遺書

やあ、君がこれを読んでいるということは僕はもう死んでいるんだね。
春になって、お日様が暖かくて、風が気持ち良くて、これを書いている今もとても気分が良いよ。
何故死ぬことにしたのか、気になるよね。
生きる理由が無いとかそういう訳ではなくて、人々が生きることを当然だと思うのと同じように死ぬことが当然のように感じたので死を選んだんだ。
人生を振り返ってみて思うのはなかなか悪いものでは無かったということ。
親とは不仲だったし、友達もあまり居なかったし、特別な何かを成し遂げた経験も特には無かったけど総合的に見て楽しかったんだ。
君との思い出もキラキラして、っていうとちょっと臭すぎるけど、たくさん笑って、たくさん して、本当に本当に大切で、幸せな時間を過ごせたと思っているよ。
それでもね、僕の何かはずっと空っぽで、何をしても満たされなくて、地獄から這い出る手が僕の足首を掴んでずっとずっと離さないんだ。
僕が死んだことを悲しむ人もきっといるだろうね、君もそうだよね、ごめんね。
生きてれば良いことあるとか、死んでしまったら何も無いんだよとか、人々は皆死ぬことを止めると思うけど、そんなのエゴだよね。
でもさ、エゴでも良いと思うんだよ、みんなはみんなでそれぞれのエゴを、僕は僕のエゴを通しただけ、それだけだよ。
他人の気持ちを考えろって、他人に思いやりをって、自分を大切にしなければ他人を大事になんて出来ないよって、自分を大事にするって、他人を大事にするって、なんだろうね。
僕は僕を大事にしたかったから、これを選んだ。
桜の花びらが散って、風でゆらゆら揺れるのを見て、綺麗なんだけれど、何か得体の知れない感情を抱いた。
喜びとか悲しみとか怒りとかそういうのが、感情が複雑化されることでどんどん分からなくなっていくことに怖さを感じる。

僕を罪人だと思って、恨んで、忘れて、君は毎日を楽しく生きていってください。
今までありがとう、とにかく毎日楽しかった。

僕は人生を恨んでる。

4月27日 山田太郎

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