元相方

我々オズワルドは吉本興業に所属する芸人で、芸歴が9年目でコンビ歴は5年目になる。要するに組み直し。バツイチ。

僕もうちの社長(畠中)も、地元の連れとNSCに入学し、社長はNSC在学中に、僕は3年目が終わる頃にそれぞれ解散した。
社長に関しては元相方と上京し、同じ部屋に住み、お金を貸し、約20万貸したまま飛ばれ、未だに連絡が取れないという、100あった信頼関係をすっからかんまで使いきった絵に描いた様なバッドエンドを迎えている。聞いてるこっちまで腸煮えくりかえる様な話だ。東京で生きるには防御力低すぎる社長のずば抜けた人の良さにつけこんだ完全なる計画的犯行。見つけ次第でこに『反社』とタトゥーを彫り込んでやることは僕の中で確定している。

解散後、僕は1ヶ月程劇場に通い色々な芸人を見て相方を探した。正直解散後は最初から社長と組みたいとは思っていたんだけど、結婚より離婚の方が体力を使うなんてのはよく言ったもんで、芸人の解散にも同じことが言える。だから次は絶対に失敗しないように必要以上に慎重になるのだ。
社長を選んだ理由はもちろん面白いことは大前提として、こいつは絶対に辞めないと思ったから。よくもわるくもあまり深く考えないタイプ。現に僕は悩み始めたらズブズブとはまっていくタイプなので、社長の図太さに救われる時は多々ある。少なくとも、同じ轍をこいつとなら踏むことはないと思った。

それからは鳴かず飛ばずではあったものの、それまでの芸人人生では皆無だった経験をしこたまさせてもらった。
いちいち全てのことにたまらなく胸が熱くなった。
僕も社長も、オズワルドを組むまではほぼ芸人と話したことすらなかったしライブだって月2回しかなかった。自分は芸人をやっているんだと、胸を張って言えたことなんて1度だってなかったよ。
だからこそ、深夜に本社で芸人が集まりユニットコントの稽古をしたり、ライブで勝ち上がったり、稀に大爆笑を取れることがあったり、芸人と飲みにいったり、吉本以外の仲間が東京中に出来たり、仲のいい芸人が辞めていくことがこんなにも悔しいことなのかと知ったり。どんなことでも、初めて経験するそれらに、毎度魂が震える程の喜びを与えてもらっていた。俺は今、死ぬ程憧れた芸人をやっているんだと毎日毎日叫びたくなるような高揚感を感じていた。

そして、去年の年末。たくさんの人の協力もあって、ようやく1つの結果が実った。1つの夢が叶った。M-1グランプリ決勝進出。毎年毎年観ていたあの場所に立つことが出来たあの喜びを越えるものは、一生のうちであるかないかだろう。確実に越えれるとしたらもう優勝しかない。だから絶対にまたあの舞台に立つと心に決めた。

M-1の決勝進出が決まった時、本当に嘘みたいな数の連絡が来た。感謝しかなかった。まじで誰かわからない人からも来たけど、まるで同じ釜の飯を食ってきたかのような返信もしたりした。とにかく色んな人が祝ってくれて、これも決勝進出のボーナスなんだなって、夢のような話が現実であることを実感した。
そんなお祝いのLINEを1通1通目を通させてもらっていた中で、ある1通のLINEで僕の手はピシャリと止まった。元相方からの連絡であった。

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