地下鉄出口-番号2-01

街を美しく導く「サインデザイナー」を目指す #クソフォント絶対駆逐マン

 私が明確にデザイナーを志すきっかけが発生したのは、2015年の夏のことだった。当時私は大学2回生。春に成人し、「酒が飲める、酒が飲める、酒が飲めるぞ」と浮かれていた記憶がある。
 そもそも私は、映像系の仕事がしたくて大学に進学した。高校3年当時の私は、放送趣味(テレビ画面上部の時刻表示とかウォーターマーク)に魅せられて、USTREAMでテレビ放送ライクな画面構成の配信を行っていた延長線上において、その思いを膨らませた。当時はもっと軽いタイプの目標だったと記憶している。
 その程度の夢で指定校推薦枠で大学に進学した。より豊な映像表現を身につけられると信じて。

 しかし、心の奥深くに眠っていた本能が求めたものは、別の分野だった。奇しくもそれは、ニュース報道とソーシャルメディアによってサルベージされた。(大学進学後しばらくして、私の趣味は放送から鉄道へと大部分がシフトされていた)

 2015年の夏、TOKYO 2020の正式エンブレムが撤回された。あの「どちらにもなる」共通性が美しかったデザインが、「類似性」と「個人攻撃」、「不透明といわれたプロセス」によっていとも簡単に葬られてしまったのだ。世間は「より透明性の高い選出を」の大合唱だったと記憶している。(これとほぼ同じ時期に、新国立競技場の当初デザインがコスト等を理由に全く別のデザインへとすり替えられ、私は学生の身分であるにもかかわらず「良い物にはそれなりのお金がかかる」ことと「安いものは所詮"安かろう悪かろう"である」ということを深く心に留めることになるが、それはまた別の話)
 そうして「高品質なデザインを求めるもの」から「格段に開かれたもの」へと姿を変えたコンペティションに、私は参加した自らの成長の糧になると信じて。しかし、それは自ら犯した凡ミスであっけなく落選を確信した。

 それからしばらくして、いくつかのロゴデザイン習作を作っていった。そしてソーシャルメディアを調べていくうちに、あるサイトを見つけた。もじ急行さんだ。鉄道と文字。全国数多にみつかる、美しいレイアウト。これなのか。これこそが、私の進むべき道なのか。神仏がカーナビをセットしたかのようだった。
 サインシステム。案内標識。統一されたデザインで美しくわかりやすく人々を導く。その使命を持った看板達に、モダンと美しさをより付加させたい。私の夢が確定した。

 その想い出作り上げたのが(上記画像に代表される)私の卒業研究であった。大学内のサインを(使うフォントひとつとっても)美しく統一性のあるものに更新する。私はそれを卒業研究で行い、誉れ高き評価を頂いた。この研究と同じような方針で、全国のありとあらゆる建物で実現させたい。たとえそれが、田舎の観光案内所や市区役所・町村役場だとしても。嗚呼、夢が膨らむ。

 ただ、それをより高品質にするための修行が未だできていない。一度就活に失敗した身である以上、就職はそのための必須ステップであるからだ。田舎でデザインの修行することは厳しい。

 今の私は「もう一度都会に戻り、修行を続けること」が目標だ。輝かしい美しさのサインシステムを世に広める力を太くさせるために。

 まずはそのための資産(就活費用)が必要なのではあるが。

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