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ギターを背負っていく
連帯責任という言葉が嫌いだ。
もちろん公的な契約のもとに交わされるものについてではなく、ある特定のグループ内で課せられる「やったらわかってんだろうな」という醜い同調圧力のことだ。
時たま、連帯責任みたいに感じることがある。この世について。
昔のこと。
友人というには遠い、かといって知り合いというには近い、たまにイベントで会い、SNSでやりとりをするくらいの距離感の人間が自殺をした。私が持っていたスケッチブックの絵が描かれたページを指差しながら、この部分がいい、ここがいいね、と言ってくれた。
辛く苦しい中で生きていく上で、必要なこととは何だろうか。わずかな光を見つけることかな。何か楽しいものを探そうか。安らげる場所がこの世にはあるかもしれない。
いいや、違うね。この世は連帯責任だから、死んだら他の誰かが荷物を背負わされるようにできていて、誰かに迷惑をかけないようにせよ、さもなくばお前の荷物を誰かが背負うことになるぞ、っていうのを、生まれた時からやらされてるんじゃないかね。きっと、それだけが「必要なこと」なんだろう。
彼女がおろした荷物、そのとき私が背負った荷物はなんだっただろうか。アコースティックギターかもしれないし、スケッチブックかもしれない。
残念ながら、生まれた以上は生きていかなければならない責任がある。これがこの世の連帯責任でなければなんだというのか。私はもうとっくに彼女の歳を越している。
余生みたいな人生の中で、自分ができることだけを、虱潰しにやっていく。
ただそれだけしか道はない。
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