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大場ななはオタクだ

大場ななはクソオタクである。

①オタクはカウンターに弱い。一番しょうもないと思っていた物の意外な一面に見惚れてしまうと一生忘れられなくなる。我々観客も大場ななの真の姿に度肝を抜かれた。なんだかふわふわした声、謎の髪型と名前、ソシャゲの星1キャラみたいな大場ななのことをこんなにも好きになってしまった。そういえば、大場ななをラスボスとして消費せずに、一人の舞台少女として救ったことも作品としてのカウンターだった。

大場ななも星見純那という舞台少女のオタクである。大場ななは星見純那に巨大なカウンターを打たれている。ななにとって星見純那は、哀れな親友だったんじゃないだろうか。あがいてもあがいても1番にはなれない、いつか折れてしまう、だからこそ友達として守ってあげたかった。そんな哀れみを感じていたから、大場ななは巨大なカウンターを打たれた。

一番哀れだった星見純那に救われた。星見純那は哀れな存在なんかではなく、誰よりも努力家で、高い志を持っているということに度肝を抜かれた。星見純那の今の表面ではなく、これからの変化を見たいと思った。これからまで観たくなるなんて、やっぱりオタクじゃないか。


②オタクはすぐ飽きる。あんなに面白いと思っていたコンテンツも、気付けば追わなくなっている。ハマった時の思い出は無限に見るのに、新作は追わない。それは、成長していないことに失望したくないから。そして、思い出にすら飽きてしまったら、あれこれ理由をつけて、推しは死んだとか言う。

「キミシニタモウコトナカレ」というのはつまりあの時が一番輝いていて、今は落ち目だから死なないで、ということである。あまりに傲慢だ。そう思うならぼやく前に早くその星見純那というコンテンツから離れなよ。ほら、オタクじゃないか。

ということで、狩りのレヴューは大場ななの一方的なクソデカ感情に困惑した星見純那が説教をする、という一方的な構図であり、苦戦こそしているが、結果的には100-0の試合だったんじゃないだろうか。なので、個人的には、星見純那大学進学説を推していきたい。

結論:
我々が大場ななに惹かれるのは現代のオタク感情を大場ななに重ねているからである。となれば我々も見つけなければならない、自分だけの星見純那を。

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