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教えてくれ、レヴュースタァライト

レヴュースタァライトは呪いだ。2021年、劇場で初めて観て以来、我々は呪いにかかった。帰り道の電車が怖くなってほしい?トマトを見て思い出してほしい?そんな生ぬるい呪いじゃない、あんたの作った映画で日常全てがスタァライトになっちまったんだよ、TOPPY。

半年も経てば解放される、そう思っていた。しかし、現実、同じ映画を何回も何回もひたすら観ている。

どのレヴューが1番かと言われたら即答できるくらいには「最後のセリフ」がずば抜けて好きだ。

手紙の燃焼シーン、愛城華恋という少女がこれまでにこぼしてきたであろう可能性を想像して震える。神楽ひかりのこれまでで最も強気な口上に合わせたライト、それが、難解な表現が続く中で一番シンプルで明快で単純にあの「光」だと見せられたあの瞬間、脳内麻薬が溢れる。

でもやっぱり、最後のセリフである。劇中では2回目の「貫いてみせなさいよ、アンタのキラめきで」、惹かれて、眩しくて、悔しくて、見惚れて、奪われて、全てを内包した「貫かれる」というワードに痺れる。後の静寂、微かな華恋の吐息に息を呑み、「私もひかりに負けたくない」。言えたじゃねえか。何度観ても鳥肌が立つ。こんな異常で気持ちいい映画があるか??

何回目の観劇の後かは忘れたが、あの夜、折れる剣が華恋のモチベーションからの分離のメタファーだと気付いた時、脳汁がドバドバ湧き出た。かつてアニメを観てこんなに震えたことは無かった。

劇場で観ていると、上映後に拍手が起こることがあるが、本当は、ひかりの「ポジションゼロ」で特大の拍手がしたい。レヴュースタァライトはあそこで終わり、そう思っている。



初監督、Bの美少女コンテンツというフィールドで、特大逆転ホームランを打つことを諦めず、そして自らだけでなくその姿勢を伝搬させていった古川監督を本当に、本当に尊敬している。そもそもこの令和の時代に新たなアニメーション監督を崇拝できること自体が奇跡であると言っても過言ではない。90年代、A崇拝をリアルタイムでしていたオタクたちが本当に羨ましかったから。

だが、おやつの時間はもうすぐ終わる。たった一つのコンテンツをひたすら咀嚼し続け、インタビューすらも食べ尽くした。飢えて渇いた我々に、次の果実は見つけられるのか。それはラブコブラなのか、或いはまた別の、それぞれの舞台、まだ見ぬ戯曲、未知なる運命なのか。教えてくれ、レヴュースタァライト。

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