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すべてを記憶するということ

先輩と、利尻島での壮絶なリゾートバイトの体験記をnoteで高額で売り捌いているガクヅケ木田さんのトークライブに行ってきた。もちろん利尻の話100%である。聞き手は牛女の佐野さん。なぜかというと、木田さんが出稼ぎに行った利尻の旅館とは佐野さんの叔父が経営する旅館だからである。

佐野さんがチケットの精算や案内をしてくれるのだが、異様に腰が低く丁寧かつあの風貌なので、変な汗が出た。開場時点で利尻富士がどうのとか、あるいはお金がどうとかいう歌詞の曲が延々と流れていて怖い。曲を流しているiPadは木田さんがいじっていて、ぶつ切りにしてどんどん別の曲に変えていくのも気持ち悪い。

トークライブ自体も、まず木田さんが利尻noteでいくら"かたちにした"かを公開し、佐野さんにもトークライブでいくら"叩いた"かを言うように促し、会場をアジっていく。セミナーである。そういうnote成金のセミナーを枠物語に、利尻島での一ヶ月を詳細に語っていくのだ。

まず記憶力がすごい。時系列もちょっとした細部も驚くほどよく覚えている(知らない人には伝わらないだろうが、思い出せなかったのは「どうだい?」という言いまわしくらいだった)。そして登場人物の言動を憑依したように再現する。訛りの強い老人や料理人、やはりどこかから毎年働きに来ているとおぼしきおばさんなど、驚くほどリアルに演じ分けていく。もともとコントでいろんなキャラクターを演じているわけだけど、その持てる技術すべてを注ぎ込んだような凄まじい語りだった。

そもそも語られる状況自体が異常。ママタルトは木田さんに原因があると言い、一方で木田さんは被害者だと言う人もいるだろう。木田さん視点の話しか情報がないので、誰が悪いというようなことはもちろんわからないのだが、個人的な印象としては全員で作り上げた地獄という感じだった。絶海の孤島に閉じ込められ、長期間休みなしで働き続けているような人たちしかいないので、たぶんそもそもかれらも普通の精神状態ではなかったのではないか。木田さんの克明な語りも、はたしてどこまで鵜呑みにできるのかわからない。

とにかくリゾートバイトのやばさが濃縮されたような話なのだが、それが見事に笑いとして成立しているのがさすがだった。全部おもしろかったし、はじまる前は非常に気が重かったが行ってよかったとはおもった。だがほんとうに笑っていいようなことなのか? わからない。

先輩と駅まで歩きながら話して、帰って、朝になって、また働きながらぼんやり考えていた。

ふつう精神に備わっている防衛機構として、忘却というものがある。だが苦痛に満ちた体験を逐一記憶してしまう、それを忘れることができない、そして駆り立てられるようにそれを繰り返し繰り返し再現してしまう、かつそれがエンターテイメントとして成立してしまうというのはどういうことなのだろう。まさに不幸なる芸術・笑の本願ではないのか(柳田が書いているのはそういうことではない)。そんなことを考えていた。

ところで利尻noteは買ってないし、買うつもりもない。気になる人は今後もしつこくトークライブをやるそうなので、そちらに行ったほうがお得だとおもう。

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