SARS-CoV-2の構造と感染メカニズム

<第4回>

 19世紀後半、ロベルト・コッホによって炭疽菌や結核菌、コレラ菌のような病原細菌が発見され、細菌学が大きく発展した。しかし、細菌を捕捉するフィルターの濾過液に、なお病気の原因となるものが含まれていた。この細菌よりも小さい濾過性病原体は、ギリシャ語で「毒」を意味する「ウイルス(virus)」と名づけられた。ほとんどのウイルスはそのサイズが非常に小さいため、光学顕微鏡では見ることができない。1935年に電子顕微鏡が開発されて、はじめてウイルスが人の前にその姿を現した。

 知られている限りウイルスはすべて細胞寄生性であり、寄生(感染)した細胞(ホスト細胞)のなかでだけ増殖(自らを複製)することができる。ホスト細胞の外、つまり感染していないときのウイルスは、核酸とそれを包むカプシドと呼ばれるタンパク質からなる「ウイルス粒子(ビリオン)」として存在する。さらにその外側が脂質を含む膜(エンベロープ)で覆われているウイルス=エンベロープウイルスもある。簡単にいえば、ウイルスはタンパク質の殻に包まれた遺伝情報(核酸)である。核酸は、ウイルスによってDNAかRNAのどちらかをもち、それぞれDNAウイルス、RNAウイルスと呼ばれる。さらに、核酸が二本鎖であるもの、一本鎖であるもの、環状であるもの、線状であるものなどの違いがある。

 ホスト細胞外にあるウイルスが「ウイルス粒子」と呼ばれるのは、細胞からなりエネルギーや物質の代謝を行うという生物の要件を満たしていないからだ。ウイルスは生物か、非生物、つまり単なる高分子のかたまりなのかという議論はまだ決着をみていないが、それについてはここではおくことにして、ホスト細胞外にあるときにはふえることもできないし、代謝もおこなわないし、移動能力もない。感覚器官もなければ、もちろん意思ももたない。

 次のホスト細胞にたどり着くことができなければ、ビリオンは遠からず活性を失う(生物的にいうならば「死ぬ」)。まさにただの高分子のかたまりとして、ほどなく分解されてしまうのだが、首尾よくホスト細胞内にたどり着ければ、すなわち感染できれば、ウイルスはその様相を変える。そこではビリオンとしてのまとまりがいったん解消され、核酸に記録された遺伝情報に基づいて複製がおこなわれる。ただし、その材料はすべてホスト細胞から調達される。複製された核酸は、カプシドの衣をまとい、さらに(エンベロープをもつウイルスであれば)エンベロープに包まれて、ホスト細胞を脱出する。そして隣接する細胞に感染し、飛沫や体液などとともに外部へ出ていく。そしてその一部が次のホスト細胞にたどりつけば、そのなかで増殖する。その繰り返しがつづくのが、「感染流行」である。

 SARS-CoV-2の場合、おもにせきやくしゃみ・発声にともなう飛沫、たんや鼻水に混じって感染者(感染動物)の体外に出ていく。それらを吸い込んだり、触った手で口や鼻に触れたりすることで次の感染者の体内(おもに気道)にたどり着く。飛沫から水分が失われ軽くなったエアロゾル(飛沫核)にも、活性のあるウイルス粒子が含まれている。エアロゾルは長く空気中に漂うため、より吸い込みやすく、また広範囲に広がりやすい。

 運よく体内に取り込まれたウイルス粒子は、ホストの免疫系を乗り越えて細胞に侵入しなければならない。

 SARS-CoV-2を含むコロナウイルスは、エンベロープに包まれた一本鎖RNAウイルスである。前回書いたとおり、エンベロープの表面には多数の突起(スパイク)が突き出していて、その様子が太陽コロナ(あるいは王冠コロナ)のように見えることが名前の由来だ。突起は同じ糖タンパク質(タンパク質に糖鎖が結合したもの)の分子が3個結びついた三量体(トライマー)で、スパイクタンパク質(Sタンパク質)と呼ばれる(図1)。このSタンパク質こそが、コロナウイルスがホスト細胞に侵入するためになくてはならないものなのだ。

 インフルエンザウイルスは、ヘマグルチニン(HA)というやはり糖タンパク質がエンベロープから突き出しており、ホスト細胞表面にあるシアル酸を標的として結合、侵入の足がかりとする。このシアル酸を、インフルエンザウイルスの受容体と呼ぶ。コロナウイルスは、Sタンパク質がホスト細胞の受容体に結合する。受容体はコロナウイルスの種類ごとに異なっており、SARS-CoV-2の受容体はアンジオテンシン変換酵素Ⅱ(ACE2)という酵素だ。2002〜2003年に流行した、重症急性呼吸器症候群(SARS)をもたらすSARSウイルスのSタンパク質がACE2と結びつくことは知られていたが、SARSウイルスに近いSARS-CoV-2も、やはりACE2を細胞侵入に利用することが流行の初期にわかっている[1]

図1 スパイクタンパク質
SARS-CoV(左)とSARS-CoV-2のスパイク(S)タンパク質の模式図。Sタンパク質は、同じ構造のタンパク質3個の複合体(三量体、トライマー)で、エンベロープから突き出しており、軸にあたるS2サブユニット(オレンジ色の部分)と先端部のS1サブユニット(赤紫色の部分)に分かれ、S1の頂部に受容体結合ドメイン(RBD)がある。SARS-CoVのRBDは、はじめから突き出している(アップ型)が、SARS-CoV-2のRBDは折りたたまれた状態(ダウン型)で、ウイルスが細胞表面に近づくと、ホスト側の酵素フーリンの作用で埋もれていたRBDがもちあがる。
出典:PDB-101;https://pdb101.rcsb.org/

 Sタンパク質は、先端部分がS1サブユニット、エンベロープから突き出た軸部分がS2サブユニットと呼ばれ、S1はホスト細胞への結合時に、S2は融合時に重要な役割を果たす。さらに、S1の頂部には受容体結合領域(RBD)と呼ばれる部位がある。RBDはその名のとおり、ホスト細胞側の受容体と結合する部分だ。ちょうど手でドアノブをつかむように、受容体に「ドッキング」するのである。人間の腕にたとえるとS2は上腕、S1は下腕、RBDが手で、ドアノブをつかむ「手のひら」にあたる部分を、とくに受容体結合モチーフ(RBM)とよぶ。

 ACE2は血圧調節に関わる酵素で、血圧降下作用をもち、細胞膜を貫通して細胞内外をつなぐ膜タンパク質として、肺胞、気道、咽喉、食道、回腸、結腸、心筋、腎臓細尿管、膀胱の尿管など、全身の器官・組織の上皮細胞に発現している。

 RDBはSARS-CoV-2が細胞に侵入するための文字通り「カギ」なのだが、通常Sタンパク質の頂端に埋もれた状態にある(ダウン型)。再度腕にたとえれば、こぶしが握られた状態。これではACE2とドッキングすることができない。これに対して、SARS-CoVのRDBは最初からSタンパク質から突き出した構造をしており(アップ型)、ACE2に結合しやすい。

 しかし、実際にはSARS-CoV-2の感染力はSARS-CoVよりずっと大きい。その秘密は、ホスト側の酵素の働きにある。ホスト側のもつプロタンパク質転換酵素(不活性タンパク質を活性化させる働きをもつ酵素)フーリンが、S1サブユニットにある分子の一部を切断(開裂)することによって、RBDが突き出すのである[2]

 スパイクの表面は、糖鎖でびっしりと覆われているが、糖鎖があることで、ホストの免疫系が抗原となるタンパク質(実際にはその部分であるペプチド)を認識しにくくなるとも考えられている。いうなれば、糖の衣をまとってホストの免疫系をあざむいているのだ。RBDも埋もれている状態では糖鎖に隠れており、ホスト免疫系の攻撃を受けにくい。いよいよ受容体に近づくと、突き出して結合するのである。一方、アップ型のSARS-CoVのRBDは、免疫系の攻撃を受けやすい。免疫を回避しやすいダウン型RBDをもつことが、SARS-CoV-2の感染力の強さの理由の1つと考えられる。

 表面が糖鎖で覆われているウイルスはほかにもあるが、SARS-CoV-2の糖鎖には別の役割がある。RBDが突き出すと、近くにある糖鎖が下からガッチリと支え固定するのだ。この部分の糖鎖の組成を変異させると、RBDがうまく固定されず、受容体との結合力が弱まるという。つまり、感染力が低下するのである。

 RBDがACE2と結合すると、同時にホストの別の酵素TMPRSS2によってS2サブユニットが切断され、ウイルス本体が細胞膜に接近・密着する。このときエンベロープが細胞膜に融合して、RNAが細胞内に放出される。

 こうした結合から侵入へといたる一連のメカニズムには、フーリンやTMPRSS2というホストの酵素が巧妙に利用されている。RBDを突き出させるフーリンの作用がなければ、SARS-CoV-2がACE2と結合することは難しいし、TMPRSS2の作用がなければエンベロープが細胞膜に融合できない。ウイルスは意思をもたないのだから、まるでホストがウイルスを迎え入れているようにも見えてしまう。

図2 SARS-CoV-2が細胞に侵入する2つのルート
右:TMRSS2の作用により細胞膜に融合。左:エンドサイトーシスにより細胞内に取り込まれ、カテプシンLの作用で融合。
出典:Cody B. Jackson et al., 2022[3]

 TMPRSS2がうまく働かなかった場合には、ウイルス粒子の形状を保ったまま、細胞膜(原形質膜)が貫入し、細胞膜を起源とする小胞(エンドソーム)に包まれたかたちで細胞内に取り込まれる。実はこれは細胞が細胞外の物質を取り込むしくみである(これをエンドサイトーシスという)。通常エンドソームの内容物は、リソソームという細胞内小器官に送られ、ここで分解・処理されてしまう。エンドソームに取り込まれたウイルスもあえなく最期を迎える……はずなのだが、さにあらず。これもホスト側のもつタンパク質分解酵素カテプシンLが、Sタンパク質からS2サブユニットを切断し、小胞内壁に融合するのだ。ちなみにSARS-CoVの侵入ルートはこちらである。

こうして、ホスト細胞内に放出されたウイルスのRNAは、ホストの細胞内器官であるリボソームを使って複製に必要なタンパク質をつくり、自らを複製する。同時にSタンパク質やエンベロープなどのビリオンを構成するタンパク質を合成し、これらをウイルス粒子に組み上げ、無数のコピーがホスト細胞から脱出するのである(図3)。

図3 感染した細胞から脱出するSARS-CoV-2のウイルス粒子(黄色)
出典:アメリカ国立アレルギー感染症研究所(NIAID)

 SARS-CoV-2は、はじめから人類をターゲットにしていたかのような巧妙なしくみで感染し、増殖し、つぎつぎとホストを乗り換えていった。その結果、3年3か月のあいだに世界中で7億人が感染し、700万人が死亡した。<つづく


[1] Jian Shang et al.:Structural basis of receptor recognition by SARS-CoV-2, Nature, 581(7807), published 30 March, 2020

[2] Jian Shang et al.:“Cell Entry Mechanisms of SARS-CoV-2”, Proceedings of National Academy of Sciences, 117(21), 2020

[3] Cody B. Jackson et al.:Mechanisms of SARS-CoV-2 entry into cells, Nature Reviews Molecular Cell Biology, 23(1), 2022


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