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第7回 波に生きる人々(3900字)

 目が覚めてアレコレ済ませて五時半頃、海沿いのいつもの駐車場に向かった。自宅のある山側の出入り口から入ると、一昨日ほどの車はないが、それでも七・八割は埋まっている。県外ナンバーもたくさん停まっていた。まだ海の様子を直接眺めたわけではないが、これだけでも少しは見たようなものだ。きっといい波なんだろう。今あの時を思い返すと水量が増えていて、見ている時にはそのことに注意が向かなかったことに、気付いている。海水の薄く濁った、曇った青と、色の付いていない太い線が交互に手前から視界の奥の三浦半島まで横に伸びており、海の全体が縞模様になっている。車がたくさん停まっているのだから、サーファーもたくさんいるはずだ。無意識にそう思って注意して見てみると、浜から数十メートルのところに、二・三十名ほどの人だかりがある。ボードに乗り、波を待っている人もいるし、その集団のいるポイントに向かって浜から向かい始めた人が、ボードにうつ伏せになって両手で水を掻いて進んでいる。ボードの上に立って、オールで漕いでいる人もいる。たしか、サップという名前だったと思う。昇り始めたばかりの低い太陽には薄い雲がかかっていて、少し肌寒い。太陽のあるあたりにだけ雲はあり、南から西へは薄い青色の空が浮かんでいる。南に、小指の爪ほどの大きさで、漁船が一台見える。みるみるうちに視界の左から右に向かって動いていくので、浜から近いんだろう。そうやってきちんと理由付けをしていたわけではないが、漠然と遠近を測っていた。
 雲がかかっているとはいえ、東の空から南、そして西へとゆっくり視界を動かすと、西へ行くほど明るくなる。下田半島がかすんで見えるのは、その手前、ここ稲村ガ崎からほんの二・三キロメートルの位置にある江の島が、朝日に照らされて非常にくっきりと見えているからかもしれない。その奥に下田半島があるわけだが、「地理的な知識が全くなくても、“奥” だとわかるんだろうか。」とか、「“これは平面だ” とか、“これは立体だ” とか、私たちはどうやってそういうことを決めたり分けたりしているんだろうか。」ということが、漠然と気になった。気になったが、風景を眺めている時に言葉でアレコレの思索をするのはなんとなくもったいないような気もして、構わずにいたらすぐに流れた。
 私の立っている駐車場と海の間には国道が走っている。お盆とはいえ朝の五時半ならまだ空いている。逗子方面へ向かう車線は由比ヶ浜で左折すれば東京・横浜にも行けるが、そちらの車通りはほぼゼロだ。反対側の、江の島や茅ヶ崎、小田原方面に行く車線は、空いてはいるが、数秒に一台は通り過ぎていく。その車線で車が一台停まって、男性が降りてこちらに向かって歩きながら言った。
「今、由比ヶ浜見てきたんだけど、全然なかったよ。」
 ノースリーブのシャツに短パンで、日焼けしている。見た瞬間の印象もそうだが、“ゆいがはま” の発音が、“ゆ” が高くて“ゆいが” で下りてきて、“はま” で落ち着くのが地元の人の独特のイントネーションだ。私の手前側の車線を走る自転車が停まり、その声に答えた。車の男性は、運転していて地元の知り合いが向こうから自転車でやってくるのに気付いて、すぐに停めて降りたんだろう。早朝の、道がガラガラに空いている時間でなければ起こりえないやりとりかもしれない。
 「今日入るの? これから?」
車の男性が続けている。自転車の男性は、私からは後ろ姿しか見えないが、車の男性よりも若そうだ。
「今はまだだけど、後で入るかもしれない。どこで入る?」
日本語に慣れている外国人の発音に聞こえて、そういえば体が日本人的ではない、非常にガッシリしていることに、遅れて気が付いた。
「オレもう入ったんだよ、こっち。」
そう言いながら車の男性が親指で、自身の背の向こうに広がる稲村ガ崎の海を指していた。
 駐車場に入ってくる時に目に付いたナンバーで最も遠かったのは、大宮ナンバーだった。さすがに関東の外からはいないか。そう思いながら、大宮の人は、何時に出てきてるんだろう。何時に寝てるんだろうか。寝てるとは限らないか。寝てるなら、寝る時はどんな気持ちで寝るんだろう。漠然と子供の頃の遠足や旅行の前日の気分を思い出していた。サーフィンが好きな人の気持ちを想像するのは楽しいが、私はサーフィンをやったことがないし、やること自体にはあまり関心がない。(拒絶はしていない。)それよりもサーファーの人たちがサーフィンなり海なりに向ける気持ちが好きだ。それをやりとりや様子から受け取ったり想像したりを私はしょっちゅうやっているが、それはサーフィンをやらない人間の想像の仕方や受け取り方なので、本当のところはわからない。私はたぶん、「本当のところはわからない」という距離の取り方をすることで、こういう想像を延々と楽しもうとしているんだろうーーということが、ここまでの記述から察せられる。
 車から降りてきた男性もそうだが、他にも、自転車の横に濡れたサーフボードを載せて、水着姿で帰っていく(と思われる)人もいる。「夏は暖かいから」と八年前に引っ越してきてすぐの頃は思っていたが、真冬の明け方でも、サーファーは海に入る。
 引っ越してきた当時は、通勤のために稲村ヶ崎駅から藤沢方面行きの江ノ電に毎朝乗っていた。六時半頃の電車に乗っていたが、真冬はまだ薄暗い。そして寒い。ジャケットの下にはセーターを着て、ジャケットの上には厚手のコートも着ているが、寒い。稲村ヶ崎駅の隣り、七里ヶ浜駅を出た直後は住宅地を走っていて、海は見えない。見えないが、十秒ほどでその住宅地を抜け、一気に視界が開ける。鎌倉高校前駅で停車すると、ホーム反対側の車窓は、正面は海と空だけだ。波によっては、何十人ものサーファーたちが、薄暗い海に浮かんで波を待っていたり、乗っていたりする。「好きとかそういうレベルじゃない」と思って、私はいつも胸がいっぱいになっていた。
 サーフィンをやる友人に聞いてみたこともある。第5回で登場してもらった、私と同じアパートに住むご夫婦の、奥さんの方に、話の流れでたしか聞いたと思う。私が出掛けるか帰ってきたかのタイミングで、ちょうどカナちゃんがウエットスーツ姿でボードを持って海に行くところだった。(カナちゃんはとても快活で声もよく通る人で、私は、“奥さん” という語に対して私が感じている雰囲気とカナちゃんが合わない気がして、書きにくかった。だから突然、普段通りの呼び名を出した。)真冬の寒い日で、つい、「寒くないの?」と驚いて聞いた。愚問だったかもしれない。
 「海ん中は意外とアッタカイんだよねぇ。スーツも最近どんどん進化して、アッタカイんだよ。」
そう言ってにこにこ笑っていた。
 私と同じ階の別の部屋で一人暮らしをしている加藤さんもサーフィンをする。玄関の外にサーフボードだけでなく釣り竿と一緒に他の釣り道具も置いてあり、加藤さんはいつもどこかに出掛けている。釣りは江の島とか葉山とか、アパートからわりと近いところでもやるが、わざわざ横浜の方まで出ることもある。スーツを着ているところを年に一度くらい見かけるので、たぶん働いているが、いかにも働いている、という雰囲気が全くない。しかしそれは「暇そう」という意味ではなく、むしろ今日はサーフィン、今日はどこどこへ釣り、そして今日は…といった様子で人生を謳歌していて眩しい。黙って歩いていても鼻歌を歌っているように見える雰囲気がある。
 サーフィンといえば、私にとっては由比ヶ浜の海の目の前でレストランの店長をやっているユウキくんだ。たしか『並行書簡』(未刊・2024年8月時点)でもユウキくんのことは書いた、というか、その回は朝早くに、客が私しかいない店内で四人用くらいのソファ席に私が一人で陣取って、ゴールデンウィーク中だけやっていた朝食の営業時間中に書かせてもらっていた。書いていると、誰か店員さんが、「新しい使い方だ……。」と言っていたのが聞こえた。少し笑っていたと思う。今こうしてそれを振り返ってみると、どういう感情でそれを言っていたのか、推測して「これこれこーゆー感情かなぁ」と言葉にしなくても、そっちに気持ちを向けるだけでおもしろい。
 私はユウキくんの店に数ヶ月か半年に一回くらいしか行かないが、書いてると行きたくなったので、今から行ってくる。17時14分だ。朝は肌寒くて、駐車場でしばらく海を眺めている途中で、まくっていた長袖シャツの袖を下ろしたのを覚えている。昼は予報通りなら三十六度になったはずだ。「三十六度」と入力しながら少しビビっているが、実際にすごい暑さだった。用事がなくて昼は外出しなかったが、洗濯物や布団の出し入れでちょっとベランダに出るだけでも、ものすごく広くて風のあるサウナみたいだった。私がそれ以上に暑さを実感したのは、15時頃に台所で出汁を引いたり常備菜を料理している時だった。台所にはエアコンがなく、敷居のない隣りの部屋のエアコンを強めにかけ、それに加えて扇風機でその部屋の冷たい(はずの)空気を台所に送っているのだが、換気扇だかどこだかわからないが、どこかから入ってきている隙間風があるのか、とにかく扇風機の風に直接の当たらないと、汗が止まらない。覚えている限りでは初めての経験で、トンデモナイ暑さを室内でも間接的に感じていて、「やべえな。」と省略だらけで思っていた。

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