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「街に個性がない」はダメなことなのか

「日本の郊外や地方は、街に個性がない」と言われる。

片側2車線の大きな道路。
洋服の青山の大きな看板。
大手寿司チェーン店と広々した駐車場。
ホームセンターやガソリンスタンド。

これは、私の地元の風景を描写したつもりだけれど、
この数行を読んで「うちの地元だ」と思う人も多いのではないかと思う。

私の故郷は、いわゆる「個性がない街」である。

昔は、つまらない街だと思った。
でも今は、懐かしい街だと思う。

それは、ちょっと友達と知らない地方都市へ行った時にも感じる。
初めて来たのに、懐かしい。
大きな道路と全国チェーンの路面店がのっぺりした距離感で広がっている。だからこそ感じてしまう郷愁がある。

「個性がない街」は好ましくない、と言われがちだけれど、
そんな「個性がない街」を訪れて感じるこの懐かしい気持ちは否定されたくないと思う。



街にも、トンマナがあると思う。

【トーン&マナー】
デザインやスタイルに一貫性を持たせるルール

Infinity-Agent Lab

銀座なら「高級感ある個性的な形の建物が並ぶ道々」とか、
新大久保なら「韓国屋台や雑貨店が並ぶ雑多な雰囲気」とか。

ある意味「個性がある街」とは、トンマナが明確な街なんだと思う。

そこで思う。
街には、必ずしもトンマナが必要なのか?

デザインの仕事をする時、ターゲットを明確にして、そのターゲットに価値を届けるために、トンマナを決める。
ということはつまり、トンマナを決めることは、明確に「ターゲットではない人」も決めることになる。

街は、それでいいのか?

個性=トンマナがあることで、誰かを排除することにならないか?

グランドレベルの田中元子さんが、喫茶ランドリーの家具選びのときに「凡庸なものだけを選ぶことにした」と書いていた。
誰も排除しないためにトンマナを意図的に排除する。
素敵な考え方だと思う。



そうやって考えていくと、
「個性がない街」は「居心地がいい街」なのではないか?

目が肥えてしまった人にとっては刺激がない街に映るかもしれないけれど、刺激なんかいらないとき、とにかく肩肘張らなくていい場所に行きたいときに、「個性がない街」はありがたい存在なんじゃないか。

年末やお盆になると、「個性がない街」に帰りたくなる。
定期的に帰って、ふ〜と一息ついてまた頑張りに向かいたくなる。
私の故郷よ、一生「個性がない街」であってくれ〜!

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