しょうさんの食券

昨日の大学生お笑いNOROSHIの記事を書きながら、自分の大学時代の記憶が甦ってきた。

大学に通うということは、なにか成し遂げたいことや明確な目的を持っているということであり、この4年間、人によってはもう少し長く過ごすキャンパスライフは、今後の人生において貴重な肥やしとなる。

というのが理想であり、少なくともNOROSHIのベイビーちゃん達からは、今を生きる力みたいなものを感じたのだが、僕の大学4年間は全くそれとはかけ離れたものだった。
 
色々な例えが思い浮かんだが、ストレートに言うとうんこだった。うんこみたいな4年間を過ごしたのだ。未だに奨学金を払い続けているのは、2度とうんこみたいな日々を過ごさない為の戒めだとすら思っている。
うんこみたいな4年間をうんこを交えて説明するのは難しいが、積み重ねたものなど1つもなく、どんどんと堕落していく自分にヘドが出そうな毎日へ、対した危機感を覚えることもなく、志や今やるべきことについて脳を働かせることなど皆無であった。
これをうんこと言わずしてなにをうんこと言えようか。
むしろ今うんこと呼ばれているオフィシャルのうんこの方がまだ、排泄物を体内から追い出す目的のもと生まれているのだから、意味のない生活を続けていた僕よりはましなのかもしれない。うんこさんと呼ぶべきなのかもしれない。
だからこそ、NOROSHIのベイビーちゃん達があんなにも眩しく見えたのだろう。

大学というのは、小中高よりも遥かに自由であり、外側から見ると若者の夢を追う姿がキラキラと輝いて見えるものである。
が、そのシェルターのような大義名分に守られ、与えられた貴重な時間を、砂漠の真ん中でうがいをするが如く無駄にしてしまう若者は少なくない。というか実際そんなやつらのオンパレードである。
だから僕は、もし自分に子供が出来て、大学に行きたいなどと申し出たならば、NASAくらい面接を繰り返し、本当に大学に行かなければならないのかを確認するであろう。なんだかみんな行ってるしくらいで行かれるような、親子二代で同じうんこ踏むわけにはいかないのだから。 

こう聞くと、大学に関してマイナスのイメージしかわかないかもしれないが、それは僕のような時間の過ごし方をしてしまった人間の話であり、やはり大志を抱き続けられるような人間も大学には確実に存在している。
大学の試験は、授業中に書き留めたノートや配布されていた資料の使用を許可している場合も少なくない。
ただ、ほとんど授業など出ていなかった僕は、大合戦の中に小さなボディ1つで飛び込むような心境であり、戦地にいるはずの武器を分けてくれる味方を探しあてることしか生き残る道はなかった。
試験が始まる30分前に入り、いかにもこの教室で1番の武器を持っているだろう女性を発見。
全員甲冑の中、1人だけガンツみたいな武器を持っているような計り知れない頼もしさがある女性だった。
近くに寄り、申し訳ないがノートを写さしてもらえないかと頼み込み、なぜかそういう時だけ発揮される集中力で、このままメンインブラックみたいにコピー機の中に就職出来るくらいの写しを行っていると、ものの5分も経たないうちにガンツの彼女がやはり返して欲しいとやって来た。

やっぱり本気で大学に通ってない人に、私の日常を分けたくないです

僕は恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかった。
初めて本気で大学に通ってなかったことを恥ずかしいと思った瞬間である。
ぐうの音も出ないくらいの正論であり、僕にノートを貸す義理など1つもない。
僕はその時金髪で人相も悪く、幻のガンツスーツに身を包んで見えていた、いかにも優等生のような彼女は、最初に僕がノートを借りに来た時、恐らく断るに断れなかったのだろう。
僕からノートを取り返しに来るまでの5分間で、こんなやつと同じ土俵に立っていると思いたくないと勇気を振り絞ったのだろう。
そう思うと情けなくて情けなくて、こんなにダサいことないなと、潔くその試験の間は理想のお弁当のおかずについて考えることしか出来なかった。
きっと彼女のような女性が、後にスタップ細胞が本当にあったことを証明したりするのだろう。
文学部国文学科であったが、彼女ならそんなの関係ないと思う。なんてったってガンツスーツ着てるんだから。

そんなこんなもあってか、僕の通っていた学科は、上記のような人間がなかなかに多く、志もへったくれもなくなっていた僕にはわざわざ下って来てまで目線を合わせてくれるような気の合う友人なんてのはほぼ1人も出来なかった。
更には毎日地元の友人達と遊んでいたのもあり、大学に参上した時には、行ってきますからただいままで自分の声を聞かないなんて日もあった。
この悪循環は、僕の大学に対しての感情を更に削り取ってきたのだ。

しかしながら、どこの世界にも救世主というのはいるもんであり、ろくに大学には行かず、こんなとこにこんな毛生えてたっけくらいたまに現れるだけの僕を、気にかけてくれていた菩薩もいたのである。

その人の名はしょうさんといって、一浪していた為年は1つ上で、身長は自動販売機くらいあるが体重はティファールセットくらいしかなさそうな、ガンジーと八千草薫の息子としか思えない程優しい男であった。

彼はたまに現れる僕を見つけては、体調はどうか、友達は出来たか、まるで弟の面倒を見るかのように気にかけてくれたのだ。
とても物静かで、将来は小説家になりたいと言っていた彼もまた、大志を抱き続けられる人間の1人ではあったが、なぜだか自分でも不思議なくらい僕のことを気に入っていた。
彼がいたから無事に卒業することが出来たと言っても過言ではないくらいお世話になっていたと思う。

今回はそんな、なにごとにも動じないというか、目立ったリアクションもしない、本当に戦争を止める為だけに生まれてきたような男が、1度だけラグビー部の団体と死闘を繰り広げた話である。

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