アリサを連れてどこまでも

YouTubeでやっているラジオの中で、一般の方からメールを頂いたりもしているのだが、その中から、匿名でラジオに参加してもいいという方を募り、その方を交えてお喋りさせてもらうコーナーがある。
もちろん、オズワルドに関係した質問もあったりはするのだが、匿名で顔も出さないことで逆にオープンになってくれているのか、私生活の悩みを打ち明けてくれる方も少なくない。
上司と仲良くなるにはどうしたらいいか、滑舌が悪くて悩んでいる、人前に立つ仕事をしているが人前に立つと緊張してしまうなどなど。
言葉があっているのかはわからないが、こういった悩みを聞いて、自分らなりに相談に乗りながら一緒に話をさせて頂く時間をとても有意義に感じる。
普段考えたこともないことであれば、あっ自分はこれに対してこんなことを思っているんだと気づけるし、同じような悩みを抱えたことがある場合は、わかるわあこれ俺だけじゃなかったんだあと安心出来るのである。

その中でも特に激しく共感したお悩みが、『相談された相手よりも悩んでしまう』というもの。
ざっくり言うと、相談してくれた人の熱量を追い越してしまうというお悩み。
信じられないくらい身に覚えのあるお悩みであっ
た。

解決出来る出来ないは置いといて、僕も昔から色々と相談を受けることが多かった。
信頼してもらえていることは嬉しいし、折角打ち明けてくれたのだからと、こちら側も様々な解決案を出すのだが、特に若い頃は、みるみる相手の温度を追い越していってしまうことが多々あった。
パッと相手側の顔を見た時に、

あっ、ごめんなさいちょっとそこまで熱くこられたら困っちゃうんですけど

みたいな表情を浮かべられたり、なんならまんま言葉として言われたこともあった。
もしかしたら全然的はずれな意見を言ってしまって、これ以上は聞いてられないなと思われた可能性もあるが、それにしたってあの瞬間の恥ずかしさったらないし、いやじゃあ相談してくんなよと思うこともあった。
こちらもなにか見返りを求めているわけではないが、少なくとも恥をかく筋合いはないので、そんなことが起こる度に、もう2度と相談になんて乗るもんかなんて思ったりもした。

ただやっぱり、性格的に頼られてしまうと弱く、何度も何度も似たような経験をしていくうちに気がついたことがある。

もしかしたら話を聞いて欲しいだけなのかも

これは自分の中でなかなかの発見であった。
悩みを抱えている人の全員が全員、解決策を求めているわけではない。
もっと言えば、相談を持ちかけてきた本人の中では、もう答えが出ていたりする。
だからこそ、自分で考えていた答えにそぐわなかったり、ここから先には踏み込んで欲しくないエリアに足を踏み入れられると、自分から話し始めた話でも、これ以上続けることへの無意味さを発見してしまうのではないか。
だとすれば、相手の熱量を吸収し、倍の熱量を発した僕に、多少の嫌悪感を抱くことにも頷ける。
ましてや本当は笑い飛ばして欲しい話を、よりシリアスに受け止められた場合、元々の悩みがもっと深刻なものだと思わせてしまう。
相談を受ける側としては、まず相手がどのレベルで悩んでいるのかを理解して話を聞くことが、もっとも重要なのであると感じたのだ。

それでも、自分の我を押し通してしまうことはあるのだが、完全に自己満足だと言われても、自分は間違ってなかったと思う瞬間もあるのだ。

2年くらい前の真夏のことである。
その日僕は、同期のダグラスの照井という男と後輩の11月のリサのまむという男と新宿で飲んでいた。
11月のリサのまむという男は、当時ラテンソウの菊地という名前で活動していたのだが、現在は改名し、11月のまむとなったので、11月のまむと表記させて頂いている。僕とて、ラテンソウの菊地と書けるならラテンソウの菊地と書きたい。本当に仕方なく、11月のまむと表記しているのだ。全く馴染んではいないのである。
3人で飲んでいると、知り合いの女の子から連絡があり一緒に飲むことになった。
向こうも3人で飲んでいて、店が閉まる流れからそのまま家に移動して朝まで飲むことに。
キャッキャ言いながら楽しく飲んでいたのだが、突然3人のうちのその日初めて会った女の子が小さな声でこう呟いた。

私こんなふうにみんなと飲んだりするの初めてなんです

最初は、まあ合コンて言えるような感じでもなかったのだが、なんとなくそういうのが初めてなのかと思っていた。
ところが彼女は続けてこう言ったのである。

学生時代から友達がいなくて、夏休みとかも誰かとなにかした思い出が全然ないんですよね

その時点で僕と照井はかなり彼女の話に聞き入っていた。
正直とてもそんな風に見えないというか、いい子だったし対人関係が苦手なタイプにも見えなかったのだが、話を聞く限り学生時代はいじめられていた時期が長かったのだという。

だから今日は本当にいい思い出になりそうです

僕と照井はもう限界であった。

いやもっと楽しい思い出作れるっつーの!他にみんなでやってみたかったこととかないのか?!

突然の熱量に彼女を含め女性陣みんな目を丸くしていたが、僕と照井は完全にスイッチが入り、今日はもう彼女のやりたいことをやらせてやりたくなっていた。
すると彼女は申し訳なさそうにこう呟いた。

えーっと、、、花火やったことないので花火がやってみたいです

僕と照井は、それを聞いたと同時に、ちょっと待ってろとコンビニへと向かった。
しかし、真夏とは言えなかなか花火は売っていなく、何軒か回ったが花火は見つからなかった。
泣く泣く家に戻り、どこにも売っていなかったことを伝えると、これ以上迷惑はかけられないといった表情で、

本当に気にしないでください、お気持ちだけで嬉しいです

と笑みを浮かべる彼女を見て、僕と照井はこのままでは終われなかった。

明日はなんか予定あるの?

明日はなにもないです

よしじゃあ明日の夜、みんなで花火やろう

こうしてなかば強引に約束をとりつけ、次の日の夜に、また同じメンバーで花火をした。
僕も照井も、もはや自分達が何者で、なんの為にやっているか、これが正しい選択だったのかもわからなかったが、いてもたってもいられなかったのだ。
ただ、6人でやったら10分で終わるような量の花火の、最後の火が消えた時、

一生の思い出になったなあ

と呟く彼女を見て、本当にやってよかったと思ったのである。
言わせただけの可能性も0ではないが、確実に間違った選択ではなかったと思えたのだ。

こういうことがあると、時には相手の熱量を上回ることもありなんじゃないかなんて感じる。
なにかが変わるきっかけにはなれたのではないだろうかと。
自己満足だろうが偽善だろうが、うっとうしがられようが煙たがられようが、1度乗り掛かった舟に思い入れが強くなってしまうことは、一個人とは必然であるようにも思えるのである。

だがしかし、乗り掛かった舟を大海原に送り出し、結果として自分はなんの為に動いていたの全くかわからなくなる瞬間もあった。
キャバクラで働いていた時に、ボーイと店の女の子の駆け落ちを手伝った時の話である。

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