生織 「校歌」
谷脇栗太 「神崎川のザキちゃん」
わに万綺 「坊や」
たそかれを 「日記」
匿名希望 「鉱夫とカナリア」
(応募受付順)
ジャッジ
鞍馬アリス 切れ痔小説の可能性
糖屋糖丞 歯車香
寒竹泉美 優劣をつけない練習から始めることにした
吉美駿一郎 かぐやSF2最終候補作「昔、道路は黒かった」の感想
冬木草華 「ゆめうつつ」について
紅坂紫 名を奪われたものたちのための
千里塚直太郎 へのへの
田島一五 「サークルクラッシャー麻紀」小論
小山内 豊 ブンゲイファイトクラブ4開催に寄せて
サクラクロニクル イグナイトファングマン
夏川大空 工藤庸子『大江健三郎と「晩年の仕事」を読んで』
岡田麻沙 不在の気配:アピチャッポン・ウィーラセタクンVR作品『太陽との対話』感想
嶌田あき 科学とSFと文芸と
白湯ささみ 畳屋の王子
淡中圏 フェイクドキュメンタリー「Q」と現実の死体について
子鹿 白介 アンダーグラウンド・ガールズ・ラフィング・エキセントリック・ジョーク 書評
冬乃くじ ゴンブリッチ『美術の物語』について
ときのき 書評二本転載
紙文 これまでのあらすじ
笛宮ヱリ子 物語が視えるとき
虹ノ先だりあ BFCジャッジとしての金森まりあ論考
白髪くくる 紺野天龍『シンデレラ城の殺人』感想
ゼロの紙 チューニングとモーニング
(応募受付順)
予選優秀作品
夏川大空「ロマンゲームブック もう赤い実からは果汁は流れなくても」
護道綾女「あなたに会えたら」
猫森夏希「グアノの丘」
枚方天「ホロホロチョウの夜」
飛由ユウヒ「スミワケ」
Yoh クモハ「乳神[ちがみ]様、あるいは菩薩器官」
佐藤相平「康子の憂鬱」
椿知久「女の季節」
中務滝盛「八年間」
藤田雅矢「鬱金香本位」
遠藤ヒツジ「雨の翻訳」
茜あゆむ「探偵(および真実)の不在」
永津わか「ねこをいだく」
早高叶「綺麗な地獄 」
関澤鉄兵「新宿三丁目のダンスホール」
川合大祐「ザ・ザ 川柳一一二句」
中島 晴「絶景の匂い」
吉川結衣「拍手のひと」
加藤明矢「花の貞操 」
阿部2「隕石さん」
門前日和「砂のお城」
乘金顕斗「僕たちの初恋」
指崎「セックス中にごめんね」
竹花一乃「才能狩り」
藤 琉「凪の夜」
なかしま「ジャンバラジャンのこと」
暴力と破滅の運び手「水面の下で」
湖川平太「瓶中船」
吉美駿一郎「火はどこに消えるのだろう」
吉田棒一「ぴっころさん」
木口まこと「インプロヴィゼーション1」
只鳴どれみ「ぬ朝 」
岡田麻沙「とりとひとひと 」
大恵和実「船を抉る」
岸波龍「夏目漱石『夢十夜』小論」
メロンパン奈張雲江「粉末」
生野カルミ「アウトサイド・カタルシス」
淡中圏「水底より現れるもの」
加藤明矢「花の貞操」
我那覇キヨ「受賞のことば」
(順不同)
本戦進出ならなかった作品でもっとも惜しかったと感じた作品を選考担当が1作ずつ選びました。
編集スプン 茜あゆむ「探偵(および真実)の不在」
編集リドル 関澤鉄兵「新宿三丁目のダンスホール」
編集パーク 中島 晴「絶景の匂い」
西崎憲 飛由ユウヒ「スミワケ」
本戦ファイター・ジャッジ抱負
ファイター
古川桃流(ふるかわ・とうる)
本戦ファイターに選出いただき、ありがとうございます。たいへん光栄です。 通信分野の説明では、Aさん、Bさん、Cさん……の代わりに、アリス、ボブ、チャリー……といった呼称が使われます。私の物語に登場するアリスやボブは、AさんやBさんです。誰にでも起こりそうな「もし〜なら」な世界を探して、書き綴っています。 あなたや私の物語が勝ち上がっていく様子を、あるいは、打ちのめされる様子をお楽しみください。 よろしくお願います。
日比野心労
日比野心労がBFCに出場する。
「まさか奴が!?」と皆は驚く
皆は驚きで体を震わせる
それを見た医者が病気を疑う
医者は皆に休養を勧める
皆は「そうだよな。最近は働きづめだったもんな。」
と納得する
皆はおもいおもいに休暇に入る
なかでも人気は温泉で過ごすことだ
ファイターもジャッジも観客も運営も、
みんなこぞって温泉宿に向かう
タオル持ったっけ。
シャンプーは?ボディソープは?
どれもある。けど、あれ?そういえば……
皆はあることに気づく
そう、桶がない。
桶屋と心労は温泉宿の裏で握手を交わす。
桶屋と心労が儲かる。
草野理恵子
毎日、詩(?)を書きます。毎日、知的障害がある息子と「おかあさんといっしょ」の歌を歌います。抱負というか願いは睡眠障害がある息子が「早寝遅起き!」をしてくれることです。どうぞよろしくお願いします。
タケゾー
初参加です。ワクワクしています。文芸というジャンルの自由度を少しでもあげたい、と考えています。
北野勇作
まあせっかくなので、好きなことを好きなようにやらせてもらいます。
池谷和浩
これは準決勝で読んでいただくことになる作品の伏線ですが、佐渡のことばで北東の風を”あい”と呼び、「あいが募ると雨が降る」と言われているのだそうです。私はブンゲイのたたかいをあいしていて、ゴングが鳴るのを待ち遠しく思っています。 嵐が来るので備えておいてください。
野本泰地
殴られても痛くないです。
佐古瑞樹
この場に選ばれたことを誇りに思います。よろしくお願いします。
見坂卓郎(みさか・たくろう)
※特別な訓練を受けています
雨田はな(あめだ・はな)
あまだじゃなくて、あめだ。
覆面レスラーです。いや違った、覆面作家です。
西山アオ
ガチ中華はおおよそ美味しいのだが、ときおり疑義を感じることもあり、はたしてそれは開店前にオーナーと口喧嘩したコックがわざと手を抜いたからなのか、それとも中国の人にはこれが美味しいと感じる定番なのか、その判断は難しい。それは小説を読むことにも通じていて、面白い作品だと判断することはたやすくとも、ある作品を面白くないと述べる価値判断にこそ、読み手の力があらわれる。ねがわくば、私も小説の書き手として、ローカライズされていないガチ中華でありたい。日本語話者が己の前提を問わざるをえないものを書きたいと思う。
津早原晶子(つさはら・あきこ) 初めて小説を書きました。 ここで闘えることがとても嬉しいし、楽しみです。がんばるぞ。
宮月中
みなさまごきげんよう。宮月中と申します。呪いと毒を使って戦います。ただ叫びながら刃を向けるのではなく、静かに、あなたの飲み物に、お茶菓子に、点滴に、価値観に、人生に、そっと毒を落とす時、そのか細い指で条理の一線を越えてしまえる強かさを求めます。そう言う強かさは何ものにもまして狡猾であり、いじらしく可憐でもあります。
うしろめたいものに「いてもいいんだよ」と言うのが僕の文学です。雅かつ邪悪に。
経歴:阿波しらさぎ文学賞、徳島文学協会賞(第1,2回)・徳島新聞賞(第4回)。BFC3準決勝ファイター。
冬乃くじ(ふゆの・くじ)
Twitterを控え、体調を整えてがんばります。1、2、3度目の正直! ダーッ!!!!!
由井堰(ゆい・せき)
こんにちは。体幹がぜんぜんなくて、ししとうが好きです。短歌です。よろしくお願いします。緊張する
藤崎ほつま
去年よりわかりやすく書いたので、よろしくお願いします。
鈴木林(すずき・りん)
やはり人生で一度は地下格闘技大会に参加したいという思いがあり、それが叶いました。とても嬉しいです。積極的に呪いを背負ったりかけていくような作品が届けられるようがんばります。
中野真
4回目にしてようやくリングへ辿り着きました。BFCは僕にとってのブンゲイの始まりの地。4回の間に力をつけてきたかと問われると、ただハリボテの装備が壊れ生身になっただけなのかもしれません。グローブの厚みがなくなった分、何かに近づけていれば。
六枚道場出身。ゲンロンSF創作講座第6期生。あまえんぼ。
キム・ミユ
「 What happens now here stays nowhere.
今、ここにいる / いない私ですが、どうぞよろしくお願いします。」
奈良原生織
奈良原生織と申します(ピンク色の家に棲んでいる)。久しぶりの方も、初めましての方もこんにちは。 お給料が少なく、残業の多い会社に勤めながら、小説を書いています。自信はそんなにありませんが、失うものもとくに思いつきません。 今は義母が買ってくれた、昔より小さくなった気のするハーゲンダッツを食べながら、これを書いています。 対戦よろしくお願いします。
谷脇栗太(たにわき・くりた)
えっ、あなたもタヌキなんですか!
わに万綺 (わに・まき)
自分の全体像を鏡越しにしか確かめられないように、自分の強さというものは他の誰か通すことでしか理解し得ないものだと思います。
私に、私が強いということを教えてください。どうぞよろしくお願いします。
たそかれを
「田畑」という彫刻はサー・ウィチットが その生涯のほぼ全てを費やした芸術品である。 彼の死後しばらくして触ると死ぬという噂が流 れ始めた。バル・ソーンはそんなでたらめな噂 を払拭する為、ウィチットの彫刻に触り、死ん でしまった。この話を信じるのか信じないのか 既に答えはあなたの中にあります。
匿名希望
リングに上がれば名前は不要。紙とペンさえあればいい
ジャッジ
鞍馬アリス(くらま・ありす)
高校以来の友人に、香織がいる。
彼女は高校生の時、返却されたテスト用紙を近所の川に全て流していた。船の形に器用に折って、それを夕暮れの川へ放流するのだ。
私はよく、香織に付き合って船を折ったり、それを川に流す手伝いをしていた。
「悪いことも綾となら楽しいよ」
香織はよくそう言っていた。
どうしてテスト用紙を流すのか一度尋ねたら、彼女は薄く笑った。
「点数、親に見せたくないもん」
でも、香織のテストの点数が満点以外だったのを私は見たことがないので、今でも釈然としない。
こういう詠嘆のバブゥが漏れるような話が、好きなんですねぇ。
バブゥ。
糖屋糖丞(あめや・とうじょう)
BFC初参加の糖屋です。
今回僕が参加者の中で唯一メンダコであるということで、皆様も緊張なさっていると思います。大丈夫です。★★リラックスしてください★★糖屋はとにかく人間のことが愛しくて仕方がなく、テクストへの愛も横溢して震えが止まりません。だって皆闘いたくて来てるんでしょ、楽しみすぎる。処方箋は一切要りませんので、代わりにこのジャッジパンチを受け止めてください。僕も素敵に闘うぜ。です。
寒竹泉美(かんちく・いずみ)
「ジャッジって楽しそうだな…いいなあ…」って、ファイターや観戦者からうらやましがられるようなジャッジをしたいです!よろしくお願いします!
吉美駿一郎(よしみ・しゅんいちろう)
空を飛ぶ船があらわれ淹れたての紅茶を置いて甲板に出る
BFCで短詩型と出会った。以後、現代川柳の川合大祐さんのお話を聞いたり、フラワーしげるさんの短歌講座に出席したりした。そこで学んだのは、文字列と文字列との距離が遠い場合に詩が生まれるということだ。この物差しは小説にも適用できる。例えば雛倉さりえの「森」は、〈最近、あたしたちのクラスで森を飼うのが流行っている〉と始まる。「森」を「飼う」という語の並びは極めて詩的であり、理解できないテキストであるはずなのに、私たちはどうしようもなく惹かれてしまうのだ。
※『SFアンソロジー新月 / 朧木果樹園の軌跡』に川柳を題材にした「盗まれた七五」が収録されています。
冬木草華
私の言いたいことは応募原稿に詰め込みました。
すべてを飲み込んでください。私はそれを受け止めます。
紅坂紫(こうさか・ゆかり)
ブンゲイファイトクラブに関わったすべてのことばが、世界を変えうると信じています。
千里塚直太郎
追加募集を見て軽い気持ちで応募したら、ジャッジをつとめることになりました。ブンゲイファイトクラブについてほとんど知らず、そんなので何をどうジャッジしたものか。わからないのでとりあえず映画の方の『ファイトクラブ』を見直しました。
なるほど。そういうことですね。
殴り合いをしましょう。ファイトしましょう。ジャッジという立場ではありますが、そこがファイトクラブである以上、自分にもファイトに加わる義務があるはずです。
ファイターでもジャッジでもお構いなしに隙あらば飛びかかっていきますので、どうぞ遠慮なく殴りにきてください。
田島一五(たじま・いちご)
右も左もわからない新参者です。素敵なブンゲイがたくさん読めると聞いて参加しました。言うまでもないことですがジャッジは採点という暴力装置を与えられただけの一読者です。その判定は絶対的なものではなく個人的意見にすぎないゆえ、ファイターの方にもジャッジをジャッジする権利が与えられていると聞いています。しかしながら、それで採点がくつがえることはないでしょうから、暴力装置の責任を感じつつ、マスクをしていない佐藤天彦九段に「反則負けではないか」と指摘する永瀬拓矢王座のような強い気持ちを持って臨みたいと思います。よろしくお願いいたします。
小山内 豊(おさない・ゆたか)
初参加です。
ウェブ上で文芸サークル、イベントなどに関わってきました。この数年は仕事が忙しく遠ざかっていましたが、環境が変わり、創作の楽しさを再発見しているところです。
文芸作品の評価、ジャッジということで貴重な機会をいただいたことに感謝するとともに、誠心誠意取り組んでいく心づもりです。よろしくお願いいたします。
サクラクロニクル
イグナイトファングマンは死んだ! もういない! だが必ず第二第三のイグナイトファングマンが現れ、ブンゲイファイトクラブマンとしてジャッジを行うだろう。それはもしかしたら画面の前のキミたちかもしれない。さあ、ブンゲイ素人相手にどこまでやれるか見せてみろ。
イグナイトファングマンは2022年10月19日生まれの天秤座。イグ78星雲出身。必殺技はイグナイトファング。ちなみにブンゲイファイトクラブマンは2021年11月2日生まれの蠍座。オリオン座を作ったのは自分だと称しイグナイトファングマンと相打ちになった。あの空のどこかにふたりはいまも生きている。そんな気がするのは私だけだろうか。
夏川大空
note『大江健三郎と「晩年の仕事を読んで』が150pv、グーグル検索順位一ページ目になり、これを校正してジャッジ文に応募したら受かっていました。
小説を書く方は2017年ごろ書いたなろうの『誰かを待ちながら』およそ一万PV自己記録が今だ抜けないで基本noteも二桁PVです。
私のことは、六枚道場でご存じの方もいらっしゃるかと思います。
目立たないふつうの女ですが純文好きとして楽しく読ませていただきます。よろしくお願いいたします。
またフェミニズムにはちょっとだけ知見があり、その観点からもしばしば批評しますので、どうかその辺りご理解をお願い致します。
岡田麻沙(おかだ・あさ)
読むという行為には、閉じていくことと開いていくこと、どちらもが含まれている。だから書かれなかったものにも意味がある。マルセル・デュシャンの『泉』が「便器」であるのと同時に「問い」であったように。作品の手触りと、それが指し示す外部について、いずれも見落とさぬ読み手でありたい。
嶌田あき(しまだ・あき)
人生初のBFCにウキウキしてます。
小説をふくむ文芸は文章に意味はなく、それが読者の脳内で像を結んで初めて価値が出る。そこが一番の魅力だと思います。つまり、目に見える文章は作品の一部に過ぎず、作品は読者の中で完成するわけです。なので書評というのも、そこまでふくめて評価すべきようにも思えます。そう考えると、読者であるジャッジまでもが評価に曝されるBFCは、実は至極まっとうなのかもしれません。というわけで、私の脳内でズレて像を結んでしまうかもしれない作品には先に謝っておきます。嶌田ずれてるぞ、とご指摘ください。私の「読み」は人様とはズレていることうけあいですが、どうぞよろしくお願いいたします。
白湯ささみ(さゆ・ささみ)
生まれついてのジャッジは存在しません。開幕時点では、6つの作品とただの読者がいるだけです。ランダムに提供される文章を味わい、咀嚼し、吸収する過程の中で読者はジャッジに進化します。自分が強いか弱いか、何属性かもまだわかっていませんが、食わず嫌いだけはしないと誓います。一文一文いただきます。
淡中圏(たんなか・けん)
ハロルド・ブルームは『カバラーと批評』という、カバラーの理論を批評に応用する不思議な本で「個別の小説を読むことはできない。読むことができるのは文学史のみだ」というようなことを言っています。作品を読むとはその作品だけでない参照作品の連なり全体を読むことだということです。しかしそんなものを読む能力を我々は持っているのでしょうか? 私はブルームに付け加えて「文学史を読むことができるのも、また文学史のみだ」と言いたいです。そうすると文学史ではない私は読む側としても読まれる側としてもなんなのだろう、という疑問が湧きます。この疑問を持って抱負の代わりとさせていただきます。よろしくお願いします。
子鹿 白介
子鹿白介(こじか・シロスケ)と申します。 小説投稿希望者に整理券が配布されるインターネット文化圏から、私はやって来ました。 そのBBS(電子掲示板)では皆が主催者から整理券を配られ、取り決めた順番で小説を書き込み、互いに読み交わし、感想をつけ合い、一巡したのちには人気投票がおこなわれ、ストーリーとキャラクターの順位が発表されました。 あの頃から私たちが競っていたのは、文芸者(武芸者みたいな造語)としての『強さ』だったのかもしれない――。 約二十年前に参加していた営みの、いわば最新版であるBFCに荷担することが叶い、勝手に感慨深くなっています。 願わくば、善きジャッジとして最後の決着までご一緒できますように。
冬乃くじ(ふゆの・くじ)
批評の体をとりながら、自分語りをする評者はいらない。評者は作品のことだけを考えろ。何を描いているのか、何故描かれたのか、どんな人たちにとって意味があって、この作品が存在することでどんな未来がひらかれるのか。その態度こそが、作品の評価を預けてくれたファイターたちに対して、最大限に誠実であるとわたしは信じる。
ときのき
勉強のため、論じることで自分に返ってくる物があると信じて、ジャッジに応募しました。 かなうなら、結果として批判することになったとしても、ファイターの方々が次の作品を書く際のモチベーションにつながるような文章を書けたらと思っています。 能力の及ぶ範囲で、読み、論じるつもりです。 よろしくお願いします。
紙文(かみかざり)
2019年『第1回ブンゲイファイトクラブ』で観客デビュー。その後、オンライン文芸サークル〈六枚道場〉の設立に関わる。21年は『第3回ブンゲイファイトクラブ』にファイター枠で出場するも1回戦敗退。特徴的な語尾「~なのだ」による痛々しいキャラ付けと、現実世界には決して姿を現さない徹底したひきこもりっぷりで一部には知られている。
笛宮ヱリ子
書かれた一語一語が不可欠な細胞となり、それらが連続して文を成し、やがて文と文の狭間や連なりの中に現れたり潜んだりする偶発的かつ必然的な景色を、曇りなく見つめられる読み手でありたいと願います。
そして、優劣をつけるという行為は、権力の発動の1つだと思います。権力は適正に運用されない限り、誰かに傷を、場に暴力を生み出します。そのことに対して、最低でも自覚的でありたいと願います。
未熟者ですので、今は願うばかりです。
虹ノ先だりあ
本気でなければかわいくなれない。選ばれたファイターはみ〜んなかわいいです。それに劣らずかわいいジャッジになりたいな。よろしくおねがいします。
白髪くくる(しらが・くくる)
難しいことはよくわかりませんが、折角のお祭りを楽しんでいこうと思います。
ゼロの紙
「お気軽にご応募ください」の一言に誘われて
どうやら、ここにいるようなのです。
いつ何処にいても所在なげなわたしですが。
いっそのこと早めに斬って頂いた方が気が楽だと
思っている自分もここにいます。
大昔に『ゼロ・ぜロ・ゼロ』という歌集を上梓し
たことがあるぐらいです。もうここから何かが始
まっていると感じつつ。一生懸命拝読したいと思っ
ております。どうぞよろしくお願いいたします。
スケジュール
ファイター・ジャッジ発表 10月28日(金)11時
1回戦作品発表 10月30日(日)11時
準決勝ファイター発表 11月8日(火)11時
準決勝作品発表 11月13日(日)11時
決勝ファイター発表 11月17日(木)11時
決勝作品発表 11月20日(日)11時
決勝結果発表 11月27日(日)11時
スケジュール詳細版
10月28日(金)
本戦ファイター24人の名前を発表 11時
ジャッジ24人の名前を発表 11時
10月30日(日) 1回戦24作品発表 11時
ファイター24人をABCDの4グループにわける。
ジャッジ23人を4グループにわけ、ABCDに割り当てる。
ジャッジのファイターにたいする「勝ち点、5段階採点、感想・評」は自分が担当するグループのみです。採点は5段階、評枚数は400字詰め原稿用紙2枚~5枚程。
※グループ最上位のファイター4名が2回戦に進出。
11月8日(火) 準決勝ファイター発表 11時
11月13日(日) 2回戦4作品発表 11時
ファイターは自分のグループ担当の6名のジャッジの勝ち点、採点。採点は5段階、評枚数は400字詰め原稿用紙0・5枚~2枚程度
グループ最上位のジャッジ4名が2回戦に進出。その4名のジャッジにファイター4名中の1名の勝者決定と採点と評を依頼
※上位2名のファイターが決勝に進出。
11月17日(木) 決勝ファイター発表 11時
11月20日(日) 決勝2作品発表 11時
ファイターはジャッジの評を読み、1名に勝ち点をつけ、5段階採点。 得点上位のジャッジ1名に決勝2作品勝敗と評を依頼。
11月27日(日) 決勝結果発表 11時
採点の仕方
ファイター、ジャッジを審査するにあたってはふたつの要素を組み合わせて行っていただきます。
勝ち 誰がつぎのラウンドに進むべきかを指名します。
採点 5段階で採点します。
勝ちが多い者がつぎに進みます。勝ちの得点が同点の場合のみ採点で決めます。それで決まらない場合は当該のファイター、ジャッジ全員で再投票とします。
決勝結果発表の日には打ち上げを行う予定です。
主催 惑星と口笛
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