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「持ちつけないお金」の上限を上げる方法について、バカなりに考えてみた。


このエントリは、自サイト、「地蔵計劃」に掲載されたエントリです。
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【定額給付金が(やっと)出ました】

 2020年7月1日、我が家にもやっと定額給付金が届きました。いやはや長かった! 5月29日に申請用紙が来て、丸々1ヶ月以上! 中の人達はてんやわんやなのだろうとは思いますが、いや、それにしたって……これ、本当に困っている人は、間に合わないヤツですよね。

【もらうまでの精神状態と、もらってからの精神状態】

 TwitterのTL上では、「給付金キマシタワー」の報告の嵐。申請書を郵送して1週間、2週間、3週間……待てど暮らせど入金される気配がありません。総務省さんは、「申請から約2週間ほどで支給されます」なんて言ってたのに……。
 支給されるまでの期間は、ずっとそのことが頭から離れず、「何を優先的に買うか、どういう買い方をすれば、各種ポイントがより多くつくか、そのためのお金の回し方」等々を、毎日毎日計算しまくっていました。1人10万円。我が家は夫婦2人世帯なので、20万円もの大金が支給されるわけで、爪に火を灯す……というほどではないにせよ、寝食に困ることはないものの、大きい買物はそうそうできない日々を送っているので、細々とお金をためて買う予定だった購入予定品を、一気に購入しきれる大チャンスなのです。
 毎日毎日、「今日はまだか?」と思いながら、1日になんどもポストを開け、ゆうちょの口座をオンラインで確認してはため息をつき、生活費の動きがあるたびに、計算をし直して……睡眠も浅くなりがちで、今になって振り返ると、結構ヤバい精神状態だったと思います。

 さて、そんな日々を繰り返し、色々とぱっつんぱっつんになったまま、6月も後半になり、購入予定だったものの一つが値上がりしたりして、「竹書房ゥア゛ーッ!!」となっていた4日後、我が家にもやっと諭吉様20名様をご案内することが叶いました。

 そこからは早かったです。リストアップしていたものをガンガン購入し、たった2日でキレイに使い果たしました。これはこれで、待っている間とは違うタイプの異常な精神状態だったと思います。事前に買うことは決定しており、1円単位に至るまで計算していたものなので、そりゃ当然ではあるのですが、ガンガン買っているときの感覚に、「懐かしい違和感」を覚えたんですね。
 それは、ボクが借金に溺れまくっていた時代。湯水のようにとまではいかないものの、自制の効かない買物欲に振り回されていた頃のあの感覚。お金を使うことで得られるカタルシスでした。数年ぶりの「持ちつけないお金」を消費する快楽が、間違いなくありました。そして、同時にボクは、親父殿のことを思い出していました。

【思っている以上に、人はお金で狂う】

 父方の祖父が亡くなったのは、ボクが親父殿の借金を肩代わりした母者の借金を更に肩代わりしていた頃のことでした。この時点でツッコミどころ満載なのですが、本人以外に支払い義務はないことを、頭では理解していたものの、感覚的に忌避していたことや、「自己破産だけは絶対に避けなければならない!」という謎の危機感で、債務総額が200万円程度(それでも叔母からの援助で200万円程度減らせていた。元々は400万円程度)だった頃でした。勘当同然で東京に出てきて、実家とは断絶していたた親父殿の分け前は、300万円でした。当然自分がこしらえた借金減らしに充当するかと思っていたのですが、親父殿は、「オレの金だ」と主張し始めました。まぁ確かに、遺産相続人は親父殿ですから、親父殿のものだと言われればそうではあるのですが……侃々諤々の末、「100万円ずつ山分け」ということになりました。
 ボクの分は、借金払いに充当してキレイになくなりました。母者は……どうしたのかはわかりませんが、いつの間にか使い切っていたように思います。親父殿もまた、何に使ったのかわからないまま、キレイにすっからかんにしてしまいました。使いみち云々より、ショックだったのは、親父殿の「オレの金だ」という言葉でした。いまでもあのときの、目の色を変えた親父殿の顔を思い出します。いうて、たかだか300万円。その程度のお金で……お金については全く信用していなかった親父殿でしたが、ボクが更に精神的な距離を置くようになったのは、その頃からでした。一言でいえば「ドン引きした」のです。

【「持ちつけないお金」で散財をしない方法】

とはいえボクも、人のことを言えたもんじゃない。今回の特別定額給付金は、1人10万円という額。だというのに、たったそれだけのお金で、1ヶ月間まんじりともしない日々を過ごしてしまったというのは、結局同じ精神性だと思うのです。
 でも、思い返してふと気づいたんですよ。10万円、ちゃんと持ててたときもあったな、と。
 そういえばボクは、自己破産後のこの生活が始まって、お金は一切借りられない。健康で文化的な最低限度の生活の中でやりくりをしてMacを2台買ったんですよ。

この違いってなんだろなーと考えてみたら、降って湧いたお金ではなく、自力でコツコツ貯めたお金だったこと。「なぁんだ、そんなの当たり前じゃん!」と言われてしまうかもだけれど、ボクにとっては、当たり前じゃなかったんですよね。
 19歳ころから母親のカードの家族会員になり、成人後は自分でカードを作りました。最初の頃こそ、欲しいものの金額まではお金のストックを用意してからカードで買う、なんてことをしていましたが、大きなお金を複数使い始めると、もう止まらなかったです。買うだけ買って、さらに足りなくなればリボ払い。親のことなんて、1ミリも言えないマネーリテラシーのなさでした。
「お金を貯めると欲しいものが買える」こんな当たり前のことが、ボクにとってはビックリするような出来事だったんです。
 今のボクは、経済的には相対的貧困状態ですが、やりくりをすることで、ある程度欲しいものが手に入れられています。自己破産前、支払いに汲々としていた時代に比べ、豊かにさえ思えています。
 欲しいものがある→お金を貯める→買う
 という、シンプルなこのサイクルを守れていない/いなかった人って、ボクだけではないような気がするんですよね。

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