俺とHIRO

昔から言葉の持つ力みたいなものに強く惹かれていく傾向がある。
それはお笑いの観点から見た今でも覚えているようなワードから、普通に生きている中で誰かに頂いた言葉であったりと様々であるが、普通に言える言葉をいかにその人の言葉にして放つかが重要である気がしてならない。

舟を編むという映画が大好きで、ざっくり言うと新たな辞書の作成に取り組む方々の物語なのだが、この映画でのある1シーンにとても感銘を受けたのを覚えている。
辞書を引いたことのない人なんて、この世の全ての言葉を知っているか、ウニくらい言語からかけ離れた生活を送っている人かしかいないであろう。それくらい身近なものであり、我々の生活をより豊かにする為の必需品でもある。
僕の感銘を受けた1シーンというのは、辞書を引いた時に出るその言葉の意味を説明する場面である。
本当にほぼ冒頭のシーンであり、予告でも大分流れていたのでネタバレにはならないと思っているのだが、『右』という言葉を説明しなさいと問われた主人公は、『西を向いた時の北にあたる方角』と答える。この1シーンだけで、これから始まる物語にグッと引き込まれたのだ。
誰でもわかる言葉であり、『右』を説明するならもっとわかりやすく説明することも可能であるだろうが、ここに言葉の持つ魅力や浪漫が詰め込まれているように感じるのである。
『右』という誰もが知っている言葉ですら、ゴールは同じであれ、様々な言い回しの経路を辿ることが出来ることに深い感銘を受けたのだ。

また、大学時代ろくに講義にも出席していなかった僕ではあるが、たまたま出席していた言霊信仰の講義はとても興味深いものであったことも覚えている。
これも長くなってしまうのでざっくりと説明すると、言葉の持つ力は昔から強く信仰されていて、口から放つ言葉は思いが強ければ強いほど必ず実現するというもの。
年始に『明けましておめでとう』と言うのもこの言霊信仰から来ていて、これから始まる1年がめでたいものになるようにと始まったノリなのだという。

つまるところ、言葉の持つ力は無限であるということ。
ただ、より深く心に刻まれるものとしては、やはりその人なりの言い回しが必要になってくるのだと思うのである。
時にはシンプルな言葉の方が響く場面もあるが、頑張れを頑張れのまま言うのか、ありがとうをありがとうのまま言うのかはとても自由であるが、その言い回し1つで相手に与える印象もかなり変わってくるように思えるのだ。

更に言えば、ここに『誰が言ったか』という要素が加わることによって、言葉の持つ力は最大限に生かされるのではないだろうか。
当たり前の話ではあるが、どんなにいい言葉でも、全く説得力のない人間に言われた場合、鼓膜を通ったという感覚しか残らない。もしくは激しい苛立ちへと変わることすらあるのだ。
昔、『お酒に飲まれるやつは飲む資格がない』と、ベロンベロンの親父に言われたことがあったが、あれを健全な大人から言われていたら、今の僕がこんなにバカみたいに飲み歩く大人にはならなかったであろう。

元々それだけでも胸に閉まっておきたい言葉も、その人の持つバックボーンや、自分との関係性が掛かってくればその威力たるや絶大であり、今後の人生においての基盤を支える柱の1つにもなりかねないのである。
実際に、少なくとも僕の中では、頂いた言葉が今でも僕を支え続けていたりする。

中学の頃にサッカーをやっていた時、チームの監督が口癖のように放っていた、『情熱には情熱で』なんて言葉があったが、この言葉も今の僕の中に確実に生き続けている言葉である。
その人自身が、その言葉を放つに相応しい生き方をしていなければこれ程の威力はないし、周りの人間に影響を与えることなどまずない。

また、大学の必須科目であった書道の教授と1度だけ飲みに行く機会があったのだが、僕が芸人になる際に自分が母子家庭であること、本来であればこれから恩返しをしなければならないことに迷いを見せていた時に頂いた言葉も、芸人になることへの抵抗を取り除いてくれた要因の1つになっている。

『今の君が親孝行などおこがましい。何者になろうが、親孝行をする者としての資格を得てから考えなさい』

数々の道に迷った若者と触れあってきた教授ならではの言葉である。受け取り方によっては大きな間違いを犯す可能性もあるし、実際まだその資格を得ているのかもわからないが、僕があの時この言葉に救われたのは確かな事実なのだ。
これもまた、あの日のベロンベロンの親父から放たれた言葉であったら、まずお前にはなにも返す気がないとしか思わなかったであろう。

以上の言葉以外にも、僕を突き動かし、僕を奮い立たせた言葉は数多くあり、いくつかは今の僕の基盤にもなっている。
だがしかし、当時の言葉がそのままのかたちで残るようなことばかりではない。
当時の言葉が、今もなお僕と共に意味を成していく場合もある。
じわじわと、何年もかけてその言葉の本当の意味へと近づいている実感が確かにある場合があるのだ。

それが僕にとっての、バブル期に一世を風靡したダンスボーカルユニット『ZOO』にいたおじさんから頂いた言葉である。

本人の意向もあるだろうから、この方に関してはおじさんと表記させて頂くが、このおじさんは僕が出会った頃でもただのおじさんではなかった。

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