超訳「学問のすすめ」初編-2

 勘違いしちゃいけないんだけど、「学問」ってのは何も難しい古文だの和歌だのが読めたりするだけの、実のないものを言うんじゃないぜ?

 文学とか詩歌ってのもさ、まぁイイもんだとは思うけど、昔の中国の儒学者だの日本の和学者だのが言うほど、さほど意識高い感じでもないと思う。

 だってさー、漢文読みが上手いってのとモテるってのはなんかリンクしないような気がするし、和歌が詠めるってんでソレが故に商売が上手い、ってコトも、まぁないじゃん?

 だから百姓は、子供が下手に「学問」なんてヤツにかぶれっちまうと、身を持ち崩すんじゃねぇかと心配しちまうのさ。いや、無理も無いとおもうぜ。大体「学問」って呼ばれるもんはさ、実用には乏しい、って証拠だよな。

 だから今必要なのは、そういう実のない「学問」じゃなくて、日常に使える、人間の日常に近い実学だよな。読み書きは当然、メールの書き方とか経理とか、あと機器の使い方な。そういうのを心得つつ、日々学ばなきゃならないもんも目白押しなワケだ。

 地理学ってのは、日本だけじゃなく世界中の風土を学ぶことだし、究理学ってのは、天地の働きを知るものだし、歴史は年代ごとの世界で起きた出来事を学ぶもの。経済学は、一家の家計から国家予算まで、経済ってものを学ぶものだし、修身ってのは、自分の行いを見なおしたり処世の為のガイドラインだったりだよな。

 これらを学ぶのに、西洋の翻訳書を参考にするわけだけど、まぁ大体日本の仮名で事足りるよ。英語おkなヤツは、まぁガンガレ。実利をキッチリ押さえて現代の実際の生活にフィードバックさせるのさ。

 この実学ってヤツぁ、金持ちもビンボー人も、身分の高いヤツも低いヤツもみんなそれぞれに学んでおくべきだと思うんだ。コイツを学んだ上でサムライも百姓も、職工も商人も、それぞれの領分でそれぞれの稼業を頑張ることで、自分も、家も、国も、『独立』ってヤツを勝ち取ることができる。

 学問をするにゃ、まずは身の程ってヤツを見極めることが大事だ。人間生まれながらに何にも縛られず、男は男、女は女、自由は自由なんだけど、だからって自由だけをことさらに唱えて身の程ってモンをしらなきゃ、ただただワガママと放蕩に陥ることになる。『身の程』ってのは道理と人情に従って、他人の人生の邪魔をせず、その上で実現された自由な自分、ってのかな。自由とワガママの境目ってのは、他人のジャマをするかしないかにあると思うんだ。例えばさ、自分のカネ使って酒や女に耽るみたいなのは個人の自由じゃね? って思うじゃん? いやいや、そうじゃあない。一人の放蕩は、色んな人の悪い見本になっちまう。しまいにゃ世間の風俗を乱して、他人の学びの邪魔になる、費やすカネはその人のものかもしれないけど、社会に対する悪い意味でのインパクトがデカイし、罪は大きいわな。

 でさ、自由・独立ってのは個人だけの問題じゃなくて、国の問題でもあるんだ。

 俺らの日本って国はさ、アジアの東の端っこの島国でさ、昔は外交なんてほっとんどしてなくて、自国の産物だけで衣食住賄って、まぁさして不便も感じてなかったんだけど、嘉永の頃にさ、来たじゃん? アメリカ人。そっから外国との交易が本格的に始まったよね。開港した後も色々と議論もあってさ、『やっぱ鎖国して敵ヌッ倒さなきゃダメじゃね?』とかオラついたこと言ってる奴らもいるんだけど、ちょーっと視野が狭いっつーかさ、『井の中の蛙』って感じだよな。

 日本だろうがヨーロッパだろうがさ、おんなじように太陽が登っちゃ沈み、おんなじように月が登って、海だって空気だっておんなじじゃん?

 だったらさ、お互い余ってるものは向こうに渡したり、向こうが余ってるもんがあるならウチに融通してもらったりしてさ、お互いに教え合ったり学び合ったりして、卑屈になることも増長することもなくさ、フラットな感じでお互いつながって幸せになろうず、って思うわけよ。

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