夏みかん

タイトルは何も関係がないです。

何か文章を書いてみたいと思ったが、頭の中が妙に白いのに黒い靄のようなものが発生してしまっていて、テーマを絞って纏めていくことは不可能だと判断したので思いつくままに書いていきたい。

と書いた先にさっそく手が止まった時間があった。

私は自分が何を思っていて何を考えているのかがあまり分っていない節がある。
文字というものも苦手なほうで、いつも何かを考えてはいるのだが、かなり抽象的に考えているというか文章化して確定させていくのが難しいというか、フィーリング感がある。
他人に何かを伝えたいと思っても、言葉にすることが難しい。
何とか言葉を絞り出せても、言い回しが独特なのか伝わらないこともかなり多い。

寂しさ、がある。
伝わらないこともそうだし、そもそも感性が一般的じゃないのか共感・理解されないことが多く、1人でいることよりも他の人間の中にいることのほうが孤独感を感じてしまう。
1人で何かをするのは好きだ。
1人で何かをするのが好きだ。

でも何処か言いようのない寂しさを感じてしまって、毎日どこか苦しい。

友達ができたらいいなと思ってSNS等で交流を試みては、人間という刺激の強さに疲れ果て逃走したり、納得のいかないことを飲み込むことができず揉めてしまったり、そもそもコミュニケーションに対して興味が持てなくて話が続かなかったりとかなり難航してしまっている。

主治医に、友達を作りたいなら期待しすぎないように人と接しろと言われていて、それはとてもとても分かるんだが、
そもそも期待が発生しないようなコミュニケーションに面白さなんてないだろ、と思ってしまう。

最近はひたすらに音楽を聴いている。
音楽は、寄り添ってくれるというよりも自分が自分と向き合うためのツールとして使っている気もする。
感情・思考が音と混ざって可視化しやすくなるように感じる。
自分が何を好きなのか、自分が構成されるものは何なのか、イマイチ分からないけれど、音楽は好きであると言えると思う。(思う)

話は変わるが、私は私が2つに割れている感覚がある。
これは昔から感じていたが最近明確に分かるようになった。
この2人の意見が一致しなかったときにどうにもならなくなってパニック状態になっているのだと思う。
なるべく仲良くするように最近はイメージを強く持っている。
このイメージの話は何か物語化して書けたらいいななんてことを考えている。
そんなことを考えながら暢気にほわほわっと生きていると、急に2人が喧嘩を始めて私はおろおろするのであった。
(このおろおろする”私”が存在しているのなら3つに割れているということになるのだろうか?)

おろおろする、なんてかわいい表現をしたが実際は絶望の海に落とされたような気持ちになり、こんなことになるのならもう全てを終わりにしなければならないと首を吊りそうになる。
死にたいんじゃなくて、死ななければならない、と思うことがある。

昔と比べたらおおむね元気だと思います。
自己理解が上がって生きることに前向きになった。
それと引き換えに人付き合いは昔より絶望的になった。

幸せとは何なのかを考える。これに絶対的な答えはないと思います。
答えのないものを考え続けることは興味深い。

人間ではない何かとして生きていたい。


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