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いつでも会えたはずなのに、もう二度と会えない

7月16日。その時、私は何をしてたかな。

7月18日。やっぱり地球は少しずつおかしくなってるんじゃないか?と、気候変動を嫌でも感じるような、激しくて暗い梅雨を抜けて、幕が開いたように一気に夏が始まった翌日か翌々日。

何気なく開いたLINEのグループメッセージで、ルミさんの訃報を知った。

「信じられない」とはまさにこのことで、同じグループの中でも特に親しいNさんに個別でメッセージをして、「さっきのあの話って、あのルミさんのことですか?」「本当ですか?」なんて、まぬけなことを訊いてしまった。

Nさんからの返信を待つ間、何でもない風に過ごしてたけど、胸の中では心臓がばっくんばっくんしてた。

残念ながら、Nさんからは「そうだよ」という返信があった。ルミさんは、その2021年7月16日に大腸ガンで亡くなったとのことだった。

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ルミさんと出会ったのは、もう7年前にもなるかな(数えてみてびっくり)。間違いなく、私がバレーボールを始めたきっかけになった人だった。

何かスポーツがしたいな~という軽いノリで、当時勤めていた会社の近くの区営の体育館に行ってみたら、ルミさんとNさんが二人でバレーボールのパス練習をしていた。それがバレーボールとの出会いで、ルミさんとNさんとの出会い。

私が、これまた軽いノリで、「バレーボールってやったことないんですけど、入れますか~?」と訊いたら、二人は「いいよ!来てよ!」と言ってくれて、それが私の [ 趣味:バレーボール ] の始まりだった。腕を真っ赤にして、それから約3年、ほとんど毎週、その体育館に通った。

当時、ルミさんとNさんと私たち(同じ会社の数人のメンバーと)でほとんど貸し切り状態だったその体育館は、その後だんだんと人が集まってきて、今や毎週20人前後の常連の猛者たちが集まる場所になってる。上手な人たちばっかりで、ものすごく活気がある。みんな仲がいいし、新しく来る人もウェルカムで、とてもいい場所だけど、もし当時もそんな感じだったら、私は絶対にバレーボールを始めていなかったと思う。優しくて怖いから。

だからやっぱり、ルミさんとNさんに最初に出会ったことはものすごく大きい。

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私がルミさんについて知っている情報はあんまり多くない。

年齢は、付き合いの長いNさんにさえ明かされていなくて、もちろん私が知る由もない。どうやら杉並区の方に住んでいるらしいことと、小さな海外のメーカーの車に乗っているけど、運転は嫌いだということ。結婚はしていないらしいということ。LINEは絶対に使わないということ。ワインが好きだということ。少し気難しい性格で、人の好き嫌いが激しいということ(表には出さないけど、体育館に新しく来た人のことをよく見ていて、たまにぼそっとつぶやくコメントが実に厳しかった)。勤め先は外資系大手の金融機関で、21時にバレーボールが終わってから海外チームとのミーティングのためにオフィスに戻っていることもあるということ。アメリカでバレーボールをしていたことがあるということ。小柄なのに、すごく機敏で、すごくバレーボールが上手なこと。

プライベートの話はあまりしてくれなかったけど、別にそんなこと、全然よかった。

私にとって一番の情報は、ルミさんはいつでもすごく優しい、優しかった、ということ。

厳しくもたくさんのアドバイスをくれたし、「あいちゃん、今のキャッチよかったね」とか「あいちゃん、××ができるようになったんだね」とか、いつも励ましてくれたし、「次は〇〇をやってみなよ」って、チャレンジも促してくれた。

強いものに厳しく、弱いものに優しい。そんな感じ。

ごくたまにワインやごはんをごちそうしてくれることもあった。

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私は3年前に転職したのをきっかけに、なかなかその体育館に行かなくなった。そこで出会った仲間たちの社会人チームに入って、そちらで練習することがほとんどになった。

でも、あの体育館にはいつでも行けるし、ルミさんとNさんが通ってるまた別の体育館も知ってたからそちらにもいつでも行けるし、メールアドレスも知ってるし、会いたいと思えばいつでも会えると思ってた。むしろ、あえて会おうとしなくてもいつでも会えると思ってた。

ルミさんに会った最後の記憶は、たしか、私たちのチームのヘルプに来てもらったとき。ちょうど2年前の今頃だった(調べたら、2019年7月20日だった)。やっぱりものすごく暑い日で、大会で遠征した埼玉の奥の方のその体育館にはエアコンがなくて、熱中症みたいな症状になって苦しんだから、よく覚えてる。

思い返してみれば、あの時、「ルミさん、あいかわらずバレーしてますか?あの体育館、今も行ってますか?」と訊いたら、
「少し前までに旅行に出てたんだけど、戻ってきたら体調崩しちゃってねー、実はちょっと入院してたんだー。病み上がりだから、今日の試合も、バテたらごめんね」って言ってた。

あれは何かの前兆だったのかなと思うと、すごくせつなくなる。

いつでも会えたのに、「その後、体調どうですか?」ってメールすることもできたのに、何でしなかったんだろう。

まさかいなくなっちゃうなんて、まさか二度と会えないなんて、思うはずもない。信じられない。

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東京オリンピックが始まる前の日、火葬場での小さなお別れ会に参加させてもらった。

NさんやNさんの旦那さん、他にもバレーボールでお世話になってる方たちの顔。顔。顔。みんな久しぶりで、会った瞬間から何かがあふれ出てきそうなのをがんばって堪える。

「娘はもう18歳になったよ」って、Eさんが声をかけてくれた。中学校でバレーボール部のキャプテンをしていると言っていたかわいい女の子は、もう高校3年生の受験生になってた。

心底びっくりして、本当にびっくりして、堪えていたものがぼろっとこぼれた。

なんとか取り繕って、「きっとものすごく上手になってるでしょうね」と言ったら、「それがね、コロナのせいで全然練習もできなくて、悔いばっかりで引退したよ」とEさん。(その娘さんはショックが大きすぎて、その火葬場には来させられなかったとのことだった)

・・そうか、そんなに時間が経ってたのか。そして、みんないろんなことがあったんだ。

それは、私とルミさんとの距離みたいにも思えたし、なんだか自分がバカみたいに思えた。

コロナの自粛期間も含めて、みんなに会わなかったぽっかり空いた期間は、なんだか何もなかったような、タイムスリップしちゃったような感じに思えたけど、その間に15歳だった子は18歳になって、ルミさんは闘病して亡くなった。

・・私は、何してただろう?

その時、隣りにいたNさんの旦那さん(通称「おとうさん」)が、「自分だけじゃ年取ったってわかんないね」って言ったのが印象に残ってる。

そうだね、周りの変化を知ることで、そんなに時間が経ってたことや私も年を取ったことを知った。知ってるようで知らなかった。なんだかほんとにバカみたいだ。生きてる時間っていうのは、放っておいたら、そんなに無自覚に流れていっちゃうものなんだね。

そして、もう取り戻せない。

お棺の中に横たわったルミさんはすごく痩せていて、小柄な体がさらに小さくなっていて、「これ本当にルミさんか・・?」って疑う気持ちで、むしろ涙が引っ込んだ。

名前の横に書かれた享年の表記を見て、ルミさんの年齢を初めて知った。57歳だった。

今年の2月頃、気丈なルミさんが「もうバレーボール引退かな~」と言っていたことを知った。ガンが悪化する中でもずっと自宅にいて、最後まで仕事もしていたことを知った。そしていよいよホスピスに入って、それから三日目に亡くなったことを知った。

なに、その強さ。ルミさんらしすぎて、憎たらしい。

憎たらしくて、さびしくて、悲しい。ありがとうって、思ってるけど、まだ言えない。

もう二度と会えないってことは、他の何にも替えられない。

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