note始めました

オズワルド 伊藤

我々オズワルドは、というか特に自分は、とにかく新しいコンテンツに対してなにをやるにしても腰が重い。うちの社長(畠中)は割りと柔軟なんだけども。
ずーっとM-1に出たくて、今では本気で優勝もしたいなんて思っちゃってるし、どう言われようがTVが最強だと思ってる。全然出たことないけども。だって憧れてたし。
TVラジオ舞台など以外のコンテンツに疎いしダルいしやりたくないと思ってた。YouTubeもnoteもその他諸々も。
だから、奇しくも今のこの漫画みたいな現状に背中を押されてYouTubeもnoteもやり始めてる自分に自分が1番驚いている。コロナのおかげなんて、一族丸ごと人質にとられても言うわけないんだけど、少なくとも強制的に色々考える時間は与えられている。

というわけで諸々ありまして、note始めることになりました。僕はどこかの色白細既婚者芸人が言っていた、『お笑いがある世界』が大好きで、その中で死ぬまで生きていきたいので全力で足掻かせて頂きます。
このnoteに関しても、賛否両論あるでしょうが、ストレートに収入源になればと思っています。そもそもどれくらいの人に見てもらえるかは置いといて。
と言っても、僕のことを知っている人でも、どういう『文』を書くのかわからないと思いますので、初日の今日は唯一1度だけしっかり書いた『文』を載せたいと思います。
この世で気が向いた時にニューヨークやしきさんのみ覗いているらしいというよしもとブログにあげさせて頂いたものです。なかなかのお涙ちょうだい話に見えるかもしれませんが、noteに載っけるくらいなので軽ーい気持ちでどうぞ

誰しもが、『誰かに話したいわけでもないけど自分の中だけに留めて起きたくない話』というものを持っているはず。もやもやしているわけでも、またはどなたかの意見が欲しいなんてもんでもなく、ましてや誰かの心に突き刺さって欲しいなんてこともなく。
ただただ浄化させることの出来ない話。それが自分にとっての『父親が死んだ話』である。
よしもとコラムには、とんでもなく失礼だが、誰が見てるかもわからないし、誰も見ていないかもしれないくらいの丁度良さがある。だからこその『父親が死んだ話』。

 小学校を上がる頃には父とは一緒に暮らしていなかった。父は弾けたバブルに流されて、残ったのは母と自分と二人の妹。そこへ叔母が参戦したのが現在までの伊藤家のスターティングメンバー。
母はよく『あいつはバブルが終わったことに気づいていない』と、絵に書いたような調子こき男であった父を揶揄した。今が楽しければと、周囲に後ろ足でコンクリート削れるほど砂を撒き散らかした父のお陰で、常人ならしたくても経験出来ないような修羅場を潜らされてきた母からしたら余りある言葉である。
要するに稀代のぽんこつ親父。海賊並に酒を呑み、明日も生きていかなければならないということを毎日忘れているかのような日常を過ごす男であった。とにかくトラブルが多く、世の中には普通に生きれない人がいるもんだと最初に感じた人間でもある。
ただ唯一の取り柄はとにかく面白い男であったこと。本当にそれだけ。それのみで生きてた。
だから別れていても、ろくでもなくても、父のことは嫌いじゃなかった。大学に通っていた頃、知らない番号からの電話。『今追われてるからうちに帰れない。着替えがないから届けてくれ』と、数年振りに息子に掛けてくる電話とは思えない電話がかかってきても、駅まで届けに行ったがお金がなくて改札から出れない父親の姿を見せつけられても、嫌いじゃなかった。面白かったから。
ただそれは父親としてではなく人として。父親としては正直自分でもわからなかった。父親としての材料が少なすぎたから。

 六年振りに父に会ったのは去年の夏だった。再会の場は千葉大付属病院。喉頭ガンだった。老犬のように痩せ、こちら側が本気を出さないと何を言ってるか聞き取れない声だった。声を取るか命を取るかの末、命を取る選択をしたのだと言っていた。頻繁に父と連絡を取っていた妹がいなければ、声を取り、酒を取り、タバコを取り、あの時点であと15分くらいで逝ける道を選んでいたことだろう。最後の最後に家族で揃えたこと、妹には頭が上がらない。
喋ることが出来なくなっても父は明るかった。むしろ喋れない分動きをコミカルにしてきやがり、一個人としてはまた面白くなったなあと感じた。

 父が死んだのはそれから半年後。年が明けてすぐのことだった。
誰かが死ぬ度におもうことは、死ぬ時ってのは本当に電源切ったみたいにあっけなく死ぬもんだなってこと。遺体を見てもなにも感じなかった。自業自得なんてもんじゃない。やりたいようにやって最後まで楽しい人生だったろ。本当にそう思った。プラマイ付けるならギリプラな人生だったろって。
一応長男になるわけだから喪主とかやっちゃったりなんかした。喪主といってもそこはサラブレッド。売れない芸人なんて式代も払えなければ金にならない仕事で通夜にも出られやしない。幸か不幸か、ダイレクトに血だけは繋がりすぎているなあと一番感じた一日だった。
喪主の挨拶の前に棺桶に花を詰める。酒を少し顔に塗ってやる。湿らす程度に。足りねえだろうなと思ってもう少し。
涙が止まらなかった。なんだってあんなときだけ良い思いでしか出てこないもんかね。嫌いじゃなかったんじゃなかった。大好きだった。人としても父親としても。なにしてもらったわけじゃないけど。だってすごい面白かったから。

 誰にでも起こるし、舞台でも話せやしない。なにかのかたちにはなってほしかった『父親が死んだ話』。

まさかしっかりnoteに載せるとは思わなかった。
職業の枠を取っ払って、人間の特性だけ見た時、僕が人生で最初に見た芸人は紛れもなく父だった。
ああなりたいとは思わないけど、どんな状況であってもなんだか笑わずにはいられない人だった。
その血を、いい部分だけ、本当にいい部分だけ受け継いで、今のこの状況、乗りきってやろうじゃないの。それでは、一旦辞めさせて頂きます。

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