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「体感」だけに頼ると危険な理由

ぼくは

「体感」

ということを重視しています。

「アタマ」で考えるのではなく

「カラダ」の体感を活かしていく。

感情を大事にしていく。

けれども、「体感」というのは

「あること」がないと「諸刃の剣」なのです。

その「あること」なしに「体感だけ」に頼っていると、

実は「ひとりよがり」になったり

「狭い視野にとらわれる」

というハメになってしまいます。

では一体、その「あること」とは

なんでしょうか?

それが

「他者からの指摘」
「他者の目線」
「他者の意見」

です。

なぜなら、「体感」というのは「ブレる」ものだからです。

からだの調子がいいときには、

センサーの調子もいいので、

食べたいモノや、やりたいこと、

欲しいものなどがスッと分かります。

けれども、

からだが疲れているとき、

からだが鈍っているとき、

からだが定まっていないとき

というのは、

「体感」「センサー」が鈍るので、

ぜんぜん「体感が役に立たない」んですね。

たとえば、

「お腹がめっちゃ減ったな」と思って

たくさんごはんを食べたら、

あとから気持ち悪くなっちゃったとか

「興奮」という体感に身をまかせ不倫したら

めっちゃ後悔したとか、

じぶんで「いいぞ、これは」という体感で

洋服を買ってみたら、

周りからはダサいと思われていたとか

「体感が役に立たない」

というケースはいくらでもあります。

そんなとき助かるのが

「他者の意見(視座、目線、指摘)」

なんです。

他者の意見というのは

結構な割合で「体感とズレる」ことがあります。

他者の意見に対して、

「え、そんなの嫌だよ」
「絶対に違うと思う」
「それはやりたくないなぁ」

そう思うことは多いものです。

けれども「他者の客観性」というのは、

「じぶんの客観性」

をはるかに凌駕しています。

当然ですね。

「じぶんのことは、自分では見えない」

わけですから。

だからこそ、ときには

「納得のいかない他者の意見」

を積極的に取り入れることが重要になります。

「抵抗がある」
「違和感がある」
「怖いと思う」
「やりたくない」

そういうことを「やってみる」

すると、その中に

「イヤだったけど、やってよかった」

というものが出てきます。

もちろん、

「他人に言われてやってみたものの、

やはり違うと思った」

ということもあるでしょう。


けれども、意外に

「他人の意見を取り入れてみたら上手くいった」

ということはよくあるものです。

ファッションしかり、

ビジネスしかり、

人間関係しかりです。

ただし、「他者の意見」のみに頼ってしまったり、

「他者の意見」を採用した結果上手くいかなかった場合に

「〇〇って言ったじゃない!」

というのは、「依存」ということになります。

「意見」を採用したじぶんの責任を負わなければ、

「他者の意見」

を有効活用することはできません。

逆に「私が他者の意見を採用すると決めた」

と決断することに責任を持つのであれば、

「他者の意見」

は最高のパートナーになります。

重要なことは「他者の意見」」と「(じぶんの)体感」

で、いかに

「ムスビ(陰陽の統合)」

を起こすかということなんです。

「体感」(じぶん)も大事です。

それと同じだけ

「他者の意見」も大事です。

この他者の意見には

「占い」

なども含まれます。

占いを利用しはじめると、

「ええ~、絶対に外れてる!」

と思うことがあるものですが、

それでも「占い」の方を信じて行動してみる。

すると、あとから

「ああ~、そういうことだったのね」

と「答え合わせ」が起こることがあります。

これも「体感」を無視して、

「他者の意見」

を採用してみる例ですね。

というわけで今日は

「体感は大事。でも体感はズレていることも多いので、他者の意見も同じくらい大事」

というお話しでした(^-^)

参考にしてもらえたら嬉しいです♪

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