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西洋出版史たんが「はじめてのこみけ」に挑戦しようと思ったわけ

突然ですが、2020年の目標を立てた。
そう、「はじめてのこみけ」だ。

こみけ(コミックマーケット)とは?

一言で言うと、同人誌を頒布する場所。(勘違いしていたのだが、コスプレをするだけの場所というわけではないようだ)
数10サークル(出展グループ)程の小規模なものから、3万サークル程の幕張メッセなどで開催される大規模なものまである。
書店のようなお店とお客という関係性は存在せず、皆が対等な関係性であることが特徴だ。
サークル出展は有料で、抽選が行われる場合もある。

なぜ「はじめてのこみけ」なのか?

自分が思ったことを3つのパートに分けてまとめてみたい。


①仕事ばかりの生活に行き詰まりを感じた

私は普段広告会社でマーケターとして働いている。
転職もして、地道にではあるが責任範囲が広がったり、新しい職種に挑戦したり、成功した仕事をパターン化して他の人に依頼していたりする。
体力が許すときは朝8時から夜10時まで、自分をチーズみたいにすりおろすように、がむしゃらに働いている。

けれど、昨年からずっと違和感が晴れない。
仕事で社内の方やクライアント、パートナー企業と日々会話をしているはずなのに、社会や人とつながっている感覚がまったくしなかったのだ。
一番心が安らいだのは、全然別の部署の方と雑談したり、ニュースやSNSから最近のトピックを共有したりしている時間だった。

そんなとき、ふと気付いた。
自分は自分の心の声を全然聴いていない。
友人にも「本当に好きなことをやりなよ」と言われた。

でも、好きなことってなんだ?

まとめ
・忙しさの中でも、ふと気が緩んだときを思い起こしてみる
・身近な友人から客観的な意見をもらう


②好きなことを振り返ってみた

私の原体験は幼少時代にまでさかのぼる。
家族とあまり遊ぶことがなくお留守番が多かったのだが、楽しいことが本を読んだりアニメを観たり、ゲームをすることだった。
その経験から、文章なり動画なり何らかのコンテンツが好きになったのと、逆説的に人が集まる場所を眺めているのが好きになった。
ひとり遊びの方が得意なので、大勢と交わるのは苦手だが、大勢が楽しそうにしているのを眺めていたいという不思議な状態が生まれた。

そして中学時代、広告業界で有名な箭内道彦さんというクリエイティブディレクターに出会う。
箭内さんの話には必ず「誰かが楽しそうにしている」画があり、広告を通じてその状態を仕掛けていることが子供ながらわかった。


身近な場所で広告を実験できそうな場所がひとつだけあった。

1年に1回の大イベント、文化祭だ。

高校でいざ文化祭運営をやってみた。
人生で1番しんどく、1番楽しい実験だった。
広告も試してみようと、クラスでとびっきり絵が上手な友人にキービジュアルを作成してもらった。
都内の受験塾のテレアポリストを作成し、片っ端から電話掛け、承諾がとれたところから渾身のビジュアルが載ったパンフレットとポスターを配って歩いた。
結果、その年の来場者数はダントツに多かった。
運営ルームからお客さんで溢れる廊下を眺めたとき、アナログなやり口ではあったが広告の力を確かに感じたのだった。

大学ではまた「好きなことに回帰しよう」ブームが起こったので、歴史×コンテンツという軸から西洋出版史を勉強した。
広告、ジャーナリズムが生まれるまでの流れも学べたし、書物の歴史は特に中世は混沌ちしていた分、精神史とも社会史、政治史、地域史にも接続できた。
折り畳まれていた紙が開かれていくように広がってゆくのが愉快だった。

一昨年は仕事がひと段落したときに、自分で「はじめてのせいほん」にも取り組んだ。
AdobeInDesignで文章もデザインもフォントもレイアウトも何でもアウトプットできることが嬉しく、夢中でページを重ねた。
できあがった本よりも、久方振りに没入した感覚を持てたこと。
それ自体が宝物のように記憶の中で光っていた。

振り返ってみると、広告の仕事が好きなのももっともだった。
同時に、いくつかのタイミングで取り入れていた「遊び」のようなものが足りないことがわかった。
けれど、私には恐れていることがひとつあった。

まとめ
・小さい頃のことを思い出してみる
・過去のエピソードにつながりがないかを考える
・自分が何の気なしに夢中になれたことは何かを見つけ出す


③世の中に少し受け容れられた気がした

前述した通り、ひとり遊びが好きな私には決定的な「恐怖」があった。
それは、他者に受け容れられるか?ということだ。

そういえば仕事でも、あまり人に言わずこそこそと小さく実験し、成果が出たら発表する、というやり方が成功パターンだった。
他者との関わり方のバリエーションを増やし、成功を大きくできるか。
仕事においても課題という自覚があった。

そんな自分が好きなこと、例えば西洋出版史で他者に受け容れてもらえるのか?
「それ面白いね」「もっと教えて欲しい」「好きかも!」って言ってもらえると自信がなかったのだ。

そんなとき、あることが起こった。


人生初バズったのだ。
しかも、大好きな西洋出版史の本を紹介するというシンプルかつ趣味ど直球のツイートが。
「もしかしたら私の好きなことは、誰かも好きと言ってくれるかもしれない」
そんな世の中とつながれるかもしれないという希望が、こんこんと湧いてきた。

好きなことは、サステイナブルだ。
仕事と違って、自分の好きな気持ちと勇気があれば、きっといつでも回帰できる。
仕事で毎日くよくよしながら電車に揺られていた自分が、やっとそんなふうに考えられるようになった。


まとめ
・好きなことを世の中に投げかけてみる
・少しでも反応があるまでやってみる
・時間が経って、再び取り組みたいと思ったら本当にそれが「好き」な証拠


以上が「はじめてのこみけ」までの道のりだ。
とは言え、これからが本番だ。
作品づくりの高い山が待ち受けているので、ほどほどに夢中になりながらがんばろうと思う。
そして未来の私が好きという気持ちを手掛かりに、帰ってくる道しるべにもなればと思う。




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