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こんにちは、不妊治療No.13

こんにちは、オズマジョです。

今回は、自分の気持ちの動きのことを書きます。具体的な治療内容など書かないので、そういうのが知りたい方は読み飛ばしてください。

さて、前回の移植は残念な結果となりましたが、結果自体にはそんなもんか…とそこまでショックは受けなかったものの、今後も2回3回と妊娠できなかったらどうしよう…という暗い暗い気持ちに覆われていました。

私の妊活愚痴専門のTwitterを見てくださっている方は知ってると思いますが、ぐちぐちぐちぐちしてました。(ちなみにツイッターはこちらですが基本愚痴のはけ口です)


あ、これはあれだな。もうだめだな。と思いました。

私は、もうこうなった場合、とことん落ち込むことにしています。

よし、これは一度、ともかくもっともっと不安になって落ち込むべし!
とことん気が済むまで検索したければ検索して、不安になって発狂すればよし。
不安で不安で仕方ないので、気が済むまでやればよし。
そうしないと気が済まないんでしょ?
そうしたいなら、そうしましょ。

まずはずっとずっと深く潜っていき、暗ーい暗ーい淵に立って、ぐっと目を凝らして覗きます。

そこに広がるのは、それはそれは、もう悍ましい闇の果て。

最近発表された、ブラックホールの写真ご存知でしょうか?
私はあれをネットニュースで見たとき、絶望しか感じませんでした。
それと似たようなものが常に私の中に渦巻いている。。。
普段から感じてはいますが、わざわざ見に行きません。怖いし。
が、ここはぐいっと見たいのです。
中途半端に、ちらりちらりと目の端で見たり、ぼんやりとその存在におびえているのがいけないのです。

果てしなく続く漆黒の闇。
なにも出来ない、何の希望もない。
絶望しか広がっていません。
「なにしたって無駄だよ。闇しかないよ」とささやいてきます。
ぐわんぐわんとうるさく闇がうねり渦巻いている…

最初はぶるぶる震えて、いまにも穴に落ちそてしまいそうでおびえていますが、
次第に、ふと馬鹿馬鹿しい気持ちが沸き上がってくるのです。

「は?」
「うるさっ」
「めんどくさ…!」

不安や悲しみが一気に謎の怒りに変換されて、大きなため息をつくために息を吸い込んだ勢いで顔を上げる。
上には入ってきたところとは別に無数に穴が開いていて、明るいな。と気づきます。
あそこがどこなのか知らないが、ここに居るのは全く馬鹿馬鹿しい。
さっさと出ましょ…と這いずり出てみる…
出てみるとなんてことなくて、そこは暖かくまぶしい。
いったい何を見に行ったのだろう・・・

すっと気持ちが覚め、不安になればなるほど。考えれば考えるほど。心配すればするほど、なんと馬鹿馬鹿しいことか。
自分じゃどうしようもないことをあれこれを不安になって、やれることはやってるのに。
だから、もう仕様がない。
どんなに頑張ったところ、なるようにしかならない。
自分の思う通りには、何もかも行くわけがないのだ。

でも、最初からそんなこと、分かってます。
でも、不安になることも心配になることも、焦って自暴自棄になるこの行為が自分には絶対に必要だと思っています。

そうしないと納得しないというか・・・人から何を言われようとも、一度やらないといけない。
自分に今必要だと思うからです。

今までもそうやって自分の気持ちに蹴りをつけてきました。

父が末期がんだと分かった日、お皿を洗いながら泣きました。
父には思うところがたくさんあったけど。
姉にどうしたの?と聞かれたけど。
その時はそうしたかったから、そうしました。
でもその時はまだ若く、よくわかっていなかった。

母の時は、「今私は泣きたいのだ」と思ったら、我慢しないでなるべく泣くようにしていました。

仙台の緩和病棟に東京から泊まり行ける日は新幹線に飛び乗って、隔週で泊まりに通っていた日々、道端だろうが新幹線の中だろうが、「あ、今泣きたい」と思ったら泣ける場所を探して泣きました。
会社帰りの人通りの多い道。
そのころ使っていた路線がディズニーランドの路線で、夢の国から帰ってくる笑顔の人たちの勢いに押されては泣きました。
声を上げるのは、さすがに恥ずかしかったので、家まで我慢して、家に着くと漫画みたいに本当に「うわーーーーん!!!!」と大声を出してボロボロ泣きました。
時折、家に着いたとたん大声をあげるので、夫がぎょっとしてましたがほっておいてくれたので、大変助かりました。
気が済んで泣き終わると、無言で文鳥を運んで来て、文鳥が涙をなめていました。
あの時「大丈夫だよ」とか「きっとよくなるよ」とか夢も希望もないクソみたいな優しい言葉をかけるような人じゃなくてほんとに良かったと感謝しています。

今回もそうやって、とことん自分に不安をあおり、検索魔となっていた私が目の当たりにした現実。

まず、これから移植をして、やっとの思いで着床したとしましょう。
すると、
「それではまだいけない。胎嚢が確認されてないと妊娠とは言えません」
では胎嚢が見事確認できました!
「いや、まだ心拍がみえません」
心拍見えました!
「いえいえ、まだ安心できませんよ。安定期までに遺伝子レベルで流産する確率があります。科学流産、稽留流産…」
じゃあ、安定期になりました。
「いえいえ、まだまだ…」

......。

あ???

もー、うるせーーーー!!
おいこら、こっちは体外受精で大枚はたいてやっと妊娠にたどり着いたのに、なんだとコラ!

せめてもと、高度不妊治療の人たちの体験談ブログを見に行くと、一度は妊娠したものの流産となり…というブログばかりが出てきてしまい、目の前が真っ暗に。
追い討ちをかけるような記事も出てきて、何度も着床しなかったり流産を繰り返すと不育症の疑いを…などでてくる出てくる。
胚移植した人の妊娠出産率は…?とさらに不安の検索へ…

「今!私は、いいことしか書いてない占いが見たいだけなのに!!」
という心境なのに。。。

よくよく探してみると、あるにはあるのですが、無事に妊娠→出産へと至った人は辛い不妊治療に悩んでる人の気持ちを配慮して、「#不妊」などのダグ付けをやめたり、ブログをやめたりしてしまってるのでした。

なるほど・・・と思ったものの。

成功例を見て、それに至れない自分を責めたり暗い気持ちになるのは分かるのですが、「わーこの人もこの人も成功してる!だから私も絶対うまくいく!」と思う?それとも、「成功して自慢しないで!」とか?

いやいやいや。

逆に、「とはいえ・・・」ぐらいの気持ちじゃないと、生きていけなくないのかな?と思ったのでした。
自分のために。
信じることは大事ですが、それが伴わないときに、自分の落ち込みを想像して予防線を張るのは大事なのでは?
みるのが辛いなら、見るのをやめて。でも見てしまうなら、見てとことん悲しくなれば良いじゃない。
「悲しみたい」んだから。それが「必要」なんだから。
みんな、自分の気持ちに従えばいいのに。
嬉しいなら嬉しいと言えばいいのに…

自分の気持ちは自分だけのもので、
誰も寄り添えないし寄り添うこともできないのにな…

とまあ、このように気持ちが大波小波の大嵐でした。

とりあえず、そうやって私は自分で自分にけりをつけ、第2回目の胚移植へと望みました。

次回に2回目の胚移植のことを書きます。
もう結果も出ました。

世間も今不安にさらされてパニック。
そんな只中に、さらに不安に駆られているのに…という、荒れ狂う気持ちがはち切れて、吐き出したくて、今回は書きました。失礼しました。
ではまた、次回。

前回までのまとめはこちら↓


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