ケチャップみたく、ポリコレ

 中学の野球部連中で一人だけ公務員になったやつがいて、そいついわく俺は中学の時点で「お前は公務員になると思われる」と本人に向かって、予言を放っておったらしい。覚えてねえけど。そん時もいまも公務員とは何ぞや、という感じではあるのだが、おそらくは公務員という言葉のまわりを勝手にうろついていたイメージたちが時間をかけてそいつの性格とバッチリ符号し、さきほどの予言が、導き出されたのだと思う。
 しかし、公務員のイメージとは?「お役所仕事」という言葉があるが、もしそれがマニュアル的・定型的コミュニケーションや、膨大な文書管理を基にした仕事、くらいのことしか意味していないのだとすれば、いわゆる「公務員」だけでなく「民間企業」も含めた多くが、「お役所仕事」的であるとも言えるのでは。そういう気がしなくもない。
 個人的に一番グレーゾーンというか、わっかんねえなと思うのが銀行。もちろん表向きは「民間企業」ではあるのだがその実態はたぶんに「お役所仕事」的であり、そこにはつねに「堅苦しい」というイメージがつきまとう。なにより銀行は公の最高権力たる国家から通貨発行権を独占的に与えられているわけで、やはり両者のずぶずぶな分かちがたさには何か特筆すべきものがあると感じる。
 ある日、本好きな人と話している時に銀行の事務に「ご本人確認の確認」というものがあることを伝えると「すごいカフカ的だね…」と返されたのを覚えている。カフカと言えば、官僚制の不条理を描いた小説家として知られる。
 ○○という問題を解決するために○○についての会議を開こう。しかしその会議を開くためには少なくない手間と費用がかかるだろう。だからその前に○○会議を開くための会議、を開く必要があるな…。喜劇的/悲劇的な会議の自己増殖。徹底的な形式主義。終わることのない、見かけだけの準備、対策…。官僚制の不条理とは、例えば以上のようなものとして描かれるのだろう。
 身近なひとと国会答弁や記者会見を見ている時「あいかわらず官僚的な受け答えですな~」「ほんまな~」などというやり取りを自然に交わすことは珍しくないが、ひとたび「官僚的」という言葉について深掘りしていこうとすれば、その輪郭が当初思っていたほどに明確ではないことに気づかされる。改めて「官僚的」とは、いったい何を意味している言葉なのだろうか?

 デヴィッド・グレーバーの『官僚制のユートピア』という本がある。「いまや、官僚制が話題にのぼることはあまりなくなった」というかっけえ一文から始まる。
 実際、英語で書かれた本のなかで「官僚制」という言葉が出てくる回数は、1972年にピークに達してからそれ以来、現在まで一貫して下がり続けており、その原因をグレーバーは「端的に慣れという事情」、官僚制が「わたしたちにとって空気のようなものになった」ということに求めている。
 何かを批判するにはその対象との距離が必要である。裏を返せば、もしその対象との距離が消えてしまえば、つまり批判対象が自分の価値観と一体化し、自分の生活の一部となってしまえば、それを批判することは難しくなる。いずれにしても、現代を生きる私たちにとって「官僚制」はもはやかつてほど主要な、批判の対象ではなくなってしまった。
 そのような官僚制をめぐる態度の変遷は、いまの政治状況を考える上でも重要なことである。ある時期以降の左派が官僚制批判の方法を失ってしまったことと、今日における左派の衰退には、何か関係があるのではないかとグレーバーは言う。
 「1960年代の社会運動は、概して、その着想において左翼的だったが、かれらはまた官僚制に対しても、あるいはより正確に言うならば、官僚制的心性、そして戦後福祉国家のはらむ精神破壊的な体制順応主義に対しても反抗した。国家資本主義的体制と国家社会主義的体制の双方の灰色の役人を前にして、1960年代は、個の表現や自発的共生(コンヴィヴァリティ)の側に立ち、あらゆる形態の社会的統制に対抗した(『規則とか規制とか、だれが必要としてるんだ?』)のである。
 旧来の福祉国家の解体とともに、こうした議論が、決定的にズレているようにみえてきた。あらゆる社会問題に「市場による解決」を押しつける右翼が、獰猛ぶりに磨きをかけながら反官僚主義的個人主義の語り口を採用するにつれ、主流の左翼はますますいわば味気のない防衛的ふるまいにみずからを切り縮めていった。」(p7~8)
 いまの右派と左派の最も本質的な違いは、官僚制批判の方法を持っているかどうかである。前者は官僚制を批判し市場を擁護する。後者はむしろ市場の全面化を批判し、官僚制の更なる充実を求める。少なくともグレーバーの眼には、そのような対立の光景が浮かんでいる。
 確かに「官僚制」と「市場」のどちらかを選べと言われれば、しぶしぶながら「官僚制」を選ぶ人は、少なくないのではないかと思われる。今日「市場」にはそれほどまでにネガティブなイメージが、つまり弱肉強食や格差拡大、根本的な不平等を推し進めるものというイメージが強烈に、結びついてしまっているからだ。「社会をより良いものにしたい」と考える人が、「市場」を手放しで擁護することは難しい。
 しかし、いや、「官僚制」か「市場」か、というそもそもの二者択一自体に、何かの間違いが潜んでいるのではないか?などと、とりあえずの指摘をすることはできるだろう。とはいえ、これだけだと何も言っていないに等しい。それゆえ私たちは、つぎに、そのような二者択一はいったいどこに起源を持つのか?という問いに対して、答えを与えてやらなければならない。

 戦後しばらくの国際秩序はいまよりもはるかに「二元論」的な図式で動いていたと言われる。何と何による二元論か?それはむろん、「資本主義」と「社会主義」、あるいは「アメリカ」と「ソ連」による二元論である。世界中のあらゆる地域や国が、そのいずれかの色に染まっていた、というやや誇張じみた話すら聞く。「多元主義」が標榜される現代から見れば、まったく隔世の感を覚える言い方である。ちなみにいまではなぜか「左翼」と同一視されがちな現代的「リベラル」の立場は、もともとは上記の二元論を越える第3の道として登場した、という説がある。
 冷戦の終結は資本主義の勝利、つまり「市場の勝利」という表現で、振り返られることが多い。何に対する勝利かと言えば、国家や官僚によるトップダウン的な、計画経済に対する勝利である。私たちはこの冷戦的な二元論の構図の中に、市場vs官僚制の雛形を、見いだすことができるだろう。計画的官僚制的なソ連を見事に打ち倒した、自由で市場主義的な国、アメリカ…!
 ここで私はハッとさせられる。グレーバーが言っていた「官僚制批判ができなくなった左翼」における「できなくなった」とは、実は「する必要がなくなった」の間違いなのではないか?官僚制のイメージと結びつけられてきたソ連は冷戦の終結と共に、きれいさっぱり、消えてなくなってしまったのだから。それゆえ、以来アメリカは安心して、市場主義や自由貿易の世界的な普及に、邁進することができるようになったのだから。
 というような疑問に対してグレーバーは、驚くべき説明をうち返す。いやべつに「アメリカも自由貿易にとくに関心をよせたことはない」ですよ、と。どういうことか。であるならばアメリカはいったい、何に関心をよせてきたというのか。
 「アメリカ人が、それよりはるかに関心をよせたのは、国際的行政機構を創設することであった。第二次対戦後、公式に大英帝国から主導権を引き継いで、アメリカ合衆国が最初におこなったのは、まさに世界初の正真正銘の地球規模の官僚制を設立することであった。すなわち、国際通貨基金、世界銀行、のちにWTOになるGATTのような国際連合やブレトンウッズ体制を構成する諸制度である。大英帝国はこのようなことを試みたことは一度もない。他国を征服するか、貿易をおこなうかである。それに対しアメリカ人はあらゆるものとあらゆる人間を管理しようと試みたのだ。
 わたしの観察するところ、イギリスの人びとは、じぶんたちが官僚制にとくにむいていないということを大いに誇りに感じている。ところがアメリカ人は、概して、じぶんたちが官僚制にとてもむいているという事実に困惑をおぼえるようにみえる。自国の自己イメージにふさわしくないからである。われわれは、本来、自立した個人主義者であるはずなのだ(まさにこれが右翼ポピュリストによる官僚制の悪魔化が、どうしてかくもうまくいくのかの理由である)。とはいえ、アメリカ合衆国が根っから官僚制社会であるーそして一世紀を超えてずっとそうだったーという事実は揺るぎない。この点がなぜ見逃されやすいかというと、アメリカの官僚制的習慣や感性のほとんどがー衣服から言語、文書やオフィスよデザインにいたるまでー民間(私的)セクターから出てきたからである。小説家や社会学者が、ソヴィエトの役人に匹敵する魂なき体制順応主義者として「組織人間」あるいは「灰色の服の男」をえがいたとき、かれらは建造物保存局とか社会保障局の役人について語っていたわけではない。企業の中間管理職を描写していたのである。なるほど、この時代あたりには、企業の官僚たちは、事実としては、官僚とは呼ばれていなかった。しかし、それでも、かれらこそ、行政的役人とはいかなるものかというイメージの標準であったのである。」(p18~19)
 私が冷戦構造において見いだした市場vs官僚制という図式は、正しくはアメリカ的官僚制vsソ連的官僚制という図式と呼ばれるべきものなのかもしれない。言われてみれば確かに、そうなのかも、という気がしてくる。1956年のスターリン批判の後で蜂起したハンガリーを、ソ連が武力によって鎮圧することで「こっち側」の勢力の維持に努めたように、アメリカも例えば、戦後に自民党の結成をソフトに後押しすることによって、日本をなんとか「こっち側」の勢力に繋ぎ止めようとした。自由の勢力と支配の勢力が対立していたのではない。2つの支配の勢力が対立していた。2つの「官僚制」が、対立していたのだ。
 少なくとも私にとって、これはあまり見たことのないタイプの言葉遣いである。今日の政治状況を分析する際、そもそもの言葉遣いに混乱が見られており、言葉の意味についてうまくコンセンサスがとれていないという批判をよく聞くが、その混乱した言葉遣いの中に「官僚制」をも、付け加える必要があるのかもしれない。従来の市場vs官僚制という図式では捉えきれない複雑な現実が立ち上がってきているというグレーバーの指摘そのものは、確かなものであると感じるからだ。
 現代ではかつての公的=官僚制⇔私的=市場という対立軸が崩れた結果、両者がシステマティックに混ざりあってしまっている。そしてその過程には「いまだ名前が与えられていない」とグレーバーは言う。
 「この過程には、いまだ名前が与えられていない。公的権力と私的権力とが徐々に融合して単一の統一体を形成する過程である。この名称が与えられていないということそれ自体が重大である。上記のような諸事態が生じるのも、その大部分が、わたしたちがそれをどう語るか、その方法をいまだもたないがゆえである。ところが、その帰結については、生活のあらゆる側面において、わたしたちは眼にすることができる。わたしたちの日常を、ペーパーワークでいっぱいにしてくれているのだ。申請用紙はますます長大かつ複雑なものと化している。請求書、切符、スポーツクラブや読書クラブの会員証のような日常的書類も、数頁にわたる細目の規定でパンパンになっている。
 それでは名称を与えてみよう。わたしは、このような様相を呈している現代を『全面的官僚制化(total bureaucratization)』の時代と呼んでみたい。」(p24~25)
 『官僚制のユートピア』という本がおもしろいのは、そこで「私たちの世界は官僚制化している!官僚制はけしからん!もっとオルタナティブな世界の構想を...」とただ言われるだけではなく、同時に「しかし、私たちはどうして、これほどまでに官僚制を愛してしまっているのか?」ということも、きちんと問われるからだと思う。
 官僚制はもちろん悪である。暴力的である。「しかし同時に、それに魅力があるとすればどこか、なにがそれを維持しているのか、真に自由な社会でも救済に値する潜在力を有しているとすればそれはどの要素か、複雑な社会であれば不可避に支払わざるをえない対価と考えるべきはどれか、あるいは完全に根絶できるし根絶せねばならなものはどれか、こうしたことを、理解しなければならないのである。」(p61)
 かくしてグレーバーは、この「全面的官僚制化」の時代を支えている精神とはいったいどういうものなのかという、ある種の抽象的で原理的な問いへと、向かっていくことになる。

 といっても、この本の結論は拍子抜けするほどにシンプルなものだ。それは「官僚制の魅了の背後にひそむものは、究極的には、プレイへの恐怖である」(p275)というものである。どういうことか。
 グレーバーは、人間には「ゲーム」を求める傾向と「プレイ」を求める傾向があると言う。ここでの「ゲーム」とは「純粋に規則に支配された行為」のことを意味し、反対に「プレイ」とは「創造的エネルギーの純粋な表現」のことを意味する。
 ひとと喋る時のことを思い出すと分かりやすい。だいたい何を喋るかがお互いに予測できている関係性でのお喋りは楽しい。これを言えばこれが返ってくる。これが言われたらこれを返すべき。そういう予測可能な「ノリ」がどれだけ積み重なっているかは、その人との仲の良さを測る重要な指標の1つである。これは、本質的に予測不可能なはずの他人とのコミュニケーションを予測可能な規則の連なり、つまり「ゲーム」へと作り替えることを欲してしまう、人間が持っている1つの傾向のことである。
 その一方で、完璧に予測可能なコミュニケーションはつまらない、とする価値観がある。だいたいこれを言うとこう返ってくるよなあという予測を良い意味で裏切ってくれる人と、私は仲良くしたいと思う傾向がある。あるいは少し変な言い方になるが、この人と喋っていると、自分でも思ってもみなかったことが不意に口から出てくる、そういう関係性のことを、大事にしたいと思う傾向がある。これらは一度予測可能なゲームへとコミュニケーションが作り替えられた後で、そのスキマスキマに訪れる予測不可能な「遊び」の感覚つまり「プレイ」を欲してしまう、人間が持っているもう1つの傾向のことである。
 しかし、この相反する2つの傾向の比重がどのようなものであるか、つまりコミュニケーションにおいてどのくらい「ゲーム」の側面を重視するか、あるいはどのくらい「プレイ」の側面を重視するかは、人によって大きく異なるように思う。
 「プレイ」的なコミュニケーションは確かに「ゲーム」的コミュニケーションだけでは決して味わえない喜びを受けとることができるが、それは予測不可能であるため、必ずしも喜びを受けとることができるとは限らず、時には傷つけられたり、苦しめられたりすることもある。
 であるならば最初から、お互いが決めた規則の外には出ようとしない「ゲーム」的コミュニケーションに安住し、もっぱら予測可能な言葉のやり取りだけを楽しむ道を選んだとしても、なんら不思議なことではない。反対に、そのようなしらけた予定調和には何の魅力も感じず、予測不可能な「プレイ」の刺激だけをひたすらに極端に、求め続ける人もいるのだろう。
 しかし全体的な傾向として見ると、現代は「ゲーム」のほうに比重が傾いている時代のように思える。予測不可能なコミュニケーションの刺激よりも、予測可能なコミュニケーションの安心のほうを、人びとが強く欲している時代のように思える。グレーバーによればそのような「規則」への願いこそが、「官僚制のユートピア」を支えている。そしてそれは、必ずしも悪とは言えない。なんとも両儀的な読後感を残したままで、本書の探求は終わりを迎える。

 繰り返しになるが、グレーバーは現代の「右派」と「左派」の違いは「官僚制への批判の方法を持っているかどうか」にあると言った。右派は「官僚制」を批判できるが、左派にはそれができない。それゆえ右派は「官僚制」にうんざりした人びとの不満を吸い上げることに成功しているのだ、と。
 そのことを、先ほどの「ゲーム」と「プレイ」という言葉を用いて言い換えてみたい。今日における右派が力を持つのは、人間の奥底に潜む「プレイ」の傾向と関係しているのではないか。
 形式的な規則や比喩としての「官僚制」が日々の生活を覆う「ゲーム」的世界に対する反発、個々人が隠し持つ「プレイ」への欲求が、右派勢力の強さを支えているのではないか。「トランプのほうが何かしでかしてくれそうな気がするから」という、真面目な政治分析がなんともバカらしくなるような、支持者の声を聞くことがある。しかしいくらバカらしいと言っても、もしそのような「プレイ」の傾向が人間の持つ、無視できない特徴の1つなのだとしたら、来るべき政治理論とは「ゲーム」と「プレイ」の両方を視野に入れた、懐の深いものでなければならないのだろう。
 グレーバーは「官僚制」という言葉の現実的な謎を解き明かすために、一度「ゲーム」と「プレイ」の区別という、いささか抽象的で原理的な水準にまで、遡行しなければならなかった。私はここで、議論の方向をもう少しだけ具体的な水準へと、引き戻したくなる欲望にかられる。
 私の考えでは、グレーバーがいう意味での「官僚制」や「ゲーム」は「ポリティカル・コレクトネス」と互換可能である。そして、右派と左派の違いは「官僚制への批判の方法をもつかどうかにある」と言うより「ポリコレへの批判の方法をもつかどうかにある」と言うほうが、今日の政治状況をより具体的に、反映できているように感じる。トランプ支持の背景には「ポリコレ疲れ」があるという分析を、誇張ありでこれまで、5億回は見てきたように思うから。
 「ポリコレ」に反対する人たちが「ポリコレ」を支持する人たちのことを批判する際にしばしば「思想警察」や「全体主義」、あるいは「言論弾圧」といった、かつての「官僚制」や「国家主義」への批判を想起させる表現を用いている点は、極めて興味深い。「言葉の官僚制」としての、「ポリコレ」?

 そもそも「ポリティカル・コレクトネス」通称「ポリコレ」とは何か?批評家の綿野恵太さんによれば(『差別はいけないとみんな言うけれど』)、それが最初に用いられたのは1970年台のアメリカである。その目的は、ジェンダーや人種などの平等を目指す「新しい左派」が、プロレタリアートや党組織による革命を目指す「古くさい左派」を揶揄するためであった。
 新しい左派からすれば、古くさい左派の言う「正しさ」には何の説得力もなかった。そこでは、端的に「ジェンダー」や「人種」やその他「マイノリティ」の問題が、ことごとく軽視されていたからだ。新しい左派は古くさい左翼のことを「政治的に正しい人たち(笑)」と呼び、対抗しようとした。
 潮目が変わったのが1990年代初頭。「新しい左派」の人たちによる途方もない努力のおかげで、「ジェンダー研究」や「ポストコロニアル研究」などの理論やそれに基づくさまざまな実践が徐々に、存在感を持つようになった。
 それに従い、今度は新しい左派に対しても、批判の矛先が向けられるようになる。その際またしても用いられるのが「政治的正しさ」である。今度は右派から「あ~はいはい政治的に正しい意見ね(笑)」あるいはそこから(笑)が消えて「政治的に正しいことばっか言う連中はクズ!」などと、揶揄されるようになる。今日話題になる「ポリコレ疲れ」における「ポリコレ」とは、この文脈の延長線上に位置づけられるものである。
 綿野さんはそのようなポリコレの来歴を簡潔に「二重の汚名」という言葉で表現する。最初に着せられた汚名が、「お前ら経済のことばっか考えてるようだけど、そこから排除されてる諸々のアイデンティティの問題について考えたことある?そんなんで政治的正しさ名乗られても(笑)」というもの。次に着せられた汚名が「お前らマイノリティのアイデンティティのことばっか考えてるようだけど、そこから排除されてる男性や白人の問題について考えたことある?2度と政治的正しさなんて名乗るんじゃねえぞゴラア」というもの。これまで「ポリティカル・コレクトネス」という言葉には質の異なる二重の汚名が、着せられてきたのだ。
 本来は経済vsアイデンティティの二者択一ではなく、そしてマジョリティvsマイノリティの二者択一でもなくて、経済「も」アイデンティティ「も」大事なのであり、マジョリティ「も」マイノリティ「も」大事なはず、つまりそれらすべてを肯定する政治的立場があってよいはずなのだが、現実にはどうしても党派的な線が引かれ、左右の対立は強化され続けてしまっている。
 日本でも例えば『左派はそろそろ経済を語ろう』という本が出版されたり(おもしろかった!)、野党はジェンダーや環境問題には強いのかもしれないけど、経済はやっぱ自民党だよな、などと語られたりする。「マジョリティ」による「マイノリティ」へのバックラッシュの光景も日常茶飯事だ。そのような不幸はアメリカや日本に限らず、多くの国で報告されているように思われる。右派と左派の対立の先に、ある種の「落としどころ」を見いだせる可能性は、どこにも存在しえないのだろうか?

 綿野さんは「『ポリティカル・コレクトネス』を全体主義のイメージに結びつけた保守派による攻撃は、ある点では真理を突いていたように思われる」と言う。なぜなら「その政治的主張や立ち位置はまったく異なるが、言論を政治思想によって統制するという点では、ポリティカル・コレクトネスも全体主義も同じだからだ」、と。
 もちろん綿野さんは、今の右派のあり方をよしとするわけではない。しかしとはいえ、今の左派のあり方をよしとするわけでもない。綿野さんにとっての「理想の左派」の特徴とは、次の2点に要約される。すなわち①「政治的正しさ」を全肯定すること、②比喩としての「官僚制」から脱すること、の2点である。
 いくら右派から「政治的正しさ」をバカにされたとしても、左派はそれを決して手放すべきではない。「政治的に正しい」理念を信じ、その実現に向けて行動を一つ一つ積み重ねていくことは、疑いなしに誰もが誇るべき価値観であり、生き方であるからだ。たとえそこに二重の汚名が着せられてきたのだとしても、いや、むしろ着せられてきたからこそ、私たちは「政治的正しさ」の可能性その全てを、肯定しなければならない。
 その一方で、「左派」の行き過ぎが人びとを抑圧する「全体主義」に帰結してきたことも、また事実であると言わねばならない。「マルクス主義」「共産主義」という左派の理論を基につくられたソ連という国家が「スターリニズム」という独裁を招いてしまったことは、その一つの例である。
 綿野さんは「あとがき」の最後に「ポリティカル・コレクトネスの汚名を肯定することは、スターリニズム(官僚制)の支配に手を貸すことではまったくないのである」と言い残し、本書の議論を未来につなげる。
 「ポリティカル・コレクトネス」を肯定しつつ、比喩としての「官僚制」にも陥らない、そのような複雑な立場とは、いかにして可能なのだろうか?
 「ポリコレ」に対して反発する人たちを、たんに「バカ」と言って、切り捨てることはできない。ポリコレに反対する人たちすらも深いレベルで包摂することのできる左派のあり方を、考えなければならない。私の考えでは、そのことを一貫して考え続けてきた人の1人が、哲学者の千葉雅也さんである。千葉さんの『アメリカ紀行』という本をしばらく、読んでいきたい。

 『アメリカ紀行』という本は、大学のサバティカル制度を活用し、1年間アメリカで研究に専念することにした千葉さんが、そこでの暮らしぶりを書きつづったエッセイ、というか、タイトル通りの「紀行文」である。到着直後に何気なく書かれる、次の文章が印象的だ。
 「アメリカ。広い空間を、大柄な男たちがどっかどっかと歩いてくる。僕の性的な感覚は、アジア人のコンパクトな体に結びついていた。たぶんこの土地に慣れていくうちに、エロスのあり方もいくらかは再構築されるのだろう。」(p11)
 「性的な感覚」つまり「エロスのあり方」が「再構築される」という言葉の並びから、「性を含めたアイデンティティは社会的に構築されるものである」という大学の頃に学んだテーゼが、改めて想起される。言葉としては知っていても、それが現実に何を意味しているのかを実は、よく分かっていないような気がしてくる。性を含めたアイデンティティは社会や文化によって構築される。それならば、日本とアメリカという異なる社会・文化で生きることは、自らの性的アイデンティティがもう一度、再構築される可能性がある、「ゆらぐ」可能性がある、ということなのだろう、か。
 その後しばらくアメリカで過ごし、アメリカ社会への「適応」を実感できるようになった千葉さんは、ある日ドイツ出身のアレックスという友人と一緒に映画を見ている時に、「ピーター」がその映画に出演していることに気づく。
 「『あ、ピーターですね』退廃的な娼館を取りしきる人物の役で、ピーターが出演している。『日本だと、ピーターのような存在はどういうものなのでしょう』と訊かれたので、深く考えず、一種のトランスジェンダーだと思いますがと答えると、アレックスは、『トランスジェンダーというのは日本の概念ではないですよね、外から持ってくるのは違うんじゃないでしょうか』と疑問を呈する。いや、英語圏の概念だけれども、普遍的なものとして言われてるんじゃないですかと続けると、それでも、『日本には日本の捉え方があるのでは』と言う。」(p72)
 私はそんなこと、これまで全く、考えたことがなかった。「進んだ」ジェンダーの理論を「遅れた」国である日本に適用するのは、あまりにも当然のことではないか、と。これをきっかけに、千葉さんは内省を深めていく。
 「日本では、英語圏の考え方を導入して、遅れているLGBTの理解を進めようという動きが盛んだ。だが単純にそれでいいのだろうか。トランスジェンダーのような概念にも、歴史地理的な特殊事情がある。日本人は、西洋の理論を『普遍視』しすぎる。ジェンダーやセクシュアリティの理論を、日本の文化の特殊性において立ち上げ直すことはできるのだろうか。
……性のアメリカ的分類をそのまま適応したり、あるいは細分化したりハイブリットにしたりするのでは取り逃してしまう性のあり方が、日本や中国にはあるのではないかという視点。アメリカ的分類を無理に使うことで、日本の当事者がかえって悩みを深くする可能性もあるかもしれない。」(p73)
 千葉さんの「あなたにギャル男を愛していないとはいわせない」という論文のことを思い出す。1990年代の日本で一部流行した「ギャル男」の「ジェンダートラブル」を考察したものだが、あれもひょっとすると、「日本的ジェンダーのあり方」を考える試みの一種として、読み返すことができるのかもしれない。
 そこからさらに連想ゲーム的に思い出すのが、中国経済の専門家である梶谷懐さんがとある対談で(「情報時代の民主主義と権威主義」)、「中国での夫婦別姓の伝統はむしろ家父長主義的、女性蔑視的価値観に基づいてきた」と指摘していたこと。中国では、男性こそが家の中心であるべきだという価値観がある「ゆえに」、女性に男性の名字を名乗らせるべきではないとする「夫婦別姓」の伝統が、これまで長く続いてきたのだ、と。
 まあしかし、そのような各国や各地域の個別性・特殊性に目を向けるのは、まだ時期尚早というか、もう少し後でもよいのかもしれない。ひとまずアメリカ的な規範が世界を覆い尽くした後で、ゆっくり時間をかけて、考えていけばよいことなのかもしれない。
 アメリカ滞在が後半にさしかかったころ、千葉さんはスペイン風の飲み屋でキースヴィンセントという、日本でのゲイ・ムーブメントを本格化させた人物と話をする機会を得る。
 「僕はキースさんの隣に座り、積極的に話すことにした。いまはどういう関心を持っているのかと訊かれたので、僕はこのところ無関係nonrelationについて考えている、と伝えると、キースさんの態度が一瞬で硬くなる。『無関係?どうしてそんなことを考える必要がある?』と、渋い表情で叩き落とすように言った。僕は一瞬で不愉快になった。」(p98)
 「どうしてそんなこと考える必要がある?」とか言われると、そりゃツラい。でもちょっとだけ分かるというか、私も千葉さんの1ファンとして、たまに千葉さんの哲学が何を目指しているものなのか、よく分からなくなることがある。今回の文脈でも、例えば書店なんかで「関係」がどうのこうの言われてそうな本はよく見かけるが、「無関係」がどうのこうの言われてそうな本は、それほど多くは見かけない。だから、千葉さんのメッセージは時に分かりにくく時に誤解にもさらされながら、受容されてしまうことがあるのだろう。
 「さらに僕は、2000年代前半に提起された『クイア理論の反社会的テーゼantisocial thesis in queer theory』を話題にした。ゲイやレズビアンやトランスジェンダーなどが蔑称である『クイアqueer(変態、おかま)』という言葉をわざと自分たちを呼ぶために使うという戦略ーそれは、否定性を肯定性にひっくり返す戦略だ。反社会的テーゼはそのラディカルな帰結であり、クイアな者たちは社会の再生産の外部からマジョリティの社会運営に抵抗する異物であり続けるべきだ、という主張である。僕はこれをいま再評価するべきだと考えている。なぜこれが重要なのか、今日、マイノリティの社会的包摂が進んでいるのは一見疑いなく良いことに見えるが、その一方で、まさにそのためにマイノリティならではの生き方が抑圧され、万人の標準化(ノーマライゼイション)が進んでいる、という批判意識を持っているからである。これに対してもキースさんの表情は渋くなった。彼はアンチソーシャルではダメだ、なぜならサステナブル(持続可能)じゃないからです、と答える。かつては私もアンチソーシャルだったときがある、でも変わったんですよ、やはりサステナビリティが必要なんです。(p102~103)」
 ふむう。私自身、「クイア」という概念を初めて知ったのはこの千葉雅也さん、あとは浅田彰さんの文章を読んでいる時だった。「ポリコレ」的なお行儀のよさ、妙な「社会性」の蔓延に、お2人の文章は警鐘を鳴らしていた。「ポリコレ」への批判は、もっぱら右派によってなされるものだと思っていた私は、そのような「左派」の「当事者」による「ポリコレ」批判の理路もあるのか、ということに、新鮮な驚きを覚えた。
 千葉さんは何か「1つの理屈」が世界を覆うことに対して、抵抗し続けている人のように思える。「ポリコレ」がダメなのではなく、「ポリコレだけ」がダメなのだ。「社会性」がダメなのではなく、「社会性だけ」がダメなのだ、と。
 しかしそのことを言おうとすると、「お前はアンチポリコレなのか、反社会的なのか」と即座に、レッテルを貼られてしまうことになる。おそらくそれは、「アメリカ的普遍性」に「日本的特殊性」を対置させた瞬間、そこに「保守的」「ナショナリスティック」「反動的」などとレッテルを貼られてしまうことに、どこか近いものがあるのだろう。

 自分と異なる意見を持っている人との会話は、どうしてかくも難しいのだろう。「リベラル」の理念が有するとされてきた「寛容」の対象には、「自分と異なる意見を持っている人」はやはり、含まれないのだろうか。
 「はい、含まれません」と自信満々に返す人たちが、しばしはその根拠として持ち出すのが「寛容のパラドックス」と呼ばれるものだ。いわく、寛容な社会を維持するためには、不寛容な人に対して不寛容でなければならない。差別主義者に対する寛容さなど必要ない。寛容の範囲を無限に広げていくことは、かえって、寛容な社会の自己破壊を招くことにつながるだろう。私たちは寛容な社会を守り抜くために、不寛容な人に対して寛容であってはならないのだ、と。
 ぐうの音もでない正論である。私も、基本的にはそれで問題ないと感じる。と同時に、「いや、含まれるのかも」と、後ずさりしながらでも言えるような対話の可能性を、どこか諦めたくない、粘ってみたいと思う自分も、いる。次の千葉さんの提案は、そのわずかな可能性への、かろうじての祈りである。
 「マナーAを採用する人とマナーBを採用する人との戦いでは、彼らはマナーを守りません。だからメタマナーをちゃんと守りましょうと僕は言っています。メタマナーとは、他の価値観があることを認めた上で相手を殲滅しようとしないことです。リベラリズム自体を否定する人は排除せざるをえないというとき、その排除においてマナーは発揮されていません。根本的に価値観が違う人と何とかして一緒に生きていこうとするのがメタマナーです。しかし、リベラリズム自体を否定するのはメタマナーの否定なのだからそれは暴力的に止めるしかないのではないか、と言われるかもしれない。だが、先に言ったように、これはリベラリズム自体を否定している、という判断が早すぎるのです。それ以前にメタマナーの尊重があればそもそもの状況の悪化は阻止できる、と僕は考えている、というかそう考えたいですね。」(「フラット化する時代に思考するーポストモダン思想再考」)。
 「リベラリズムを自体を否定している、という判断が早すぎるのです」という言葉に私は蒙が啓かれたような、明るい感触を得た。
 誰かとの揉め事の最中「向こうが悪い」という認識が私にとっても相手にとっても、なかなか改まってくれない時に、ほんのわずかな勇気を出して、私の方から「ごめん」と言ってみるだけで、なぜかとたんに空気が変わり、相手の方も続くようにして「いや、こっちも意地はっとった、ごめん…」と返してくれるような経験を、これまで幾度もしてきた。
 私は、ここでの先手必勝な「ごめん」をなんとか振り絞れる力が、先ほどの「寛容性のパラドックス」を解くための、重要な鍵であるような気がしてならない。それは決して「敗北」の意思表示ではない。いや、別に「敗北」であってもよい。その地点から、お互いが分かりあっていけるのなら、共存の可能性がひらけていくのなら、そんな「敗北」なんかくれてやれ、と私は思う。敗北を贈与すること。ためらいながら。そこからもう一度、両者の関係性を再構築していくこと。
 わずかばかりの道が、見えてきた。最後にもう一度だけ舞台を「アメリカ」に戻し、千葉さんの言う「メタマナー」のあり方がどういうものかを、もう少し具体的に、探ってみたいと思う。グレーバーは「官僚制」をアメリカ的な伝統の1つであると言ったが、それをもう少し「別のかたち」で、表現してみたいと思う。アメリカ的伝統の「負」の部分が「官僚制」であるとするならば、その「正」の部分を、再評価することができればよいと思う。例えば、「ケチャップ」という言葉で。

 千葉さんと同じく大学のサバティカル制度を利用し、アメリカの「LA(ロサンゼルス)」での滞在記録をまとめた、三浦哲哉さんの『LAフード・ダイアリー』という本がある。
 本業は映画研究の方なのだが、本好きにとって三浦さんと言えばもっぱら「料理の人」というイメージだ。『食べたくなる本』という本で「巷にある料理本を批評する」という、新たな批評のスタイルを切り開いた。最近も『自炊者のための26週』という本を書かれたらしい。自炊者になりたい。だからいつかは読みたいと思っている。
 そんな三浦さんによる『LAフードダイアリー』である。「そもそもどうしてアメリカへ?」と尋ねたくなる。それに対する答えは「自分の感性の原点を育みもしたアメリカの食の『不自然さ』それ自体に、私は強く興味を惹かれている」から、というものだった。どういうことか。
 「私は東北の地方都市の出身で、父は定年までコカ・コーラのボトリング工場(コーラの濃縮原液をもとに、瓶詰め、缶詰めして製品を作る工場)に勤務していた。だから家の前にはコカ・コーラの自動販売機を設置していて、売りものの清涼飲料水が飲みたい放題だった。
 私たち家族は、母方の実家の祖父母といっしょに暮らしており、食卓に出てくるのはどちらかというと素朴な田舎料理が中心だったが、父の嗜好から、スーパーにならぶ濃い味付けの既製品もそれなりに出てきた。インスタントラーメンもハンバーガーも食べた。子どもによっては、ナチュラルにすぎる田舎料理よりも、こっちのほうが輝いて見えたし、口に入れると、何とも言えない高揚感があった。その後、年を重ねて食の嗜好はいろいろ変化することになるけれど、いまも根っこにおいては、これらの味が懐かしいし、好ましい。
 要するに、私は自分の感性を形成したものが何かを知るために、一度じっくりアメリカで、アメリカの食と向き合ってみたかったということだ。」(p22)
 こんな書き出しを読んで、ワクワクしないわけがない。思えば、さきほどの『食べたくなる本』の中でも「ファストフードvsスローフード」「人口の料理vs自然の料理」といった2項対立を崩そうとする文章が、何度も執拗に、書かれていた。自炊を愛する料理の達人でありながら、コンビニ食やマクドナルドをもまるっと肯定してみせる三浦さんの型破りな態度はその多くが、ご本人の生育環境に由来していたのだ。
 「自然な食」も「不自然な食」も、いずれも好物だと公言する三浦さんは、一貫性がなく、それゆえに不誠実である。どちらか「だけ」を好む人たちからすると、そのように思われてしまうかもしれない。けれどもその「不誠実」は三浦さんにとって、むしろ食を味わい楽しむ上で必須の落差であり、ギャップでもあるのだ。
 「『不自然』であるがゆえに、『伝統』からの隔たりゆえに、(ネガティブなショックだけではない)驚きと感動を誘う、そんな食が見つかるのではないかという楽天的な期待が私にはある。」(p23)
 「ファストフードvsスローフード」の「いずれか」を肯定するのではなく、その「いずれも」肯定した上で、両者の落差を、「隔たり」をも含めて、食してみせるということ。そのような価値観に基づいた「実践」が『LAフード・ダイアリー』には満ちている。
 とはいえ、細かいものまで紹介していると際限がなくなってしまうので、ここでは本書の結論部分に出てくる「ケチャップ」の話へ飛び、そこからありうべき「メタマナー」の理解へと、たどり着きたいと思う。

 その前に確認しておくべきことは、今日における「食のあり方」とは、単なる個人の趣味嗜好に留まらない「政治的なイシュー」でもある、ということだ。
 日本における「食の好み」と「政治性」の関係について分析した速水健朗さんの『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』という本があるが、おそらくはアメリカでも、その事情は似たようなものなのだろう。
 「リベラリズムと結びついた美食趣味への批判は昔からずっと存在してきたが、いわゆるドナルド・トランプ以後の地平において、こうした批判は露骨な等派性を帯び、自陣営の動員へと利用されるようになった。などと他人ごとのように書いているが、私もこんなふうに批判されたら、やはりギクッとせずにはいられないところはある。ちなみにトランプの好物は、有名な話だが、かちかちのウェルダンに焼き上げたステーキにトマトケチャップをかけたもの。食に『多様性』を求める姿勢の対極である。」(p230~ 231)
 アメリカ的消費社会をつくりあげたファストフード文化は画一的なライフスタイルと、地球環境の危機という負の遺産をもたらした。その反省から、多様性にあふれたライフスタイルと地球環境に優しい食のあり方が模索された。ファストフードに対する、スローフードの運動である。
 しかし今日においてそのようなスローフードの恩恵を受けることができるのは、要するに「文化的な金持ち」つまり「既得権益層」に限られているではないかと右派は言う。そこでの「多様性」に、自分たち「庶民」のライフスタイルが含まれていないことに、彼ら彼女らは怒る。かくして、右派=ファストフードvs左派=スローフードという大ざっぱな対立軸(すべての対立軸がそうであるように!)が、強化されていく。
 さて、私の問いは、右派と左派の対立を越えた「寛容のルール」、千葉さんが言うところの「メタマナー」とはいかなるものでありうるか?というものであった。とするとその問いは、三浦さんが切実に抱えてきた「食」の問題と、密接に関係しているのではないだろうか、そういう気がしてくるのである。
 「切実な課題は、いかにして食の『多様性』と『画一性』という二項対立を解きほぐすか、現代の食文化における両者のからまりあいを精細に理解しうるかという点にある。ファストフードはバッドで、スローフードがグッド、あるいは、それへのカウンターとして、スローは既得権益層のアスホールで、ハンバーガーとケチャップのオレらこそリアル、等々という思考法からいかに脱することができるか。」(p231~232)
 この文脈で問われるのが「トマトケチャップの魅力とは何だろう」あるいは「ケチャップの平板さの魅力とは何か」というものであった。
 「とくにこのケチャップの恩恵にあずかったのは娘の春香だった。LAにいた一年間で娘が最も好んで食べたのは、ハインツ製のトマトケチャップを添えたフライドポテト。大人としては、栄養的、それから食育の観点からもっと望ましい食品を食べさせたい気持ちも芽生えたが、なかなかに都合よくことは進まなかった。すこしでも異物感があると、とたんに警戒心で身をこわばらせ、『ヤック!(おえ!)』と言って、吐き出す。
 ケチャップはそこで娘にとって頼みの綱もいうか、わけのわからない食べ物の異物感を中和し、喉を通るようにしてくれる何かであるようだった。どんな揚げ物にもケチャップ、オムレツにもケチャップ、そうすると、異国の食のとげとげしさが薄れ、まだ許容できるものになる、というようなかんじなのだ。」(p233)
 今更だが、アメリカは多民族国家である。さまざまな文化的背景をもつ人たちが集まり、共存してきた歴史をもつ国である。そして食は文化と密接に関係している。であるならば必然的に多民族国家であるアメリカは、これまでさまざまにクセのある食文化たちが、ひしめきあう国であり続けてきた。そのようにも、言うことができるだろう。
 ケチャップとは、それぞれの料理、文化のクセの強さを中和するために用いられてきた、アメリカ的共存の、1つの象徴なのではないか。まったく口に合わない「知らない」料理であっても、とりあえずはそれを飲み込むことを可能にするような、プラスアルファとしての、ケチャップ。
 もちろん、ケチャップをかけることはその料理の味を殺すことになる。さらにはその画一的な殺し方は、それこそグレーバーが言ったようなアメリカ的「官僚制」のイメージと、どこか近いものがあるようにも思える。
 けれども私としては、ファストフードであれスローフードであれ、それをかけることでとりあえずは飲み込むことが可能になるようなケチャップの文化を、「悪い画一性」である官僚制の伝統とはやや区別された「良い画一性」の伝統として、捉え返してみたく思うのだ。それは、自分とぜんぜん意見が異なる相手であっても、その人の言うことをとりあえず受け入れることができるような、そんなコミュニケーションへの想像力を、かきたててくれる。
 相手の文化を最大限尊重した上で、しかし相手と異なる文化で生きてきた私にとっては、相手の言うことを、そのままのかたちで、真正面から受け止めることは難しいかもしれない。そういう時に互いがとりあえずテーブルにつき、それぞれの文化をいったんでいいから、飲み込んでみること。時間をかけて相手を理解するための、手っ取り早さ。スローで細やかな理解へのきっかけを与える、ファストでざっくりとした、コミュニケーション。ケチャップをかけるような。
 「強すぎる刺激によって人間を崩壊させようとするカオスの中に、凪の安定をもたらすこと。アメリカ人が好ましい食べ物についてよく用いる『コンフォート』(安らぐ)という言葉の、おそらくこれが原初の意味なのだ。」(p236)

 三浦さんは最後、ジョナサン・ゴールドという評論家が「どうしても好きになれないもの」について書いた文章を引用している。これがほんと、素敵なのよ、です。
 「台湾料理屋だった。私はそこに行って、ある意味、まずいと思った。臭豆腐は経験済みだったが、あんな臭豆腐は初めてだった。それからあのポタージュ、とろみがつけられていたのだが、スプーンに液体が張り付いてるるんと持ちこたえるほどだった。奇妙な燻製の臭いは、まるで誰かがタバコを突き刺したみたいだった。異様にパワフルなアジの苦瓜が出てきて、その苦味と言ったら抗がん剤みたいだった。でも、そこが悪いレストランではない、ということも私には分かったんだ。客たちはきちんとドレスアップしていたし、あきらかにこの店が好きだから来店しているようだった。だから私がこの味を好きではないのは、文化相対性によるもので、だからまだ楽しめないだけなのではないか、と考えたんだ。同時に思うのは、評論家の十中八九は二度とこの店に戻ってこないだろうということ、それどころか、「ハハハ、あいつらは臭い料理を食べている」とでも書くだろうということだ。」(p247~248)
 私たちが目指すべき「寛容」な態度とは、おそらくこのようなものなのだろう。自分の口に合わないものであっても、それを美味しいと思えない自分を軽やかに笑い飛ばし、それでいて、理性を働かすことも忘れない。そこから、そこで初めて、人は、「知らない世界」との関係を、つくっていくことができる。
 「この話を聞いていたシエツェマは『この店の料理を好きになる、というところまで行かなければ気がすまなかったんだね』と合いの手を入れるが、ゴールドは次のように返答する。『結局好きにはなれなかった。でもとても頻繁に通ったー大嫌いな店なのにだー給仕のおばさんの一人が自分の娘を私とくっけようとしたほどだ』。
 嫌いだがその店に通い、あるいは、嫌いだからこそリスペクトする。きわめて逆説的なこの姿勢を貴重だと思う。このような姿勢で暮らすLAのかつての隣人たちのことを忘れないでいようと思う。」(p248)
 いま、アメリカの伝統を積極的に甦らすのだとすれば、「白人男性」を中心とした偉大な「祖国」に回帰しようとする右派的な伝統でも、「白人男性」の栄光を解体し、そうではない様々なアイデンティティの権利をことさらに打ち出してきた左派的な伝統でもなく、たとえ自分が「嫌い」な相手であっても、時にはケチャップなんかもかけながら、相手の文化や価値観をとりあえずは飲み込み、相手との関係性を探ろうとするLA的な「寛容」の伝統であるべきなのだろう。

 グレーバーは今日の左派が「官僚制」への批判の方法を持たないことを嘆いた。そこでの「官僚制」とは旧来のいわゆる「制度」としての官僚制に留まらず、いわば「心情」としての官僚制のことも意味していた。さらに、人間には自らや他者の生活を、規則で埋め尽くさんとする「ゲーム」への欲望があり、それこそが「官僚制のユートピア」を支えているのだと指摘した。
 綿野さんは「言語の官僚制」としての「ポリコレ」の問題を考える過程で、「政治的正しさ」の理念は保持しつつ、しかし他者への言論弾圧からは距離を取ろうとする「理想の左派」のあり方を模索した。それはポリコレに対する心からの敬意が払われた、真の「批判=吟味」であると思われた。
 千葉さんも綿野さん同様に、ポリコレへの「左派的批判」の理路を提示した。ポリコレ「だけ」が世界を覆うことをよしとはしない、そのギリギリの倫理の水準を、1人の「当事者」としてはっきりと、言語化してくれた。
 三浦さんは千葉さんと似た問題意識を持ちながら、その解決策をアメリカの「外」ではなく、アメリカの「内」に求めようとした。アメリカにおける画一性の伝統を繊細に料理し、味わっていく過程で、その「良い」素材の部分を、なんとか取り出すことに成功した。
 かつての私は例の友人を「公務員」つまり「官僚」的なイメージと重ね合わせた。失礼なことをしてしまったとも思うが、当時の私を見苦しくも擁護するとすれば、そのイメージは必ずしも「悪い」ものではなかったように思う。いまもみんなで集まる時、私だけでなく多くの人が、そいつの誰に対しても肩入れしない、フラットで心ない「官僚的」な場回しの能力にいちいち、助けられているからだ。
 こだわりが衝突し不穏な空気が醸成されてきた瞬間、笑ってため息をつきながら「おめえらほんまどうでもええことでもめるよな」と言ってくれるそいつの「正しさ」は、「誰かを支配すること」から最も遠いところで静かに、凪のように、まとわれているように感じる。その場ではいちおう「どうでもええこととはなんや!」みたいなことを言うには言うが、内心ではいつも、ホッとしている。私はそいつを1つのモデルとしているが、私自身のこだわりの強さ、クセの強さが、その再現を邪魔してくることがほとんど。そういう時は自分か相手かのどちらかに、ケチャップを、かけてみよう。


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