イタリアの匂い

昨日は3日くらい賞味期限の切れたプリンを食べて、悶絶するくらいの腹痛と戦っていた。
食ってる時はなにも感じずに、なんであんなうまいもん食ってこんな辛い思いしてんだと、なんとなくめちゃめちゃイイ女にも気を付けようとも思った。最初から明らかにやばそうな匂いとか見た目であって欲しいよ本当に。手出しちゃうんだからこっちは。多分また同じ過ち繰り返しちゃうんだから。あとから腐ってたとか言わないでよ。人妻だったとか言わないでよ。そんなん無しだよ。

というわけで、なにも食わずに死ぬほど寝て、今どうにかこうにかお腹に優しいもんをちょろりと頂けるくらいには回復したわけなのだが、このままだとただのいじきたない奴だと思われる可能性があるので少しだけ弁解をさせて欲しい。
30にもなって3日も賞味期限が切れたプリンを食べたのにはそれなりの理由がある。

まずなぜプリンの賞味期限が切れたのか。
何日か前、僕がタバコを買いにコンビニへ出かけた時にあのプリンと出会ったわけなのだが、しばらく食べることのなかったその姿が妙に色っぽく見えた。なんというか、久しぶりに中学生の時のあの子に会った感覚というか。
普段コンビニに行っても買おうと決めていたもの以外に手を伸ばすことは皆無なのだが、こんな状況にあるからこそ、少しの幸せを感じる瞬間を大切にしてしまうもんで、僕はこのプリンが僕の自粛生活を少しだけ明るくしてくれると信じて疑わなかった。

ただそこはお兄ちゃん。ひもだひもだと騒がれても、ひもお兄ちゃんだってやるときゃやるのだ。あいつも甘いもん食べたいだろう。
僕は迷わずプリンを2つカゴに入れた。
こんなもんで僕の3倍の家賃を払う妹からの恩恵に一矢報いることなど出来るわけがないのだが、そこは気持ちでしょと。
自分で買うより誰かにもらったプリンの方がうまいでしょと。
あるとわかってるプリンよりないと思ってたプリンの方が嬉しいでしょと。
会計を済まし、僕はB'zが君の欲しがったイスを買ったみたいな気持ちで帰路についた。

家に着き、妹のそばに行き、サンタの気持ちでプリン買ってきたよと報告した。君がイイ子にしてたからおじさん5月なのに来ちゃったよってな感じで。

えー!ちょうど甘いもの食べたかったんだ!

それ見たことか。ちょうど甘いもの食べたかったんだよなお前は。お兄ちゃんお見通しだよそんなの。なめんじゃないよ。髭生えてんだよこっちは。
妹の嬉しそうな顔を見ながら、家賃を多目に払うよりも数十倍簡単なご機嫌取りを完了させた僕は、夜ご飯を食べた後で食べると言った妹を横目にしながら一足お先にプリンを頂くことにした。
全くもって大したことではないが、なんか久しぶりにお兄ちゃんぽいことしたぞという満足感は、たかだか300円程のプリンからイタリアを感じさせるのに拍車をかけ、僕は大変美味しゅうプリンをたいらげた。
同時に、妹がこれを食べる瞬間を想像すると、ついつい口角が上がってしまう自分がいた。
めちゃめちゃ喜ぶだろこれ食ったらと。
下手したら泣くんじゃないかと。
お兄ちゃん今月はもう家賃なんていらないよとか言い出すんじゃないかと。

夜になり、晩御飯の時間になった。
通常であれば、この大自粛時代において1日のメインイベントとなるディナータイムも今日ばかりは霞んで見える。
今日のメインイベントはディナータイムではない。
そもそも1日のメインイベントがディナータイムってなんだよ。ただただ飯食うだけじゃないか。
俺達はもっともっと大切なものの為に生きているはずだろ。
もちろん飯を食う時間も大切なものではあるよ。でもこんなにも時代が進化していく中で、ただただ飯を食う時間を1日のメインイベントにするなんておかしいよ。この状況に慣れすぎて感覚壊れてきてるよ。飯食って次の飯までの時間を腹減り待ちと呼ぶことにするとか言ってる場合じゃないんだよ。
そんな風に、僕の目を覚ましてくれたのは妹でありプリンであった。
今日のメインイベントはディナータイムではない。
今日のメインイベントは、妹が僕の買ってきたプリンを食べること。
正式には、妹が僕の買ってきたプリンを食べるのを見ること。
あの日はそれだけの為に生きていた。とにかく楽しみで仕方がなかった。
指笛吹いて喜ぶだろと。
下手したら泣き崩れるんじゃないかと。
お兄ちゃん今月っていうかもう無限に家賃いらないよむしろ今まで頂いちゃってごめんねとか言い出すんじゃないかと。

妹はディナータイムの終わりを告げる最後の一口を口に運んだ。
いよいよメインイベントの時間である。
食器を下げに台所へ向かう妹。
食器を洗い始める妹。

そんなん後でいいから早く冷蔵庫に向かえ

僕はもう早くその瞬間が見たくてたまらなかった。
食器なんて釜じいでもお手上げくらい山積みになっててもいいから早く冷蔵庫の扉を開けて欲しかった。
そしてとうとうその時がやってきたのだ。
食器を洗い終えた妹は、迷わず冷蔵庫に向かった。

おいおいそんなにプリンが食いたいのかよぉ!
逃げないよプリンはぁ!プリンは逃げないからもうちょい落ち着きなよぉ!バカだなあお前はぁ!

思わずクソみたいなチャチャを入れてしまいそうになるほど僕の心は高揚していたが、こんな煽りを受けた後のプリンが旨いわけがないのでそこはグッと我慢した。
妹が冷蔵庫に手を伸ばす。
僕の中でのカウントダウンが始まる。

レディースエンジェントルメン。
ただいまより、お兄ちゃんからのプリンを妹が満面の笑みで食べるところをお兄ちゃんが見る時間が始まります。

僕の中のコミッショナーも興奮を抑えきれない。

5

4

3

2

1

0

冷蔵庫の扉が開いた。
長い1日だった。間もなく僕は最高の1日を迎える。

妹が冷蔵庫から取ったのは水だった。
水を一口飲んで冷蔵庫に閉まった。
その間約2秒。
2秒で僕のメインイベントは終了した。
コミッショナーも、レディースエンジェントルメンとか言ってた自分が恥ずかしくてたまらない様子だった。彼は、レディースエンジェントルメンとか言うときは、もっとレディースエンジェントルメンとか言っていいくらい事態に確信を持った時の方がいいんだということを学んだ。彼がそれを学んだだけの時間だった。

いやいやまだ飯食ってすぐだから。
プリン食うタイミングって人それぞれ自由だし、国から決められてるものじゃないでしょ。
俺達が生きている国って、俺達が思っているより不自由ではないじゃん。
やろうと思えばなんだって出来るし、なろうと思えばなんにだってなれるんだよ。
赤紙届けば即出兵なんて、今はそんな時代じゃないんだ。先人の犠牲の元に成り立つ今のこの日本という国では、自分の人生のその選択を、自分の考えで選んでいいんだ。プリン食うタイミングだって誰かに言われて選ぶもんじゃない。

私が!今!今この瞬間に!プリンを食べたいんだ!

そう思った時に食うべきだろ。
無理強いするもんじゃない。あいつが本当にプリンを食いたい瞬間は必ず来る。むしろその瞬間にプリンを食う姿を見たかったんだ俺は。

かろうじて意識を保った僕は、前向きに妹がプリンを食べる瞬間を待つことにした。
大丈夫。その瞬間は必ず来るのだから。

水を飲んだ後妹は風呂に入る。
なるほど風呂上がりね。風呂上がりのプリンは格別だもんね。
僕は早く風呂から出てこないかとシャワーの音に聞き耳をたてた。
罪悪感はなかった。きっと一戦踏み外した人間はこうやって捕まっていくのだろう。
風呂から出た妹は再び冷蔵庫に向かった。

ちょっとちょっとぉ!風呂上がりいきなりプリンに飛び付くやつがあるかよぉ!大丈夫だよプリンは逃げも隠れもしないよぉ!あわてんぼうだなぁもうぅ!

妹が冷蔵庫からビールを取り出したのを確認して、本当に言わなくて良かったと胸を撫で下ろす。
風呂上がりはビールだよね。わかるわかる。さっすが妹。そりゃそうだよビールだよビールビール。
でもビールとプリンは合わないよね。ビールを飲むってことは、しばらくはプリンなんて食べないよね。あっ、大丈夫大丈夫自分のタイミングで。おじさんさっきそこ乗り越えたばかりだもの。全然気にしないで。うん、おじさんは平気。サッカー部だったし。忍耐力はある方なの。

そわそわして全く妹に話しかけられずに、その瞬間はまだかと待ちわびている僕は、とにかく根気強く見守ることしか出来なかった。

テレビを見る妹。
トイレへ行く妹。
ドライヤーで髪を乾かす妹。
2本目のビールを飲む妹。
音楽を聞く妹。
歯を磨く妹。
部屋に戻る妹。
電気を消す妹。
瞼を閉じる妹。
寝る妹。

寝る妹?
えっ?寝る妹?寝た?寝たってこと?プリンは?
いや、えっしんどいしんどい。プリン起きてるよ?
プリンより先に寝る?
俺からプリンに言っとこうか?なにを?

僕はパニックだった。
僕の思っていた1日の締め括りとは真逆のバッドエンド。
食わなかった。妹はプリンを食わなかったのだ。

僕はなかなか眠れなかった。
妹はなぜプリンを食わなかったのか。
あんなに楽しみにしていたのに。

いやいや待てよ。
普段から冷蔵庫に必ず入っているもんじゃないだろ。
プリンを食えるなんてのは当たり前じゃないぞ。
1日の行動の中に、プリンを食べるなんて項目が追加される日なんて滅多にあるもんじゃない。
おっちょこちょいの妹のことだ。きっと忘れてしまっているのだろう。
部屋の電気もTVもなにもかもつけっぱなしにして外出してしまうような女だ。プリンなんて忘れてても不思議じゃない。
そう思って僕は悪夢を払うようにむりくり眠ることにした。

朝起きた僕はまず冷蔵庫を確認した。
もしかしたら僕が見てないうちにプリンを食べ終わってしまっているかもしれないと思ったからだ。
バミリでもあるかのように、プリンは少しも動かずに昨日と同じ位置に佇んでいた。
今さら焦っても仕方がない。
僕は腹を括って妹を見守ることにした。

その日、妹はプリンを食べなかった。
大丈夫大丈夫。まだ焦る時間じゃない。

その次の日、妹はプリンを食べなかった。
賞味期限今日だけど大丈夫?

また次の日、妹はプリンを食べなかった。
えっ賞味期限って知ってる?

更に次の日、妹はプリンを食べなかった。
乱視?プリン見えないの?

そして一昨日の夜。
僕はもう我慢の限界だった。
ふと目を閉じて、小さかった頃の妹を思い出す。
末っ子だった彼女はとにかく周りから甘やかされていたものの、ダメなものはダメだとしっかりと理解してくれる素直なイイ子だった。
少なくとも、お兄ちゃんが買ってきたプリンを5日もフルシカトするような子ではなかった。

芸能界だ。芸能界が妹を変えてしまったのだ

もう終わりにしよう。
昔の彼女に戻るにはまだ間に合う。
僕は震える声で、ご機嫌に梨泰院クラスを楽しんでいる妹に問いかけた。

ねえねえ、プリン食べないの?

すると妹は、みるみる表情を変え、

まじごめん!今食べる!

と、まるでプリンが永遠であるかのような発言をしてきたので、

もう賞味期限切れてるよ

と、自分の中の1番残念そうな声で言った。

まじごめんね!完全に忘れてた!

完全に忘れてたそうだ。
僕はその答えを聞いて、悔しくて悔しくて、プリンにも申し訳なくて申し訳なくて、

俺食べちゃうからね

と、もはや相手からしても全然羨ましくもないプリンの封を開けた。

いや賞味期限切れてるならやめた方がいいよ!

妹のごもっともな意見などもう耳に入らなかった。
これは男のけじめなのだと。
意地のみでプリンを食べた。
しかしながらプリンはまるで賞味期限を感じさせないくらい最高にうまかった。
まるで見せつけるように、

イタリアの匂いがする

と負け犬の遠吠えのように言ってやった。
妹は見たことない苦笑いを浮かべていた。

その後は皆さんの知っての通り。
まじ死ぬほどお腹痛かった。涙出ちゃった。
賞味期限って本当に賞味期限なんだと思った。
3日はやばい。3日はシャレにならないということを学んだ。

以上が僕が賞味期限切れのプリンを食べることになったきっかけである。
どうか妹には、腹痛に顔歪む僕を見て、芸能界に染まらずに、プリンは与えられた瞬間に食べるものだと思いだし、素敵な女性になって欲しいものである。
一旦辞めさせて頂きます。

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